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選ぶは、いいこと。。。

選択できることがいいことだといってきましたが、
違うかもしれない。


身体の声を中心にした時、
それは選ぶなどとは違うことがあるんじゃないかなと。

自分が苦しいことをしていると、
感覚が信頼できるものになった時
身体が苦しいと聞こえてくると、
それは選択の余地なく
やめる、ということになるはずで、
苦しいという声が身体から聞こえてきた、
さて、どっちを選びますか、
ということにはならないと思うんです。

身体の声を聞いて選択肢を前に
どっちを選ぶ、としているのではなく、
頭でっかちに、これをやったから
こうなっているはずで、さて、どっち、と
選択していたということだった
かもしれない。

それでももし、苦しい方を選ぶとすれば、
それはなにかしらの表現上、必要だから
しかないような気がしてきました。
音楽の演奏や、演劇での表現などで。

初代スーパーマンが
サラリーマンに扮装している時に
そう演技していました。


選択できることはいいことで、
選んだ私はえらい!って。

しっかり身体の声を聞いていると思っていたんですよね。
聞いた上で無視をしていたとも言えます。
まだまだでしたね。


日々練習です。

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