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なにもしない、って。

レッスンでよくいう言葉です。
なにもしなくていいなら、
レッスンする必要ないじゃないか。
そう思うかもしれませんが、
違うんです。


なにもしないことって、
体験してみるとすぐにわかるんですが、
これ、結構むつかしいんですよ。

なにがむつかしいって、そのままで、
なにもしないことって、
みなさんできないんです。
わたしもできませんでした。

ただなにもしない、ならできるでしょう。
なーにも考えないで、
ぼーっとすることならできるでしょう。

レッスンでいう時の
なにもしないは、いろいろ考えて
その上でなにもしない、なんです。

手を動かそう、と思って
なにもしない。
座ろうと、立とうと思って
なにもしない。

さあこれから動くぞ、と思って
なにもしない。


わたしは動くぞ、と思うと
動いてしまっていました。
思ったらすぐに動いていました。

なにもしないを優先させると、
動こうとすることもやめてしまって
なにもしないの意味が変わってしまいました。

動く、これから動く、
そう思いながらも、なにもしない。

これから動くであろう
手や足、全身に、動くよー、と
指令を出しつつも、なにもしない。

わたしにとってこれは
まあ、むつかしいというか、
できないことだったんです。

長い間、やっているつもり、
できているつもりでしたから。

なにもしない、ができた時、
あー、ずっと言われてきたことは
こういうことだったのか、と。

わかってしまえば、なんということはない
自転車に乗れるようになるみたいに、
他のことをしながらでも
できるようになるんです。

自転車に乗る練習って、
補助輪つけて、取って
誰かに後ろを支えてもらって
支えてもらっているつもりで
すいーっと進んで、あ、できた、
となりませんでしたか。

この過程って、レッスンでも同じです。


話は変わりますが、
アレクサンダーテクニークって
なんの役に立つの、と聞かれます。
自転車に乗ってなんの役に立つの、と。
同じように、乗れただけでも
楽しいものですが、
どこかに行くのが早くなる、とか
いろいろいいことあります。
アレクサンダーテクニークも同じです。

身につけたことを、どう生かすかは
それぞれ各々あるでしょう。ですが、
そこはわたしの役目ではありません。
自転車に乗れるようになることは
お手伝いいたします。
テクニックを身につける
お手伝いは喜んでいたします。

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