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休職に追い込まれたおじさんの日常 - 230915

昨日は、月1回のメンタルクリニックに行った。
現在の会社の人事から「診断書」を再度提出するようにメールが来ていたので、「診断書」を書いてもらい、また、「傷病手当申請書」の医師記入欄を記入いただくように依頼した。医師記入欄を埋めてもらった「傷病手当申請書」を入手するのは、10月上旬予定…しかも1回目の申請…ずいぶんと時間がかかるものだ。預貯金のない人は、どう食つなぐのだろう。。。

新しい会社での仕事

最初のクライアントは、恵比寿に日本支社を置く医療品メーカーへ、新システムの導入。たった4ヶ月程度だったが、インドにいるチームメンバーやクライアント側のApacを統括している偉い人(シンガポール)との交流があり、仕事内容は、毎日、長時間に及んだが楽しく仕事ができ、短期間のプロジェクトなのに送別会をしてもらい、プレゼントまでいただいた。

そのプロジェクトが終わると、すぐに外資系生命保険会社の新コンタクトセンターのプロジェクトにアサインされた。
ここのクライアントも、良い人が多く、ランチはお客さんと毎日食べるような良い関係を築けた。
残念ながら、クライアントのApacを統括しているところから、「日本だけで勝手にやるな!とお達しがあり、Apacを統括している香港手動のプロジェクトに変わり、私が作った設計書やプロトタイプ画面はゴミとなってしまった。

その後、外資系損保会社、外資系製薬会社を担当した。
外資系製薬会社を担当している時、我々の会社のインドにいるこのクライアントを管理している立場的に私(マネージャー)より偉い奴から「須藤がやっている仕事はマネージャーがやる仕事ではない。もっとジュニアで十分」と判断され、そのクライアントを去ることになった。

上記のジャッジに、納得できなかった私は、リクルートエイジェントとのやり取りをメインに、転職活動を始めた。
ちなみに、この会社には6年半程、お世話になった。

転職活動は、すんなりいった。給与はほとんど変わらないが、インド系の大手の2社からOfferをいただいた。
そのうちの1社が現在の会社だ。

その会社の評判は悪くなかったし、その会社に所属しているインド人(主にヨーロッパ方面の仕事に従事)もいたので、不安はなかった。
そもそも、この会社の前の会社と、ほとんど同じ仕事内容の会社だと思っていたので。。。


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