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『線路』

日が長くなったのと、このところ感染症が流行している影響で、明るいうちに帰宅することが増えた。
いつもの満員電車は1ヶ月ほどで一気に人が減った。

空間に余裕ができると、何気なく窓から外に目が向く。

列車が進む先、私の住む町の方向を見ると、山の中腹におかしな形の建造物を見つけた。

あれは。

柱の上にお椀を乗せたような特徴的な形状。
給水塔だった。

ということは。

その横に見える四角い建物が私の住むアパートだ。

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実家から通える会社に就職したはずなのに、はるか遠くの営業所に配属されてしまった。仕方なく一人暮らしをすることになった町は、まさに都会のベッドタウンとしての機能しかない、特徴のない地名のつまらない町だった。

駅のロータリーがあるかろうじて華やかな表口とは反対側の、裏口という言葉がふさわしい改札が最寄り。

駅舎の階段を降りると、町外れにある自宅アパートまでの薄暗い上り坂を歩いて帰る。歩道が狭いうえ坂道が多すぎて自転車にも向かない。
人口が増えたから仕方なく切り開いたであろう、面白みのない、なんの愛着も湧かない場所。

引っ越してきて間もないころ、朝日とともに柱のような細長い影がカーテンに差し掛かり、何だろうと思ってベランダに出て見つけたのが、隣の敷地に建つ給水塔だった。

コンクリート製らしき柱の上に、お椀を乗せたような見慣れない形状。

輪のように施された塗装もしらじらしく感じて、それっきりカーテンを閉じてしまった。日の出る時間はどうせ仕事で自室にいないから、景色は関係ない。

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あれから1年。

こうして客観的に、電車の窓から自分の暮らす建物を見るのは初めてだった。

満員電車はどこを向いても密着した人だらけ。苦痛から逃れるように足元を見つめ、帰りは酒臭さの充満する車内に気持ち悪さを覚えながら、なんでこんな目にあっているのだろうと、それだけを考えて過ごした1年だった。

どうせつまらない外の景色など興味もない。

人混みがなくなり空間の広くなった列車内で、明るい時間帯に移動することで初めてみた景色に、ランドマークとなる給水塔があった。

私の住むアパートの、下からは見えない屋根は赤色に塗装されていた。

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翌朝、朝日を受けた給水塔の特徴的な影が私の部屋の窓に射しかかる。

カーテンを開けて、ベランダに出る。

市街地の建物の合間を、長い列車が滑るように走っていた。
そこにあるはずの線路も見えないし、音も届かない。

自宅からも、通勤列車からも、お互い見えていたことにずっと気付いていなかった。

今日は一日中、天気がいい。
そして明るいうちに帰ってこられる。
気に入っているオレンジの玄関マットをベランダの手すりにかけて、布団バサミで止めた。
列車の窓から、このオレンジが見えるかな。

つまらないのは町ではなく、私の感性だった。

いつの間にか履き慣れたローヒールで駅までの坂道を下り、白壁に囲まれたシンプルな駅の階段を改札に向かって駆け上がった。

足も体も軽かった。

終(1223文字)

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