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『洗濯機』

長袖が苦にならない季節になった。

防護服のようなフード付きのツナギを着て、保護メガネをかけて、私は電動ノコを手にした。
長い木材を作業台に固定して、35センチに付けた目印の位置に刃を当てる。
木材を裁断する音が響き渡り、無数の木屑が飛び舞う。
聴覚と視覚は専有され、外界から私を遮断する。

木を縦に割るのは斧を使う。腰を落として斧を真下に叩きつける。
剣道の経験がある私は最初戸惑ったが、竹刀を振るのと斧を振り下ろすのは体の動きが全く違う。
刀のように斧を振れば、その重量でバランスを崩してたちまち我が身を傷つけてしまう。

無造作に散らばった薪を拾い集め、薪置き場に規則的に積み上げて作業はひと段落する。
ツナギを脱いで木屑を払い、作業小屋のハンガーに吊るす。

玄関から洗面所に直行し、汗ばんだ着衣をすべて脱いで縦型の洗濯機に放り込んだ。
蓋を強めに開け閉めするクセがあるため、折りたたみ式の蓋は心もとなくガタついている。ちょっと危ないな、と毎回思う。次はドラム式にしたいな。

薪ストーブの前を横切り、寝室で乾いた下着とシャツとズボンを身に付ける。
まだ少し火照った体を冷やすためにキッチンで炭酸水をコップに注いで飲む。無味無臭の炭酸水の刺激がシューと体を震わせる。
掃き出し窓からウッドデッキに出ると、庭木の葉はいつの間にか色を変えていた。
空を見上げる。雲ははるか遠くに見えて、少し冷えた空気が身にまとう。
一気に秋が深まった。

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移住するなら煙突のある家にしたいと以前からイメージしていた。
古民家を維持するほどの自信はなかったから、比較的築年数の浅いこの中古物件を見たときは運命だと思って即決した。
暖房は薪ストーブだが、それ以外の設備は現代的で過ごしやすかった。
IHシステムキッチンに作り付けの電気オーブン。水道はすべてレバー式。冬の凍結防止機能も電化されて容易に管理できる。
自分で持ち込んだ家電は、友人から中古でもらった炊飯器と、アパート暮らしの時から使い続けている縦型洗濯機くらい。
この洗濯機、考えてみたら10年近い付き合いになるんだ。

ある日、ついに洗濯機の蓋のヒンジが壊れてしまった。
飛び出した金具の形状を見て、あぁこういう仕組みだったのかと納得した。
金具を溝に収めて、割れてしまったプラスチック部分をガムテープで補強して、なんとか蓋として稼働する程度に修理した。仕組みがシンプルだと手に負える。

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近所で工務店を営むおじさんと仲良くなったついでに廃材をもらう算段をつけて、今日は軽トラックで乗り付けて荷台いっぱいの木材を持ち帰った。廃棄にも処分費がかかるから、無料でも誰かに引き取ってもらう方が工務店も助かるのだそうだ。
もらってきたばかりの不揃いの木材をひたすら35センチにカットする。聴力を支配する音量と視界を埋めて飛び散る木くず。電動ノコの世界にいた私は、訪問者に気付くのがずいぶん遅かったと思う。
人影に気付いて、手を止めた。

「おう」
逆光でシルエットになった彼は挨拶の手を上げた。

「いらっしゃい」
私は歓迎の意を込めて、保護メガネを持ち上げて肉眼で彼を見た。

ウッドデッキに腰かけてイヤホンをつけたまま景色を眺める彼を横目に、私は軽トラックの荷台から残りの木材を下ろして庭の一角に積み上げる作業に専念した。

一休みのため、キッチンからグラスに注いだ炭酸水を2つ持って、彼の横に腰掛ける。
「何を聞いているの?」グラスを1つを手渡す。彼は、あぁとグラスを受け取り、反対の手で私の側のイヤホンを外して貸してくれた。
イヤホンとグラスを交換した。
セカオワが流れていた。
この曲知ってる。

数学を専攻した彼は、大学院の研究室に籍を置きながら塾講師をしている。
人に迷惑をかけてないのに何が悪いと髪を染めたり、気に入らない教師の授業は徹底的にサボったり、普通なら表向き大人しくしていれば波風立てずに済むものを譲らなかった結果、普通より遠回りをして普通では届かない場所に立った。
そんな彼から数学を教わって、私は目指していた工学の道に進んだ。
昔から身なりを気にせず工具や配線を好んでいた私に対して、母親は女の子としての可愛げを説き、事あるごとに美しい妹と比較してきた。実家からは早々に離れた。
モノの仕組みを理解していると生活の大半をこなせてしまう。一人暮らしに工学の知識は役立った。

洗濯機の蓋が壊れて、ガムテープで補修して使っている話をした。
彼は、数学界で起きている出来事や塾講師としての体験を身振りを交えて生き生きと語る。
理論を極める彼の白い指はスラリと長く、細く綺麗な爪が伸びる。
工具を握る私の指は骨太で、丸い爪は土と油で薄黒くなっている。
私たちはそれぞれの適性を生かして生計を立てている。

2時間に一本の路線バスでは接続が悪いので、数キロ先の主要駅まで軽トラで送ることにした。
彼は嫌がらずに助手席に乗り込む。
アクセルを踏みながら、踏み込んだクラッチを解放する。回転数を合わせて、歯車が噛み合う感触と連動して発進する。ギアチェンジのたびにミッションの振動を味わう。
「運転うまいな」
彼が素直に褒めてくれる。
女性らしくないなどと意識させる言い方もせず、かといって自分が車を運転しないことで男の誇りを失うわけでもない。
お互い接しやすい関係だから2時間に一本のバスに乗ってでもたまに訪問してくるのだと私は勝手に思っている。

駅舎に入る前に彼はこちらを向いて手を上げた。
私も手を振って応えた。またね。

その夜、彼からメッセージが届いた。
「ドラム式洗濯機プレゼントって企画やってる」
URLをタップすると、誰もが知っているメーカーの時短家電キャンペーン情報ページが開いた。
欲しかったドラム式洗濯機!
電気店に行くたびに、今すぐ買うわけでもないのに機能やサイズチェックをしてしまう。
手前に開く蓋のサイズと動線は何度もシミュレーションした。
本当にこの家の洗面所にドラム式洗濯機が置かれて、それを使う生活が訪れたら!
私はたちまち心が踊り、応募テーマの『空いた時間でやりたいこと』を書いて即座に応募した。
「空いた時間で薪ストーブの薪を作ります!」

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道を挟んだ周囲の大木からも落ち葉が庭に舞ってくるので、レーキでかき集める。
複数の刃が地面に描く跡がなんだかいい。好きな作業の1つ。
腐葉土作りをするほどの労力はないけど、場所を決めて積んでおくと翌年には程よく土になってくれる。

体全体を使って調子よくレーキを動かしていると突然、先端の金具が根元から折れた。
普段、小屋の外に立てかけて置いていたのでいつの間にか劣化が進んでいた。
新しいのを買わないと。

分離したレーキの金具と柄はとりあえず作業小屋に置いた。
レーキのようにぽっきり心が折れた私は今日の仕事をする気がなくなって、家に戻り、脱いだ服を入れようと洗濯機の蓋をあける。中にはまだ干していない洗濯物が残っていた。
分かっているけど、干す作業に向かう気力がない。
明日にしよう。
洗面所のカゴに次の洗濯物を放り入れて、眠った。

*私は山のような洗濯物を洗濯機に入れる。
*蓋を閉めて、しばらくして開けると洗濯物が乾燥まで仕上がっている。

ステキな夢を見て目覚めた。

もしかして!と家電メーカーのキャンペーンページをチェックした。
公平な選定方法で、ドラム式洗濯機の当選者が決まっていた。
応募以来ずっと心が踊り続けていた私は、平常心に戻る。

縦型洗濯機の蓋をあけると、干さずにいた洗濯物が脱水された状態のまま残っていた。
固まった衣類をほぐして、もう一度すすぎをかけるためにガムテープが剥がれないよう注意しながら蓋を閉める。次は干さないと、着替えがなくなる。

自分で選んだ好きな生活をしていても、嫌なことは少し混ざってくる。
私の場合、洗濯物を干す作業にどうしても楽しみとやる気を見出せない。
数学の世界でもそういうことあるのかな。
想像して気を紛らわせた。

洗濯が完了するまでの間、あまり熱中しすぎない程度に焚き付けを作ることにした。
ツナギを身につけ、ファスナーを首まで上げる。
保護メガネをかけて厚手の手袋を装着する。
小屋の隅に転がしていた、折れたレーキの木製の柄を作業台に置いた。
35センチの目盛りに合わせて、電動ノコを当てる。
高回転のモーター音が一瞬響き、細い木の切れ端がコロンと音を立てて床に落ちた。

終(3,380文字)

【あとがき】
過去に書いた作品のリライトです。お題部分を書き直して再公開しました。
ドラム式洗濯機と軽トラ乗りに今も憧れています。

数学の彼の話はこちら。

こちらの主人公も同級生。


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