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写真について

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写真を撮ることや、撮ったものについてのnote集
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6時間の視覚的加算

胃は、咀嚼した食べ物を溜め込み、消化液と攪拌運動により食べ物をおかゆのような状態にして、下層の十二指腸へと少しずつ送り出していくそう。 消化器官と比べるのは医学分野の方々からすればいかがなものかと思われるかもしれないけれど、もしも目の働きが胃のように条件反射的に活動するとしたら… つまり、視覚を得られるのが、例えば一定以上の明度になった時だけ、とか。歩行だとか何かしらの動作をしている時にだけ、とか。いっそ人それぞれ胃下垂だったり形や位置が違うように、目の配置もきちんと前に

背景のある写真についての誰何

考え込まなくなった時に限って、ようやく答えは、残酷な形で現れてくれるんだとまたこの時も思わされた。 スナップ、ポートレート、記念、広告、報道。 これらの言葉の後ろには、違和感なく”写真”という語が据え置かれる。それぞれの写真行為には、成すに当たってめいめいの場合全くもって異なる目的と心境が(個々人に応じてでさえ)あるのは想像に難くない。 例えば、一般に、家族との「記念”写真”」は家族との愛を嬉しむべく行われるものだ。 その時にあなたが思春期の真っ只中にいたのなら、めんど

「写真」と「裸」を見つめると

スナップ写真ばかり撮っていたのは、ちょうど去年の今頃になるかと思う。 ライターとして独立することを目指していた最中、『執筆の時のイメージ画像も自分で撮れたら、「書けて撮れるライター」なんて売り出し方もできる!』 ちょうど業務委託でびったびたにお世話になっていた企業さんとの契約も〆どきだった。そんな軽い気持ちから、身を寄せているシェアハウスの片隅にあった一眼レフを手に、昼夜問わず都内のあちこちを撮り始めるようになった。 * 気がづけば今は、撮影スタジオで働き始め1年が経と

コーヒーと熱気と写真

東京レインボープライド2022。 幸運なことに開期最終日に予定のめどが付き、なんとか参加することができた。 余裕を持って日程を調整しておけばパレード参加者やプレス記者としてもっと深くイベントに入れ込めたかも知れなかったが、気ままな当日参加者としてでもきっと楽しむことができるだろう、という予感はしていた。 - 最終日にだけは必ず参加したいと思っていたのは、東京レインボープライド2022の事前申し込み者によるパレードを見てみたかったからに他ならない。 残念ながら確実に参加

怖いレンズと臆病な撮影者

私には、「怖いレンズ」があります。 それは、明るく撮れて、短く持ち運びしやすいレンズです。 便利そうですよね。でも怖いんです、使うの。 怖いものってどういうわけか、思いもよらないタイミングで「やってやろう」って気にさせてきますよね。ホラー映画とか、ギャンブルとか、ジェットコースターとか。 普段は35-105mmのズームレンズを使っていて、だいたい80mmあたりの繰り出しで撮影することが多いです。今日は、その、「やってやろう」を食らってしまい、単焦点50mmレンズでスナッ

写真についてのアイデア備忘録

写真を撮ることはもちろん好きですが、それにまして「写真についての考え」を肥やすことも重要だと常日頃考えています。 別段共有する必要もないわけですが、常々Slackにまとめている写真についての考えや発見を乱雑ながらまとめ書きしてみようと思い立ちました。 というのも、近頃、デジタルとフィルムの違いや撮影行為の作意、新たな撮影スタイルなどの知見がわずかながら自分の中で積もっていき、一旦整理したい気持ちがあったためです。 取り立てて統一性もなく、読み手にとっても有益な情報があるか

Photo Gallery - 「生み出され、取り壊され、そうしてわたしは循環する」

「在」るもの全てには理由があると、子を諭す大人は言う。 ただ、社会に出て多くの大人が痛感するように、その理由は、単なる周囲の勝手な要求に過ぎない。私利と無知が招くそうした要求は、法や人情という隠れ蓑によって覆い隠されているのだろう。童心の素直さに導かれそこにどうにかして理由を付与しようとするこの試みは、どういうわけか芸術的な意図へと還元され、再び何かしらの理由や原点を求められる。その繰り返しを、私は辿り続けるのだと思う。

目的的な「自撮り」

書き物をするとどうも毎度堅苦しい文体になってしまいます、岸本です。 今日は自撮り / セルフィー / セルフポートレートについて考えてみました。 みなさんは、自撮り / セルフィーをやってみたことはありますか? SNSのアイコンのため、とか、クレジットカードの認証のため、とか、僕の場合には必要に迫られて自撮りをしていました。ここ1年ちょっとの外出自粛期には家族や友人に元気な姿を見せたくて(勇気を振り絞って)自撮りを送ることが増えたようにもおもいます。 自撮り / セルフィ

二人は不安なだけだった

『ときどき、「なぜ写真を撮るのか」と考え出しシャッターを押す手を止めることがある』と友達が話していた。 スナップとポートレートが主の写真のようだけれど、彼はいずれにおいてもその発作を起こすのかどうかはまでは知らない。少なくともプロカメラマンが写真を撮る姿を目の当たりにする時、彼のような発作は決して起こさないだろうなと思い返す、それはそもそも撮ること / 撮るものに対して不安があるから、ではないか。 だけれど、写真に限らず、満ち満ちた自信を持って対象に向かえられることの方が

【メモ書き】|なぜ写真を撮ったのですか?

あなたがスマホやカメラで撮った最近の写真を相手に見せたとします。 するとその時相手が、『なぜこの時に写真を撮ったのですか?』と聞いてきたとしましょう。 さて、その問いに、一体あなたはどう答えるでしょうか。 またとない機会で、記念や思い出にしたかったから?誰かに見せてあげたかったから?メモとして記録しておきたかったから?… その写真を介して何かを伝えたかったから? 誰でも写真を撮ることができる時代、写真を撮る意味を個々人に問うのは無用の行いであり、自由であるべきだという考え

Film Photo Gallery #5 - Instant Fiction

1. Statement写真の本質は "被写体や映し出したその風景にある見えざる世界を「暴露」することにある" 、と『写真論』を著したスーザン・ソンタグは考えていた。 暴露というとネガティブなイメージを孕むが、その本意は、見えざるものを写しだすことにあり、主観的な「見られたくない / 知られたくない」といったものももちろん暴露の対象内にある。 そんな本質を持った写真は、モノクロ、カラー、デジタルカラーとその姿を時に沿って変えてきた。生まれたばかりの姿であるモノクロ写真では、

Film Photo Gallery #4 - 木とあれ水とあれ

● Statement生まれ育った地 鳥取を離れている間には、いつも思い続ける。「あの地ほどに自然が美しい場所はあろうか」と。 生まれ故郷が最も美しいと思うのは、いつであれ誰であれ、天地がひっくり返ろうと普遍の事実であり誰からも否定されるようなことは決してない。 中国地方の日本海に面した鳥取県は全国で最も人口の少ない県で、東京都の大田区や世田谷区よりもずっと少ない55万人だ。人口が少ないぶん、周辺は豊かな自然に囲まれており「潮風香れば日本海、空を仰げば大山(だいせん)」と、

Film Photo Gallery #3 - 海を臨む

● Statement 鳥取砂丘は日本海に面し、その豊かな土地柄から砂丘付近には賀露港や網代港などの漁港が点在している。(とはいえ砂丘の広大さゆえそれぞれがかなりの距離を隔てている) 使うフィルムや撮影の時間帯、露出のわずかな違いで、瞬く間に異なる姿を呈する海、そしてその恩恵を受ける漁港や砂丘。SDGsが叫ばれる昨今、「自然と共に生きる」ことを目指す以前に、その自然ありのままの姿にまずは目を向けてもいいのではないだろうか。 そんなことを思いながら、今回は、鳥取砂丘と3つの

Film Photo Gallery #2 - 街の背中

● Statement東京でスナップショットを始めて3ヶ月。 まだまだ具体的なコンセプトや撮影意図を掴めないままではいるものの 撮り集めた写真を見つめ返すと、「暮らし」「コミュニケーション」「闇」… そんな風に、いくつかのテーマがあることに気がついた。 今回はそんな(後天的に)見つけたテーマの中から、「街ゆく人の背中」というテーマのもと写真をまとめてみた。 純粋にストリートスナップ写真の基本ルールに則り結果街ゆく人の背中となったのかもしれない。ただ、その背中が物語る風景に