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”平均値”は基準になるのか?

■ 2024年 介護報酬改訂


2024年4月より介護報酬が改訂となった。

とは言え、すべてが4月で一気に変わるわけではなく、特に介護職員処遇改善加算においては国の通達や申請受付の時期などから段階的な改訂となる。

これまで3つあった介護職員処遇改善加算が今回より一本化され、事務手続きの簡略化や配分ルールも考え方が変わる。各事業所においては2025年まで見据えたベースアップが求められる。

しかし、相変わらず算定要件は複雑かつ不明瞭なことに変わりはない。

事業所ごとの事情や体制に合わせられるよう柔軟性を持たせているのだろうが、事業所によっては「自分たちはちゃんと要件を満たしているのだろうか?」と首を傾げているかもしれない。

特に今回の改訂において、旧介護職員等特定処遇改善加算(以下、特定加算)における「年収440万円以上の職員を1名以上」という要件が残っていることに何とも言えない気持ちを抱いた。

もちろん、取得する加算によってはこの要件を満たす必要はないが、この年収440万円以上という数字に対しては以前より疑問である。


■ 「年収440万円以上」の理由


いや、正確には440万円という数字の理由は分かっている。
これは全国の平均年収を基準にしているらしい。

要は「介護職は他業種よりも低賃金である」という話から、平均年収に近づけようということからの440万円以上ということである。

それでも全ての介護職員の年収を440万円になんて不可能であることから、要件として事業所で”1人以上”としているのだと思われる。

(本記事において加算の算定要件については、改訂前と改訂後が混同した文章にならざるをえず、また平均年収も当時と現在では異なることから、大雑把に捉えていただければ幸いである)

そもそも「介護職員は他業種よりも低賃金である」と言うわりには、その”他業種”とは何を差しているのか不明だし、”他業種”と言うわりに比較対象が全国の平均賃金というのも変な話だ。

私が疑問であるのはこの点である。

平均年収440万円という金額がどうこうではなく、賃金改善を考えるにあたり、なぜ全国の平均値を基準としたのか? ということなのだ。


■ 「平均値」は基準になるのか?


誰でも知ってのとおり、平均値と「は各データの合計値をデータ数で割った値」である。

例えば、その場にいる5人の体重の平均値を算出する場合・・・

Aさん:50kg
Bさん:45kg
Cさん:55kg
Dさん:60kg
Eさん:50kg

合計値:260kg ÷ データ数:5人 = 平均値:52kg

・・・となる。(簡単な算数ですが間違っていたら教えてください)

この場合、Bさんが少し痩せていてDさんがやや体重が多めと見えるが、平均値としては違和感を抱くほどではないと思われる。

しかし、ここでEさんが50kgでなく80kgだとしたらどうだろう?

合計値:290kg ÷ データ数:5人 = 平均値:58kg

・・・となる。何だか大きく変わったわけでないように見えるが、先ほどの平均値ではBさんとDさんが気にかかっていたが、この平均値だとAさんとBさん、そしてEさんの体重が気がかりという見解になる。

何が言いたいのかと言えば、平均値とは1つあるいは一部のデータの値が極端になると意味合いが変わることがあるという話だ。

こんなことは改めて言わなくても当然のことであるし、私が指摘せずとも色々な分野において多くの人たちが平均値を基準にすることに疑問を呈している。

――― が、それでも私たちはこの平均値というものを日常において比較対象として頻繁に活用している

それが介護職の賃金改善を考えるにあたり、全国の平均年収を基準にしたことにも繋がっているのではないか?


■ なぜ平均値を基準するのか?


では、平均値はデータの値によって意味合いが変わるリスクがあることを分かっていながら、なぜ私たちは平均値を日常で使うのか?

なぜ私たちは平均値を比較対象にするのか?

考えられる理由は以下が挙げられる。

① 平均という算出法しか知らない
② 平均に合わせたいという国民性

平均値というのは1つの統計の見方である。しかし、統計においては集めたデータおよびデータ数をもとに様々な算出法や集計法で検証できる。

度数分布や散布図などの何となく見聞きしたことがあるものもあれば、統計学の基本や少し難しくなった数学でしかお目にかからないものもある。

別にこれらを勉強しろという意味ではなく、平均値以外にもデータの算出法やグラフ等の表現法によって色々な捉え方ができることをお伝えしたい。

それに、仮に色々な算出法や表現法を学んだとしても、多くの人たちはまだ平均値で物事を比較すると思う。それは「平均レベルに合わせよう」「平均から外れないようにしよう」という国民性もあると思う。

それはそれで別に構わないが、自分たちの生きる糧である賃金を考えるときも平均値(平均年収)を見てしまうと、おそらく多くの人たちが「自分以外の人たちは年収440万円くらい貰っているか、私の年収低すぎ!」という不満を抱くようになってしまう。

そのような不満が多いことから、おそらく国としては平均年収という全国の平均値を目標にしているのではないだろうか? 

このように考えると、特定加算において年収440万円以上という金額を要件に設定した国に問題があるのか、自分の年収を全国の平均年収で比較してしまう労働者の視点の狭さが問題なのか分からなくなる。


■ 比較対象により基準を変える


別に平均値を基準にするなと言いたい訳ではない。

あくまで平均値は物事の捉え方の1つであると言いたいのだ。

また、平均値を全ての検証法に利用しようとすると、本来検証したいこととズレた解釈になってしまうリスクがあることを忘れてはいけない。

そこで色々な算出方法や表現方法があることを知っておいて損はないだろう。むしろ、平均値に対して疑問を抱いたら「別な見方をしたらどうだろう?」と思うことだって大切だ。

見方を変えれば平均値だってまた違った結果が出てくる。例えば、全国の平均賃金と自分が住まう地域の平均賃金は異なるはずだ。それは物価や地価、商業や産業などの違いなどあるから当然のことと言える。
それに気づくことができれば、全国の平均賃金と比較することを見直す機会にもなるかもしれない。

まぁ、それでも全国の平均年収に近づけたいというならば、それはそれで向上心があって良いと思う。きっと現代において年収440万円以上を得られるならば、社会においてそれなりに価値あるレベルの存在になっていることだろう。

逆に言えば、現代において年収440万円以上を得るということは、それくらいのスキルや責任(リスク)を負うという覚悟は必要であることは、お伝えして記事を締めようと思う。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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