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人間関係は幸福と関係するが、無理に誰とでも親しくなろうとしなくても良い

■ 人間関係と幸福は相関するらしい


幸福に関する研究は色々あるが、いずれも共通していることとして、良質な人間関係が幸福な人生を送る要素と位置付けていることだ。

良質な人間関係の定義を説明するのは難しいが、例を挙げれば「一緒に過ごした家族を誇りに思う」とか「自分がどんな状況でも変わらず接してくれた友人がいた」といった感じだ。

お金と幸福に関する研究もあるが、ご存知の方も多いように、お金(年収なや資産など)は一定額を超えると幸福度は頭打ちになるらしい。
また、仕事で大きな成果を出したり、社会的に絶賛や評価されることは、一時的な満足を得られるが、人生の幸福にはつながらないようだ。

つまり、人生においてお金や仕事などは大切であるものの、幸福という話となると、誰もがうらやむキャリアを積んできた人より、そこそこの年収でも人間関係に恵まれている人のほうが良い人生、という話である。


■ 幸福の考え方は人それぞれでいい


あくまでこれは幸福というものの研究の一側面であり、幸福というテーマにおける様々な研究で人間関係というワードが共通している、というだけのことと思ったほうが良い。

そうしないと、「私は誰かと関わる機会が少ないから不幸なのですか?」「職場の人間関係がうまくいっていないと、人生は終わりですか?」といった誤解をされる人が出てしまう。

幸福の考え方は人それぞれで良いし、幸福でピンとこなければ、楽しさの定義は個々によって違うと思えば良いと思う。

あえて言えば、SNSで発信して”いいね”を貰うといったことは人間関係にカウントしないほうが良いだろう。幸福度を数値化や指標化する取り組みはあれど、不特定多数からの”いいね”を幸福の基準にすると、”いいね”をもらうこと自体が目的となってしまう。

それは果たして人間関係が良質と言えるのか?


■ 人間関係を好まない人もいる


また、人間関係は大切と分かっていても、多くの人は人間関係づくりが苦手である。話をするのは好きであっても、人間関係が良質であると自認する人は少ないと思う。

そのため、良質な人間関係づくりをしようとするがあまり、ぐいぐい他者と関わろうとするのはお勧めしない。

そもそも、人間関係を好まない人もいることを忘れてはいけない。
これは人間関係が苦手でなく、意図的に人間関係の幅を広げたくない人を意味する。

例えば、私は介護サービス事業を営んでいるが、利用者たる高齢者との関わり方は千差万別だ。積極的に介護者と話したい・関わりたいという方もいるが、あまり関わり合おうとしない方もいる。既定のサービスだけ終えて時間になったら、とっとと帰ってほしいという考えの方もいる。
介護施設でも、レクリエーションやスタッフとの会話を笑って楽しまれる入居者もいれば、利用者の輪に入りたくない・居室でずっと過ごしたいという方もおられる。

それは介護者としては尊重すべきことだと思う。いくら人間関係が大切とは言え、介護を受けるということに恥を抱いている人もいるだろうし、「年寄り扱いされたくない」という人だっているだろう。

もちろん、ご本人の生活に張り合いや意欲をもって欲しいとは思うが、介護者の視点での人間関係づくりを強要するのは違うと思う。


■ 仕事だけの関係でもいい


個々のプライベートにおける人間関係の考え方が尊重されるべきであるように、職場内の人間関係だって強制されるものではない。

確かに良質な人間関係が構築されていれば、お互いの業務を共有しやすいし、仕事も頼みやすい。悩みが合ったら相談しやすいし、ちょっとした雑談を気楽にできれば仕事に行くのもプレッシャーは少ない。

しかし、仕事における人間関係は仕事だけで良いと思う。
そもそも、基本的な関わり方できるように組織や役割分担があるのだし、報連相というコミュニケーションがある。

もちろん、報連相をしにくい、ちょっとした悩みや雑談ができないほどギスギスしている職場もある。それでも、「まあ、これも仕事だし」「とりあえず自分の担当をやって給料もらえればいいし」と割り切れば、あくまで仕事だけの関係性で十分だと思う。

そこで会社や職場で「スタッフは家族だ」「チーム一丸となろう」「悩みがあったら何でも相談して」なんて言われても、望まぬ人間関係の押し付けになり、逆に居づらい職場と思われるかもしれない。

もしも、職場内で個々に関係づくりをしたいならば、それは個々にやればいいだけの話だ。出世のため、仕事を円滑にするため、雑談仲間を増やすため、仕事を楽しくするため・・・動機はそれぞれで良い。

「自分はそこまでの人間関係を欲しない」ならば、それはそれで良いだろう。但し、人間関係づくりをしないまま仕事で何かしらの便宜を得たいと思っても、そこまで期待は叶えられないと思おう。


■ 挨拶だけの関係でもいい


何も人間関係なんて最低限で良いと言いたいわけではない。
人間関係は大切であり幸福に関わるとは言え、そこをあまり気にしすぎて無理に人間関係づくりをすることもない、と言いたいのだ

上記でもお伝えしたが、幸福は人それぞれで良いのであって、人間関係は幸福の要素の1つである。人間関係に重きを置く必要はないと思うならば、それもまた尊重されるべき生き方である。

とは言え、そこそこの人間関係づくりはあったほうが良いと思う。それは別にお歳暮を贈ったり、年賀状をちゃんと送るべき、つまらない会話に愛想を振りまくという話ではない。

そこそこの人間関係というのは、せめて「挨拶」はちゃんとしていれば良いというレベルの話だ。

ご近所さんでも職場の人でも、朝はじめて顔を合わせたときくらいは、わずかでも口角を上げて「おはようございます」と言うだけで良い。
仕事中だったら「お疲れ様です」「お願いします」「ありがとうございます」「すいません」くらいでいい。誰でもできる。

しかし、実際にはこの誰でもできる挨拶をしない人もいる。だからこそ、人間関係づくりの話をすると困惑する。幸福の要素をつぶしている。

逆に言えば、挨拶からスタートすれば人間関係づくりのきっかけになる。
何度も言うが、人間関係を大袈裟に考える必要はないし、特別な何かをする必要もない。

まずは1日1回、スマホ同士のやりとりでも良いから、挨拶を交わすだけの小さくて無理のない人間関係を積み上げてみてはいかがだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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