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初心の花~世阿弥『風姿花伝』より

久しぶりに世阿弥の「風姿花伝」を読了。

世阿弥が弟子や後世に伝えた耽美たる極意は『初心忘れるべからず』であり、秘伝中の秘伝とされている。
(所謂ここで云う初心とは、=beginnerではなく、初心の花を持つ者を指す)

キーワードのひとつとして「時分の花」があるが、時分の花の趣旨としては…

「人間の最高の美というのは、ほんの一瞬に結晶化される(それを「止結」という)のだが、その美しさはとどめようとしてもとどめることができない。演者はいつもその『時分の花』のことを思い、徹底的に極めていかなければならない。」

と述べている。

さらに…

「いつもその『時分の花』に恋い焦がれ、いつもその『時分の花』のことを思い、いつでもその『時分の花』を生み出せるよう徹底的に極めていこうとする姿勢、その前のめりになってがむしゃらに取り組む姿勢そのものを究めていこうとしたときに『初心の花』とでもいうべき花が生まれてくる。」

(中略)

「演者はいつもその『時分の花』のことを思い、決して自分の芸におぼれることなく『初心の花』を心がけていくことによって、やがて肉体的な美は失おうとも、『まことの花』というものに至ることができる。」

と説いている。

「時分の花」「まことの花」を追い求める為には、「初心の花」を極めていかなければならない。

他の文化風俗でも散々述べられているが、世は常に無常である。

月の満ち欠けの様に、満ちたものは必ず欠け始める。真円はいつまでも円ではない。物事も制度も技術でも、総じて何事に於いても、極めた瞬間に必ず衰退がは始まる。

栄枯盛衰を紐解けば限りないが、無常を繰り返さないためにも『時分の花』が必要であり、常に『初心の花』を活け続けていく事が、研磨幾星霜の心得であるという事である。

まさに深淵の境地、魄領の域。
自らの現在地と「極」の世界と乖離を痛感する霜月の朝。