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療養と仕事。欲しいものはなにか。


最近は仕事について考える事が増えた。

療養と働くこと。

無職になってからの療養期間が半年を迎え、体調は不安定なときもあるけれど、薬の効果か、かなり落ち着いてはきた。

こうして生活が安定してくると、次の仕事について考えるようになる。

いつまでもこの状態のままでは良くないだろうと考えるからだ。

しかしここで焦ってはいけない。いろんな記事にも、主治医にも同じように
「落ち着いていきましょう」と言われている。

だからなるべく考えすぎないようにしているのだが、療養中はとにかくやることがない。

家の家事、炊事や洗濯、掃除をこなして散歩に出かけたりはしているが、それでも時間は余ってしまう。
贅沢な悩みだとは思いつつ、当事者にとってはかなり頭を抱える問題である。
なぜなら、この何もすることがない時間は、虚無感や無価値感を連れてくるからだ。

そしてこの虚無感たちが、このままではいけないという焦燥感を連れてくる。

そうして、その焦燥感にかられて落ち着かなくなり、仕事について漠然と検索し、よくわからないと言いながらうなだれる。

これを最近は繰り返している。

落ち着きたいのに、落ち着けない。

未来が見えないことに不安を感じているので、一番の解決策は予定を立てるなのではないかと考えている。

なので最近は就労移行支援の事業所に見学に行ったり、体験に申し込んだりして、時々外出するようにしている。

ただ、行くたびに疑問に思ってしまう。

どうしてそこまでして働かなくてはならないのか。

なんのために働くのだろうか、と。


働く目的。

どうして働くのか。大きく分けて2つあるように思う。

一つは安定した生活を得るため。
もう一つは生きがいを得るため。

安定した生活は、お金や規則的な習慣によって得られる。働くことで、生活にリズムが生まれ、また一定の収入があることで生活の基盤を固められる。

生きがいは、人との交流や新しい発見などの気づき、興味関心といったものによってもたらされる。職業という環境はそうした人や物や体験を引き寄せてくる。

これらの理由から、人は仕事を求めることになるように思う。


欲しいものは何か。

漠然と働きたいと考えている。しかし、実際に欲しいのは仕事だろうか。

私は、やること、やりたいことが欲しいのではないかと思う。

声に出してやりたいと言えるようなものを欲しがっている。

興味関心が、知的好奇心が薄れてしまったいまの私には、この「やりたいこと」を探すのがとても難しい。

やりたいことを探す、というのがやりたいこと。と考えることもできるのだろうか。

そうだとすれば、私はいま、やりたいことを探せているのだろうか。

よくわからなくなってきた。



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