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ジャマイカ探訪-ネオコロニアリズム

神奈川大学外国語学部英語英文学科です。学科の先生によるコラムマガジン「Professors’ Showcase」。今回は、社会言語学が専門の源邦彦先生による「ジャマイカ探訪-ネオコロニアリズム」です!


2023年1月30日(月)から2月10日(金)まで、ジャマイカの言語政策を調査するため、ジャマイカの首都キングストンを訪れた。2016年8月初旬西インド諸島大学モナ校で開催されたSociety for Caribbean Linguistics (SCL)の年次大会に参加して以来の久しぶりの訪問であった。期待と不安の両方を感じ取りながらも、久しぶりの訪問で期待がはるかに勝っていた。
 
ところが、待ち受けていたのは苦難の連続だった。まずは、久しぶりの国際線への搭乗である。アメリカ合衆国の諜報機関のウォッチリストに私の名前が載せられているのだろうか、信じられないことが身の上に降りかかった。搭乗口を通り抜ける際、突然大きなブザーが鳴り響き、赤ランプが点灯した。そして何の説明もなく薬物の取り調べを受けることになった。突然のことで唖然としてしまったが、白人社会による人種差別と真っ向から闘う運動家や学者が直面してきた数々の困難を思い起こしすぐに気を取り直すことにした。わたしが研究対象とするアフリカ人奴隷子孫の運動家や学者は、米政府からさまざまな脅しを受け、不当に逮捕され、場合によっては暗殺されもした。この時に思い出した人物は、カナダの学会からジャマイカへ帰国しようとしたところ、米英政府と協力関係にあったジャマイカ政府から入国を拒否され、その後出身国であるガイアナで米英政府と協力関係にあったガイアナ政府に暗殺されたウォルター・ロドニー(1942-1980)であった。かなり大げさに聞こえるかもしれないが、これまでの史実を客観的に振り替える限り、わたしもどこかで入国拒否をされたり、職業を奪われたり、家族を事故死させられたりするのではないかと頭をよぎることがある。

故ウォルター・ロドニー博士 (Source: Walter Rodney Foundation)

とはいえ、何とか無事航空機に搭乗できた。離陸後はほとんど睡眠もとらず現地調査の準備をしたが、久しぶりのジャマイカ訪問で興奮状態にあったのか、まったく疲れを感じなかった。そして20時間ほどが過ぎ、ジャマイカのノーマン・マンレー国際空港に到着し、入国審査を通過した直後に次の難局が待ち構えていたのである。

ノーマン・マンレー国際空港 (Source: NMIA Airports Limited)

約束したはずの宿からの運転手が空港にいないことに気づいた。しばらく待つことにしたが一向に迎えが来ない。さすがに焦った私は宿に連絡をしたところ、なんと宿泊開始日を誤って次の日に予約を入れていたのである。今回は明らかに諜報機関ではなく私自身によって降りかかった災難であった。野宿も覚悟したが、殺人率が世界で最も高い国である以上心配をした宿のご主人が知人に連絡を入れ、急遽私をその知人の宿に泊めてもらえるよう手配してくれたのである。次の日に来るはずだった運転手をすぐに手配してもらい、その知人の宿に到着した時はこれまでに感じたことのない安堵感を覚えたものである。
 
しかしいつまでもこれらのことに右往左往しているわけにはいかない。次の日からは毎日西インド諸島大学モナ校の図書館と言語学部ジャマイカ語課に通い、資料収集とインタビューを実施しなければならない。次の日はすぐに予約を入れてあった本来の宿に移動し、早速連日の調査活動に備え、生活用品や食品を揃えるため地元のスーパーに向かった。宿から出ると小川が流れその橋の上には地元の猫が一匹佇んでいた。

宿からゲートまでの途中にある橋の上で佇む猫

我が家の愛猫(くるみ)はどうしているだろうと寂しくなったが、しばらくはこちらの猫さんたちにお世話になることにした。さて、猫に挨拶をした後は通りに出てスーパーまで歩くことにした。スーパーまで向かう途中の景色は二つの別世界が広がる。一つは少数の裕福な人々しか住むことのできない丘の上の大きな家屋が建ち並ぶ地域とその近くに位置する外国人が中心に住む高級アパート、もう一つの光景はおそらくは一世紀以上もそこにあり続けているのではないかと思わせるような低層の家が互いに隙間なく並んでいる。後者は、ジャマイカに限らず、南アジア、(一昔前の)シンガポール、アメリカ合衆国内のゲットー地域など旧米欧植民地によく見られる光景である。

夕暮れに映し出された庶民の家屋が重なり合うように所狭しと建ち並ぶ

所狭しと建ち並ぶ家々の横を走る坂道を15分ほど歩き、アメリカ大使館の近くにあるスーパーに到着した。どことなく以前見たことがあるような外見と内装で、いったんスーパーに入るとアメリカの巨大スーパーチェーンと同じような品揃え、棚の配置、レジに目がとまった。しかしもっとも目を引いたのは品物の価格である。アメリカのスーパーで購入するよりも3~5倍はする値段でさまざまな品物が売られていたのである。それだけではない。ソーセージやベーコンなど加工肉はすでに消費期限を過ぎたもの、あるいはもう数日で期限切れになるものだけが売られていた。とくにこれらの肉食品はすべてわたしがアメリカに住んでいた時に購入をしたものや見たことのあるものばかりであった。アメリカで使い古されたスーパーの機材だけではなく、売れ残った食べ物までも送り込まれ販売されていたのである。
 
ジャマイカは1962年に英国から独立したが、社会主義政権を樹立しようとしたとたんに米政府から制裁を受け、1980年以降今日まで米国には逆らうことのできない、経済的には極度な依存関係にあるといえる。このスーパーで起きていることの真相はわからないが、米国が求めるボーキサイトやコーヒーなどの一次産品を輸出し、第三次産業の観光業では米国人をおもてなし、そして通常では食すことのできない状態のものが米国から輸入され販売されているのである。少数の人々が政治、経済を支配し、ほとんどの国民は労働者、あるいは、定職や家すら持たない貧困者である。地元の人の話では、政府は家のないジャマイカ国民が全国民の20%程度であると公表しているそうであるが、実態は60%ぐらいはそのような国民ではないかということであった。
 
今ジャマイカは名目上は独立国であるが、今も米欧の支配下に置かれている。この米欧諸国の言語のひとつである英語が支配している社会である。英語を通して経済、政治、教育、宗教、メディアなど国民にとって重要な諸制度が少数の国民そして国外人によって支配されている。米欧の言語学者の一部はジャマイカを英語使用国に位置づけているようであるが、実態は英語を母語としている人はごくわずかで、国民の大多数がジャマイカ語を母語として使用している。次回の私のコラムでは、このジャマイカを代表する言語、ジャマイカ語についてお話をしたいと思う。

記 源邦彦


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