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「妹みたいなものだから」(いただいた言葉は宝物) その1

 今さらながら、よく私の思いを受けとめてくださったな、と時々思う。
 そんな義務も関係性もない私なのに、今でも大切にしてくださっている人のことを、今回は書こうと思う。
 今まで私が書いて来たのは、最終的には生きるための希望を伝えるためのメッセージではあったけれど、辛かった幼少期のドロドロとしたできごとや毒母を始めとする信用できない大人についての内容ばかり。そんなのばかりを書いていたら、私までもが母と同じく、ものごとをネガティブにしか捉えられない人間と思われたとしても、しかたがないと思う。
 でも、どうかそうは思わないでほしい。                                違うから。                                  そうでないからこそ、今の楽しい毎日がある。
 そんな辛い日々から抜けだすことができたのは、いつも書いている能天気に明るい夫の広大のお陰とともに、今回書く城石先生の影響もすごく大きい。
 城石先生は、息子たちが通っていた小学校の校長先生だった。今はもう定年退職されて75歳を超えてはいるけれど、何かの誰かのお役に立てたら・・と何校かの学校のカウンセラーをしている。
 その小学校は、ミッションスクールだったから、保護者も聖書を学ぶ時間などがあった。また、城石先生は、                                         「私は皆さんをクリスチャンにしようなんて思ってはいませんよ。だけど、お子さんの在学中だけでも礼拝に出席して、和やかなひとときを過ごしてくださったら、と思っています」 
   とおっしゃっていた。                                                                                                                      聖書の時間も、最初のうちは大盛況で、教室に入りきれず立ち見の人が出るほどだったけれど、一人減り二人減り、年度の終わり頃には、ほど良い出席人数になっている。
 実は、学校見学の際にすでに城石先生の子供に対する色々な話を聞いた時、
「ああ、この人についていこう」 
 と勝手に決めていた。
 その頃は、長男の翼も自我が芽ばえてきて、いくら虐待しないと決めていても、時々クラっとなるくらいに困ることはあった。
 朝起きないので起こすのがひと苦労。夜は、楽しいことがあると目がらんらんと冴えてきて、寝るのを忘れてしまう。
 ここで押さえつけて無理矢理従わせることもできたのだろうけれど、自分がそうされた嫌な経験があるので、どうしてもできない。
 いきおい一人で悩むことになってしまう。甘い! と言われれば、それまでなのだけれど、私はどうしても服従以外の方法で子供を育てたかった。ある意味、そう考えるのも、親のエゴではあるのだけれど。
 城石先生は、保護者に時間に色々な話をしてくださった。

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