教師の心の表と裏(見せつけられた娘の私)その17
息子たちの学校の先生にも色々なタイプがいて、たとえば保健室の先生は最初に、
「調べて何もなかったから、一応報告しますけど」
とまずこちらを安心させてくれてから、ケガなり病気の説明に入ってくれたものだ。
とてもありがたかった。
ただでさえ、学校から電話があれば何があったのか、とドキッとしてしまうので、この言い方は見習いたいと今も思っている。
反対に、一番伝えるべきことをなかなか言わない先生もいた。まどろっこしくて、
「良い話なのか悪いことなのか、先に言って!」
と思わず言いたくなってしまう。
何回かそんな思いをした後に電話ががかかって来た時、
「あ~良かったです。悪い話かと思ってどきどきしちゃいました」
と大袈裟に言ってみてからは、最初に、
「良い話です」
と前置きをしてから話すようになり、助かった。
どこをデフォルメするかで相手の気持ちをかき乱す恐れがあるわけだけれど、母はその天才だった。
この給食の話も「毒」などという言葉を使うべきではないのだ。
でも、使わずにはいられない。
なぜなら私に、
「お母さん、大変だったね。だからそんな学校に行きたくなかったんだね」
と言ってほしいから。
強い承認欲求のかたまり。
それを受けとめているうち、娘である私は、自分の承認欲求を満たしてくれる人がこの世には存在しないことに気づき、いきおい自己肯定感が低くなってしまうのだった。
立場がまったく逆。娘の承認欲求は、無視。自分だけ「もっともっと」とせがんでくるのは、毒親の常だけれど、本当に大変だった。しかも当時の私は、このようなからくりに気づいていないわけで、ただただ孤独を募らせるだけだった。
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