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「妹みたいなものだから」(いただいた言葉は宝物) その3

   小学校では、毎年バザーを開催していて、クラス単位で父母による露店を企画した。カレーや焼きそばを作ったり、不用品を売ったりして、親睦を深められる一方、ありがちだけれど、揉めごとも勃発してしまう。
 お互いに良かれ、と思って進めているのに、何か行き違いがあって険悪になってしまうのだ。
 ある年、クラスでトラブルが起こった。バザー委員の私は、終了後の後片付けの時、他の委員言い合いになってしまっていた。校庭にいたのだけど、ちょうどそのタイミングで、城石先生がやって来て、
「お疲れ様~」
 と握手をしてくれた。乱れた心を一瞬にして静め、無理矢理笑顔を作って、握手に応じた。せっかくの楽しいひと時に水を差すまい、と思ったから。
 数日後、聖書の時間があった。終了後、廊下で先生を呼びとめて、
「先生、バザーの時はすみませんでした。せっかく労いに来てくださったのに、その時ちょうど揉めていて・・・」
 と言った。謝ろうと思ったのだ。
「え。全然気づかなかった。どうしたの?」
「・・・ちょっとした意見の食い違いで。でも話し合って、今はもう和解していますから」
 私は、答えた。
 先生は、それなら良かった、というふうに少し微笑んだ。
 そうして、なんと!
 ハグしてくれた。
 断わっておくけれど、まったく他意のない純粋なハグだ。たぶんクリスチャンの人でなければできない行為だとは思うけれど、母親に一度もハグされたことのない私にとっては、まさに「魂のハグ」だった。涙ぐみそうになるのを、必死にこらえたことを覚えている。
 城石先生は、こんな性格なので、私のようにファンになる保護者も多かったけれど一部、
「口先だけで、何の対策もしてくれない」
 とか、
「祈ってますって言うだけなら、誰でも言えるのよ」
 などというアンチの父母もいた。そんな人たちが、このハグをみたら、相当に危険だと思う。
 でも私にとっては。
 本当に本当にありがたく、嬉しい行為だったのだ。
 息子たちの在学中は、隙あらば城石先生と話そうと、先生が一人でいる時を狙ってよく話しかけたものだ。人気者の先生は、あちこちで色々な人に捕まり、話しかけられていた。
 何度かアンチの父母とトラブルになっていたこともあった。どう見ても、父母の方が自分勝手な言い分を通そうとしていたので、思わず間に入って先生をかばったこともある。
「そういう意味で言ったんじゃないと思うよ」
 とボタンのかけ違いを直したこともある。それで、少しは状況が和んだこともあったので、城石先生は、
「いつも助けてもらってるんです」
 と私のことを夫の広大に伝えていた。畏れ多い・・・。
 いいえ。
 助けてもらっているのは、私。年上の人にまったく頼れない幼少期を過ごしたので、私は城石先生の中に父と母を見たのだと思う。

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