ああ、わかりあえない、と知った日。(義妹の人生にも思いをはせてみる) その2
志穂と初めての顔合わせの日、広大は仕事があって欠席した。カジュアルなフレンチレストランで和やかに食事をしたけれど、なんとなくぎくしゃくした雰囲気が漂っていた。
やはり義父は、宗教のことが引っかかっていたのだろう。いつもは自分の武勇伝を声高に話すくせして、この日はほとんどしゃべらなかった。義母は、その点はあまり重要視してはいなかったけれど、大河のことを呼び捨てにしたり、軽々しく膝に触れたりする志穂を見て、焼もちを焼いたようだ。
「呼び捨てなんかしちゃって・・・」
志穂と大河が退散した直後、拗ねたように呟いたのを、私は聞いてしまった。
結婚式は、大きな老舗の会場で行ったのだけれど、下見の時両家の母親も同行したらしい。
後日、
「あちらのお母様、すごかったのよ。私途中で怖くなっちゃって~」
と義母が言っていた。あの自分勝手でやりたい放題の義母をして怖いと言わせる人とは、いったいどんな人だろう。
聞けば先方スタッフと予算の件で打ち合わせしている時、
「志穂! 電卓!」
と命令口調で言い、志穂はバッグの中から電卓を出してきたと言う。
ことわっておくけれど、スマホではない。電卓だ。当時はまだスマホは発明されていなかったから、家から電卓を持ってきていたわけだ。
がめつい、とも経済観念が発達している、とも言える。この段階ではまだ会ったことはなく、ましてや毒親だと思ってもいないので、義母の報告を聞き流していた。
様々なエッセイで書いているけれど、私は結婚当初何かと言えば呼びだされていた。
郊外の社宅に入居する義弟夫婦の引っ越しの手伝いにも、かりだされた。
志穂は当時、趣味で食器を集めていた。ウエッジウッドのシリーズがたくさんあった。
特に「コロラド」がお気に入りだったようで、カップ&ソーサーや、ケーキ皿、スープ皿など色々なアイテムを揃えていた。20代半ばだったので給料を切り詰め、少しずつ買い揃えていたのだろう。
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