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「妹みたいなものだから」(いただいた言葉は宝物) その4

  両親がしてくれなかったハグが、こんな形で叶うなんて奇跡のようだった。
 教師だった両親が、無神経に私に見せつけてくる汚い大人の裏側。教師ならではの状況も多々あったので、私は長い間先生という職業を信頼することができないでいた。
 けれども城石先生によって、その思いは完全に消えた。先生の中にも、信頼して良い人はいる、と思えるようになった。
 息子たちが、小学校を卒業しても私の城石先生への思いは変わらなかった。敬虔なクリスチャンである先生は、毎週礼拝に出席する。そのことを知っていた私は、時々先生が通う教会を尋ねた。礼拝堂で私を見つけると、満面の笑みで近づいてきて、
「元気でしたか?」
 と声をかけてくれる。そうして教会の2階で振るまわれる持ち寄りの昼食会へと招待してくれるのだった。
 私は、翼が入学した時、まだ2歳だった次男の湊を連れて教会に通っていた。湊が楽しめる幼児クラスを担当していたのが、城石先生の奥様で、だから私は奥様とも顔見知りだった。
 城石先生もだいぶお年を召して、お元気そうだけれど、奥様は、
「あんなふうだけど、実はすぐ疲れちゃうのよ。やっぱり、年齢はごまかせないわよね」
 と、こっそり本当のことを教えてくれたりする。こんな私を信じて伝えてくださるのも、申し訳ないと思いつつ、校長先生という仕事は本当に激務だったんだな、とその日々に思いを馳せる。在職中に心筋梗塞を患い、幸い軽かったけれど休職もされていた。
 ここで、実の父も校長職を勤めたこととリンクしそうなものだけれど、そうはならない。なぜなら実際に見たことがなくたって、父は城石先生の1/100も生徒や教師、果ては保護者に心を砕いていたとは思えないからだ。    嫌々やっている感じが、伝わってきて、                               「だったら、どうしてわざわざ試験を受けてまで校長になったのだろう」            と疑問に思っていたくらいだ。
 城石先生は、時間が空いたら子供たちと遊んでいたし、よく卒業生が訪ねてきて長時間話していくのを何回も見かけたことがある。
 聖書の時間での言葉で、忘れられないものがある。
「朝起きると、今日はどんなことがあるだろう? 子供たちとどんな楽しい一日を過ごせるだろうって考えるだけで、わくわくしちゃうんです」
 ある日、城石先生はこのように言った、今でこそ、私もそんなふうに考えられるよう訓練によってだいぶ変わってきたけれど、翼が入学した当時は、まだまだ損得勘定で動いていたので、本当にびっくりした。
 なんて、ポジティブ。
 こんなふうに考えられれば、きっと人生楽しいに違いない。
「そんなふうに思いたいけど、現実は辛いことがたくさんあるんだから、無理無理」
 とまでは思わなかったのは、今から考えると不思議、ほんのわずか、ポジティブに考える下地があったからかもしれない。この言葉は、ターニングポイントの一つだったのは、間違いない。
 真っ暗な幼年期を過ごしてきて、希望の一つもなかったけれど、何でも明るく考える広大によって私の中身はかなり変化していたことも良い相乗効果になっていたと思う。
 だから城石先生の言葉を聞いて、素直に、
「私も真似してみよう」
 と思えたのだ。
 一つプラスのことが起こると、次もまたプラスに働く。そうして気づけば、あのマイナス思考の実家の人たちとはまったく違う考え方をするようになっていた。
 本当は、とても簡単なことなのかもしれないけれど、マイナスのエネルギーのぬるま湯にひたり、一生文句を言い続けたい人にとってはプラスエネルギー保持者の存在は、迷惑なのだ。
 なぜなら居心地の良いその湯にずっと入っていることに、異を唱えるから。
 城石先生のお陰で、毎日朝を楽しく迎えられるようになった私は、だから先生の通う教会への半年に一度ほどの訪問を楽しみにしていた。

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