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その手があったか!孤独死の「SOS」を学んだ件

売上20500円/3h、声をかけた人数50人、購入者8名、2023/8/15


はじめに

みなさんこんにちは!
フルーツボーイ中村です。

自称「哲学実践家」を名乗っている私は

学んだ哲学は自分の人生に生かすもの

これをモットーに、大学時代に研究したスピノザの考えを日常生活で実践して自らの血肉にしようとしています。

さて、今回は人と人のつながりから見えた人間の本質についてお話しします。単体の「人」ではなく、繋がりの意味を含む「人間」についての考察になります。

是非、最後までお付き合いください!

3か月会えなかったお客様にやっと会えた。


さて、本日は三鷹市上連雀(かみれんじゃく)。都営団地が密集している団地群に一人で住んでいる90歳くらいの女性、Yさんのお話です。

実はこのYさん。3か月くらい前からインターホンを押しても反応がなく、もしかして何か不幸が、、、?と思いながらそれでも訪問を続けていました。
この時も同じように、インターホンを押すと、なんと反応が!

「あらー、お久しぶりね~」

何事もなかったかのように出迎えてくれたYさんですが、
あまりの長期不在が気になっていた私は

「Yさんずっと不在でしたけど、何かあったんですか??」

と聞くと

「あー入院してたのよ~」

と明るく答えてくれました。
入院の経緯は以下の通り

家の中で足を滑らせ転倒。
その際、頭を強く打ち気を失う。
意識は回復したが、足を骨折しており、動けず2日間経過。
このままだと、ヤバいと思ったら、、3日目に5階のおばさんがドアをノックしてくれ(Yさんは2階)、大声で叫んだところ、助けてもらえた。

とまぁ

九死に一生レベルの体験をとても明るく喋ってくれたのですが、私には衝撃的だったので、突っ込んで詳細を聞いてみました。

ポストに入りきらなくなった新聞紙がSOSのサイン

結果的に30分ほど滞在してしまったのですが、人間の本質を研究している私にとっては非常に有意義な時間でした。

一番驚いたのは救出のきっかけになった新聞紙。

5階の人(Aさん)がポストに溜まっていた新聞紙をみて、Yさんに声をかけたのですが、実はこれ、Aさんが前もってYさんに伝授していた安否確認の方法だったんです。

???

どういうことかというと

一人暮らしの高齢者で体が不自由な人は、もし何かあったときに自分の力でSOSを発信できません。最悪、誰からも気づかれずにそのまま、、、ってこともあるみたいです。

ここで新聞紙の登場。
もし新聞紙が連日溜まっているようであれば、周りの住民が何かあったと判断し、声をかけるという具合なのです。

実はYさん自身は新聞をほぼ読まないんだそう。
でもAさんから勧められ、一番安いプランでいいから、と仕方なく契約。その時も「安否確認」のため、とAさんからははっきりと言われたみたいで(←すごいなそれ笑)、結果的に、今回はそれが功を奏し、九死に一生を得た形になりました。

「おせっかい」が人のつながりを生む


Aさんは普段からYさんを気にかけており、作りすぎたお惣菜を持ってきてくれたり、お返ししたりする仲。

世間からすると、他人の新聞契約?そこまでやる?お惣菜?そんなプライベートまで入ってこないでほしい、、という意見が出てくるかもしれません。

まして生産性(効率性)第一主義の今のご時世では、できるだけ人と関わらずにやり過ごしたい、と思う人が多いかもしれません、、

Aさんのようないわゆる「おせっかいおばさん」は、もしかすると煙たがれる存在かもしれません。



でも、本当にAさんのような方を遠ざけてもいいのでしょうか?

私は

このおせっかいこそが、もしかしたら人間らしい関わり方なのかも?

とも思っています。


思い出すのは小学生の頃。
夏休みに斜め前に住んでいるおばちゃんがおせんべいと麦茶を用意してくれ「いつでも食べにおいで」と言ってくれたこと。
ほとんど車が通らない路上で友達とキャッチボールしてたら、なぜが向かいの爺さんが出てきて、車が危険だからやめなさい、と毎回ネチネチ怒られたこと。

このようなおせっかいの人たちのお陰で

生の人間と触れ合う大切さや
自分の居場所

を感じていたなぁ

と今になって思うのです。



今回、AさんはYさんの救世主になりました。
半ば強引に関わってくれる存在こそ、実は重要な役割を担っているのではないでしょうか?

今回の学び

今回の学びはずばり

「人間は人と繋がりたい生き物」

を確認できたということです。
私は人間の本質を研究している立場から、人は人に貢献したい生き物であると定義しており、私が信じる性善説の土台としています。

今回はAさんについて
この人ももちろん貢献したい生き物です。

今回の場合は
AさんはYさんと「積極的につながる」という形で人間の本質を発揮したのでは?と私からは見えました。

Aさんを見ていると、おせっかいという行動の源泉は「人に貢献したい」という人間の本質から沸き上がったものなのでは?

と思えたのです。

最後に

ここまで読んでいただいた方の中にはもしかしたら一つの疑問が湧くかもしれません。

それは

Aさんの行動は本当に人間の本質からくるものなのか?

ということ。

うがった見方をすれば
Aさんは自分が良い人と思われたいから、とか
本当はやりたくないけど、仕方なく、、

と見ることもできるからです。つまり人間の本質みたいなきれいなものではなく、世間体や利害関係など外的要因に動かされているのでは?

ということ。

これに対して私は

「否、Aさんは人間の本質からの行動である」

と断言しています。

その理由は以下の通り。



と言いましたが、この記事内で説明するのは文字数的に難しいので(汗)、ぜひ興味のある方は、フォローしていただき、私の研究過程を追って頂ければ幸いです。


では、最後まで読んでいただきありがとうございました。

また、お会いしましょう!

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