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心も体もこまめにおそうじ

七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。
旧約聖書 申命記5章14節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

年末年始に、私なりの大掃除をしました。

まあすでにほとんどその効果は消えたのですが( ;∀;)
とはいえ、「せっかく片付けたんだし」という思いは微かに胸の片隅にあって、気付いた時に「ちょっと拭く」くらいのことは以前より意識するようになりました。
いや、放っておくと不思議なくらい埃って積もるものですね。(汚い、怠惰な話ですみません。) こまめに拭き掃除をしていたら、大掃除みたいなことをしなくても済むんだろうなぁ~、と、頭では分かっていてもなかなかそうはいきませんが。

ところで、その「ちょこっと拭き」を時々するようになって気付いたことがあります。
埃が溜まり始めたところを拭いたらきれいになる……のはもちろんのこと、「一見全然埃が積もってなさそうな所も、拭いてみると案外きれいになる」ということです!
……全然威張って言うことじゃない。いや、でもこれは私にとっては素晴らしい気付きのように思われますのでお許しを。

一見別に汚れても曇ってもいなさそうな所でも、さっと拭いてみると何だかきれいに、ちょっと明るくなる感じがする。そうすると妙に気分が良い!
私のようにズボラ……もとい、忙しくてあんまりこまめにお掃除できてないよって言う方は、試しにやってみてください。

「一見汚れてなさそうでも、拭くとやっぱりきれいになる」
この現象に気付いた時、「きっと人の心も同じだなぁ」と思いました。

今は元気。体も健康。仕事も忙しいけど、大きなトラブルがあるわけじゃないし、それなりにちゃんと寝てるし、食べてるし。大丈夫大丈夫。
そう思っていても、実は疲れていたり、休みが必要だったりすることはあるんだろうなぁ、ということです。

パンデミックはとんでもない出来事でしたが、ひとつ良かったことは「しんどい時に休むのは、自分のためでもありみんなのためでもある」という認識が広がって、「休む」ことへの抵抗感が社会全体で軽減されたように感じたことでした。
とはいえ、世の中が元に戻るにつれて、この感覚ももしかしたらまた逆戻りしているかも……と感じなくもないですが。

私も「自虐クドウ」を耳元に飼っていますので(ほんとは嫌だけど)、「休みたいなぁ」「しんどいなぁ」なんて思う度に、コイツが「言うほど頑張ってないやんけ」「他の人はもっと休まず努力してるぞ」なんて囁いてくるもので、ついつい「休む」ということに罪悪感を抱きがち。
誰かが休む時には、「そうだ! それでいいんだ! 休め休め! そして元気になってくれ!」と120%後押しできるのに、自分のことだと妙に後ろめたくなっちゃうの、何でなんでしょうね。良くないですね。

でも拭き掃除よろしく、ごっそり埃が溜まってから拭き取るよりも、「あ、ちょっと汚れてきたかな」とか、「まだそんなに埃は目立たないけど、今のうちに拭いとくか」くらいの感じでちゃんとリラックス・リフレッシュする機会を持つことも、長い目で見るとすごく意味があるんだろうな~と思った次第です。

聖書の中には「安息日(あんそくび)」という掟についての記述あります。
これは神さまが天地創造を終えられた「七日目」に安息(お休み)されたことを覚えて、私たちもこの日は労働をやめましょう、神さまのために分けられた日として守りましょう、ということです。
もちろん、自分のための世俗の労働の日々から離れて、聖別された神さまにささげる祈りの日を……という意味合いも大事なんですが、冒頭に引用した部分などを読むと、「あなたが休めば奴隷も休める」みたいなことが書いてあるんですよね。

「休むこと=怠けること」みたいな価値観で、お互い「休んだら負け」みたいな気持ちでぜえぜえしながら暮らすより、「私も休むしあなたも休もう。お互い元気になってまた頑張ればいいじゃん」くらいの気持ちで労り合った方が、幸せでしょうね。

新年度が始まって何かと忙しく、まだまだ新しいルーティンにも慣れずに必要以上に気が張っている日々をお過ごしの方も多いと思います。かく言う私もその一人。
「安息せよって神さまが言ったもんね」と、のびのびお休みするリズムをこまめに持てたらいいですね。

……神さま、何なら七日目だけじゃなく、もう少しゆっくり、週休2日とか3日くらいで休み休み天地創造してくださっても良かったかもしれませんね?!(笑)


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