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幸せになるための一歩。それはいい人をやめることだった…。

ここ数年間
自分と向き合い、
自分を満たし、
たくさんのものを
手放してきました。

だから、
もう、大丈夫。
そう思っていました。


でも…
また、
出てきました…。

心の奥に
閉じ込めてしまった感情が…。  

これが今年最後かな?!
(たぶん…)

今日は
そんな手放しのお話を
したいと思います。


3年前。
私たちの住む地域に
学校を支援する
ボランティア組織が
立ち上げられました。

それに伴い、
地域コーディネーターが
配置されることになり、
当時、小学校で
ボランティア活動をしていた私に
白羽の矢が立ちました。

不安もありましたが、
こうして
声をかけてもらえることは
有難いこと
そう前向きに受け止め、
引き受けることにしました。

学校の窓口担当は、
その春に赴任してきた
T先生という女の先生でした。

T先生は
優しくて、
何事にも全力で取り組む
一生懸命な先生でした。

私の思いやアイデアを
それがどんなに
ささいなことであっても
丁寧に受け止め
実現に向けて
前向きに考えてくれました。

自分の思いが
一つ一つ形になっていくのは
とても嬉しいことでした。

また、T先生は、
ことあるごとに
私への感謝の言葉を
口にしてくれました。

私は、
地域コーディネーターとして
自分が必要とされていること、
学校や地域の役に立てることに、
大きな喜びとやりがいを
感じていました。

2年目の終わりに
ようやく
形が見えてきました。

「来年も忙しくなりそうですね。
一緒に頑張っていきましょうね」

T先生と
そんな話をしながら
来年度に向けて
忙しい日々を過ごしていました。

ところが、

まさかの事態が…

突然のT先生の異動。

そんな…


教材室で、
2人で泣きました。

ここまで
事業を進めて来ることが
出来たのは
T先生のお陰。
私がこんなに
力を発揮出来たのも、
先生の支えがあったから。

それだけでありません。
主人の病気、
愛犬の介護、そして死別…
私生活で辛いことがある度に
T先生は
私を気遣い、
支えてくれました。

先生との別れは、
私にとって
失うものがあまりにも
大き過ぎました。

新年度を前に
T先生なしでは…
と途方にくれる一方で
T先生と力を合わせて
進めてきたこの事業を
さらに発展させて
より良いものにしていきたい。
これまでお世話になったT先生に
恩返しをしたい。
そんな思いも
湧き上がってきました。

T先生との別れについては
こちらをどうぞ。
https://note.com/kudokouhei/n/n21100b0e72cb

新しく窓口担当になった先生は、
Y先生という男の先生でした。

「色々教えてください。
よろしくお願いします」
初めて会った時
Y先生は笑顔で
そう話してくれました。

その後間もなく
少しやっかいな問題が生じ、
私は、早速
その件について
Y先生に相談しました。

Y先生は
話こそ聞いてくれましたが
問題の対応には
当たってくれませんでした。

正直ショックでした。

それでも、
新年度の忙しさゆえ…
そう自分に言い聞かせ
その悲しみを
心の奥にしまい込みました。

ところが
その後もY先生は
「昨年通りお願いします」 
「昨年のことは私は分からないので」
と言うばかりで、
事業のことは全て私に任せ、
自ら動こうと
してくれませんでした。

昨年通り…
そう言われても
立ち上げてまだ3年目。
まだまだ手探りの状態でした。

先生に相談したいことや、
先生にやってもらいたいことが
たくさんありました。
  
もっと話し合いたい…
先生にお願いしたい…

私は、そんな思いを
全部飲み込みました。

T先生と作り上げたものを
守っていかなければ…

私は、
無我夢中で走り続けました。


そんなある日のこと。

突然
ぷっつりと
糸が切れるように
やる気を失ってしまいました。

私、
どうしたちゃったんだろう…


そうか…


頑張り過ぎたんだ…


その後は
ペースダウンして
淡々と仕事をこなして
いきました。

気が付けば
あんなに好きだった
ボランティア活動さえ
楽しめなくなっていました。

何もしてくれないY先生を
責めたくなる一方で、
本当にやりたいことだったら
どんなことがあっても
頑張れるのではないか…
全て私の問題なのではないか…
そんな風にも思いました。

自分がこれまでしてきたことは
一体なんだったのだろう…
私は、思い上がっていたんだろうか…

T先生と夢を語り合った
あの頃の私は
もうそこにはいませんでした。

コーディネーターの任期は
1年でしたが、
立ち上げ時に
当時の校長先生から
最低でも3年間は続けて欲しい
とお願いされていました。

今年がその3年目の年。
それ以降は、
私の気持ちしだいでした。

今年で終わりにしよう…。

その気持ちが
現実味を帯びてきた
11月のある日、
市の担当者との電話での
打ち合わせの最後に、
今年度で最後にしたいと
伝えました。

1年間の現状と自分の気持ちも
正直に話しました。

ただ、
このままの状況でやめるのは
後に続く人に申し訳なく思う
とも話しました。

市の担当者は、
辛い思いをさせてしまい
申し訳ありませんでした。
とあやまってきました。

あやまる必要なんてないのに…

すぐに
対応策を考えます。
ですから
決断をもう少し待ってくれませんか。
そう言われました。

市の担当者とは良い関係でした。
必要とされていることは
有難いことだなと
素直にそう思いました。


その翌日のことでした。

その日のY先生の対応は
あまりにもひどくて…

私は初めて
その悲しみと怒りの感情を
表にあらわしました。

と言っても
いつもの笑顔を
見せなかったことと、
淡々とした口調で
気持ちを伝えた…

それだけのことですが、
私にしてみたら
大きなことでした。

先生も何かを
感じたようでした。

その後、
急ぎの用でもないのに
Y先生から電話があり、
最後に今日のことを
あやまってきました。

その数日後。
市の担当者と
校長先生、Y先生とで
話し合いの場が
設けられたようでした。

市の担当者は
私の業務時間過多を理由に
私の業務削減の為に
Y先生の現在の
業務内容を確認した上で
改善を求めたようでした。

それから
先生の態度は一変しました。

突然、
事業について
話し合いをしたいとの
申し出がありました。
こんなことは
初めてのことでした。

私はその席で
やめるつもりであることを
伝えました。

驚いた先生が
何とか続けて欲しいと
その日のうちに、
私の負担が軽くなるような
しくみを考えてくれました。

ボランティアへの
メールフォームも
実験的に作成してくれました。

それが
実際に使えるようになれば
後に続く人の負担も
かなり軽くなるでしょう。

「これさえあれば
誰がコーディネーターになっても
楽になりますね」
私はそう話しました。

Y先生は言いました。
「いえいえ。
私は○○さんに、
引き続きやっていただきたいです」



私は
察して欲しい…
分かって欲しい…
そう思って
Y先生にストレートに
思いを伝えるということを
ずっと避けてきました。
それで、最終的には
全てを一人で背負い
疲れ切ってしまったのです。

Y先生は
私のように無理をしたり、
いい人になろうとは
しませんでした。

私にどう思われるかなんて
お構いなしに
どんどん
仕事を任せてきました。

Y先生は、
鏡となってくれた…
今ではそう思います。

このことがなかったら
私は、
また別な場所で、
同じことを
繰り返していたでしょう。

今は、
Y先生に思いを伝え、
改善出来るところは
改善してもらっています。


「これは、私一人では出来ません」
「これは、先生にやっていただきたいです」

もっと早くに
そう言えていたなら
先生の対応も変わっていたかも
しれません。

それでも
もし相変わらずの態度だったら…
その時は
無理をして居続ける必要はない。
逃げていい。
ということなのかも
しれません。

Y先生との関係は
まだ始まったばかり。

今、Y先生の態度は
以前と全く違いますが、
これから先は、
私しだいなのでしょう。


自分の気持ちに正直に生きること

湧き上がった感情を
未消化のままにしないこと

どんなに揺れても
自分を見失わないこと

分かったつもりでいましたが…


どうやら
分かっていなかったようです。



思い返せば
これまでにも
何度も同じようなことを
繰り返してきました。

そして、その度に
「私だけが大変な思いをしている」
「誰も分かってくれない」
とやり切れ無い気持ちで
いっぱいになっていました。

いい人でいることをやめる
それが、幸せへの一歩

私はようやく
そのことに気付きました。

今は
Y先生に感謝しています。

先生がこうして
嫌な役を
引き受けてくれたお陰で
いい人をやめる一歩を
踏み出すことが
出来たのですか


これからも、
何か問題が生じたら

自分を知るチャンス
変われるチャンス

そう思って
その問題としっかり
向き合っていきたいと
思います。

そうして、
握りしめているものを
どんどん手放していって…

らく~に
軽やかに
生きていきたい…

そう思います。

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