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悲しみや苦しみ、大切な人の死でさえも受け入れたその先には…。

桜は一瞬にして咲き誇り
儚い一生を終えていきます。

短い命であるがゆえに
その瞬間瞬間の輝きが
私たちの心を
掴んで離さないのかもしれません。

こんな風に
限りある時間に
思いを寄せた時
今という時間が
何倍も豊かに思えてきます。

例えば
家族、
ましてや自身が
余命宣告を受けたような場合には
きっと当たり前の日常が、
一日一日が、
かけがえのないものに思えてきて…
今生きていること
この瞬間に
感謝の気持ちが
溢れてくることでしょう…。

でも、
本当は
命には限りがあるという意味でも
今日という日が
二度と来ないと言う意味でも
今というこの瞬間は
誰にとっても
かけがえのないもので…。

けれども
私たちは
普段そのことを
意識して過ごすことが
あまりにも少ないのですね。

命と向き合う出来事に
出会って初めて
当たり前の日々に
感謝出来るようになり、
そしてまた、
その出来事を
受け入れていくことによって
その後の人生を
むしろ
これまで以上に
幸せに生きていくことが
出来るようになるのかもしれません。

それは
命に限ったことではなくて。

様々な困難や悲劇においても
そこから何かを学び、
感謝に変えていくことで
人生を幸せなものに
していくことが出来る…
そんな風に思います。

辛い時
苦しい時

どうしてこんなことに…
このせいで
私はこんなに辛い思いをしている…

そんな風に
私たちは
その起こった出来事を
不幸なこと
良くないことと
捉えてしまいがちです。

でも
本当は
出来事に良いも悪いもなくて。

あるのは
この出来事をどう捉えるか
それだけなのですね。

全ては自分しだい…。

自分の在り方が変わるだけで
困難や悲劇と思えていたことが、
神様からの贈り物に
思えてくることさえあって。


なぜこの家に生まれてきたのか
なぜ諍いが絶えないのか
なぜ愛してくれないのか
なぜこんな時に…
よりによってなぜ我が子が…

なぜ?

なぜ?

なぜ?

私の人生に起こった
それらの出来事の答えは
全て私の中にありました。

私は
このために
この家族を
この両親を選んできたんだ…

このために
私たちは
出会ったんだ…

悲しみや苦しみが
愛に変わった時
大切な人の死でさえも
感謝の気持ちで
受け止めることが
出来るようになりました。

突然の別れ
たとえそれが
大切な人の死であったとしても
彼らが遺したものが
悲しみや苦しみだけではない
と気付いた時
目の前の世界は
全く違うものになりました。

遺された私に出来ることは
その出会いに感謝し
幸せに生きること。

そして
たとえ命の灯は尽きても
彼らのことを
これまで以上に
身近に感じることが出来る今、
魂は永遠なのだと感じます。

私の人生に起こった出来事
出会った人たち
そして
あの世に帰って行った人たち
全ての出来事と
全ての出会いに
私が生まれてきた意味につながる
何かがあって。

今は
その意味が
はっきり分からなくても
その時その時に 
受け取ったものに感謝して
前に進んで行くことで
いつか
もしかしたら
それは
人生が終わりに近づいた頃
なのかもしれませんが…

それらの点と点がつながって

あぁ、私は
このために生まれてきたんだ…

そう思うのかもしれません。









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