大阪都心の社寺めぐり-地域のお宝さがし-21勝鬘院・浮瀬

■雄大な多宝塔にびっくり!■
所在地:〒543-0075 大阪市天王寺区夕陽ヶ丘町5-36

■勝鬘院■
勝鬘院[しょうまんいん]は、天台宗延暦寺の末寺でした。その名称は、勝鬘経の主人公である勝鬘夫人[ぶにん]の像を安置したことによるもので(『大阪史蹟事典』)、勝鬘経が講釈されています(『摂津名所図会』以下、『図会』)。明治後期に四天王寺別院となります。
『図会』に描かれた、勝鬘堂の背面に多宝塔がある景観は現在も同じです(図1)。

図1

本文に、毎歳6月朔日の本尊の開扉には、「諸人大に君主(群集)をなせり」とあるのが例祭と思われますが、幕末には「愛染祭」と称されるほど有名になっています(『浪華の賑ひ』以下、『賑ひ』)。
勝鬘堂は、「愛染堂」とも呼ばれていますが(図2)、幕末・明治初期でも「愛染堂」の名称が見られないことから、勝鬘堂が「愛染堂」、勝鬘坂が「愛染坂」と称されるのは、近代以降ではないかと推測されます。

図2

●見どころは多宝塔●
多宝塔は、正方形の平面に円形の平面を乗せて漆喰の亀腹を設けた2層の塔です。勝鬘院の多宝塔は、慶長年2年(1597、安土桃山時代)に再建されました。高さが約22mと大きく、迫力があります(図3)。

図3

①長押に注目 長押[なげし]は、鴨居の上に設けられる化粧材ですが、元来は柱の外側に取り付けられる構造材で、中世以前の和様[わよう]建築の特徴の一つです。
②2層目軒裏に注目 尾垂木の上面を細く削ることや、垂木を放射状にする配置する扇垂木は、禅宗様建築の特徴の一つです(図4)。

図4

このように、外観は伝統的な和様でまとめられていますが、細部に禅宗様の手法が用いられ、それが上手く調和しているところにこの多宝塔の特徴があります。そのためでしょう、明治35年(1902)のサンフランシスコ万博に、日本建築の代表としてこの塔の模型が出展され、好評を博したといいます。

■料亭「浮瀬」を探せ!■
●由来●
「浮瀬[うかむせ]」の創業時期は不明ですが、元禄7年(1694)には「晴々亭」(注1)、『図会』が刊行された寛政8~10年(1796~98)には「浮瀬」とあり、元禄以降寛政年間までに名称が変わったことが分かります。ただ、『図会』に紹介された時点で、100余年の歴史をもつ老舗であったことは確かです(図5)。

図5

「浮瀬」とは、当店が多数所蔵した貝製の杯の一つの名称で、鮑にある11の穴を塞いだ「七合半」(1350CC)も入る杯です。これを飲み干した人は栄誉とされたそうです。これが有名になり、店名も「浮瀬」になったと思われます。2階の宴客がもっている大きな杯が「浮瀬」かも知れません。この料亭は、「近年まで衰へながら」も営業していましたが、ついに廃業しました(『浪華百事談』以下、『百事談』)。明治中期頃でしょうか。

注1)愛染坂の途中に、『料亭「浮瀬亭」跡』の顕彰板があり、解説がなされている。

●場所はどこだ●
『図会』には「新清水に隣る」、『賑ひ』には「新清水の坂の下」とあります。文化年間の絵図によると、勝鬘院の南部に、「ウカムセ(浮瀬)」「泰聖寺」「清水寺」「増井」などが見えます(図6)。

図6

「新清水」は清水寺のことで、『図会』にあります(図7)。

図7

図7右端の「ますい」は図6の「増井」です。これは「増井の清水」で、清水寺の西部に現存しています。この方向から見ると、清水寺「本堂」の北部の坂が「清水坂」です。この坂の下左側に「うかむせ(浮瀬)」が記されています。図7の石段や屋根の形から、図5の中央部の門が入口、右側の坂が清水坂です。傘をさした武士が歩いていますが、屋根の雪から冬であることが分かります。

●景色●
「浮瀬」から西南方向を見れば、「海原往来ふ百艘の白帆淡路島山抔落かゝる」とあり、現在からはとても考えられませんが、展望の良さが売り物の一つであったのでしょう。また、「三日の月雪のけしきハ言もさらなり」と、月や雪など季節の景色、庭には季節の花木が植えられるなど、風光とともに風流な料亭としても有名でした。図5は、雪景色と2階からの風光、宴会という、「浮瀬」の名物が描かれたのかも知れません。
「浮瀬」の西向かい、泰聖寺本堂前の「金竜水銀竜水」は、「名水にして味ひ甘く、茶の水」に用いられたそうです。また道路の脇に、「井の浅きが如きものを掘りたる」として多くの清水があったことが窺えます(『百事談』)。図5の中央下部、道路脇にある柵が件の清水でしょうか。

■閑話休題■
江戸時代の大坂は低地のため井戸水が悪く、飲料水は水売りから買っていました。しかし、高地の上町台地に位置する勝鬘院や大江神社周辺は夕陽が美しく、清水寺は景色とともにその下部は名泉どころとして知られ、「増井・逢坂・玉出・安居・土佐・金竜・亀井」の清水は「七名泉」と呼ばれていました。

【用語解説】
長押:位置により、下から、地長押、腰長押、内法長押、上長押などと呼ばれる。
和様:平安時代末(古代)までの建築様式。鎌倉時代(中世)に大仏様[だいぶつよう]・禅宗様が移入され、以後は大仏様や禅宗様が混入した建築となる。

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