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海外生活で経験した「救急車は待っても来ない」という話

「この国の人々はやたら声をかけてくる。なぜだろう?」

南アフリカ共和国に海外赴任してしばらくすると、こんな疑問を持つようになった。私の日課はランニング。東京にいたころは、ランナーとすれ違っても、挨拶を交わすなんてことはなかった。

しかし、南アフリカでは向こうが一人で走っている場合、半分以上の確率で挨拶をしてくれる。ある時は、散歩中のお年寄り女性から、ジェスチャーで”もっと脇を閉めて腕を振りなさい”とご指導賜ったこともあった。

そんな中、ある日現地人のコミュニケーションのやり方に少し戸惑っていた私の考えを一変させる事件が起こった。

恐怖の交通事情

9月のある土曜日、現地に来て初めて、日本から持参したロードバイク(自転車)に乗ろうと考えた。自宅のアパートがあるグリーンポイントという地区からキャンプベイという観光地までは片道7キロほど。
(下記地図がこの日予定していたルートです。)

南半球にある南アフリカは、日本とは季節が逆だ。9月になると冬から夏に向かって少しずつ気温が上がり、汗ばむくらいの陽気の日も出てくる。この日も空気が暖かかったのだが、ロードバイクに乗ってみると、大西洋を流れる寒流から吹きつける風が冷たくて、気持ちよく感じられた。

海沿いのビーチロードを駆け抜ける

しかし、しばらく走ってみると、思わぬ問題に直面した。車道を走るのが怖くなったのだ。

ロードバイクに乗るのは久々だったが、日本にいたときは100キロ以上を走ったことがあるので、問題ないと思っていた。ところが、南アフリカのドライバーは運転が荒いのに加え、車の動きを予測するのが難しかったのだ。

前方を走っている車が右のウィンカーを出していたとしても、その通りに曲がるとは限らない。実際、ウィンカーをつけっぱなしにしていることを忘れたまま走行している車もいる。はたまた、右のウィンカーが故障した状態でハザードランプをつけながら走行している場合も少なくない。

特に厄介なのが、乗合い型のミスバスだ。このミニバスは、古くから経済的に余裕がない黒人市民にとって重要な交通インフラとしての役割を担っているが、停留場がなく、道路の真ん中で急停止しては客を乗降させる。また、彼らは交通事情に詳しく、警察が張っていないポイントでは、他の車の間を縫うように走ったり信号を無視したりとやりたい放題。

ピンチで現地人に囲まれる

自宅を出て4キロ過ぎ。シーポイントという観光エリアを抜け、クリフトンという高級住宅地に差しかかった。左手に崖を見ながら海沿いを走るこの道路は、片側一車線しかない。

背後から何台もの車が自分を追い越していく。少し怖かったのだが、すでに道のりの半分以上を走っていたことから、引き返すことは考えなかった。

このまま何とかなるだろう、と後ろを見ないようにしていたその時だった。
ゆるやかな下り坂のくぼみにタイヤがとられ、バランスを崩してしまった。そして、つんのめるかっこうで身体が前方に投げ出されてしまったのだ。

コンクリートの歩道に全身が打ち付けられ、右ひざが見事に横にパカーっと切れてしまった。腰を下ろし、傷口から血が湧き出てくるのをハンドタオルで強く押さえると、その場を動くことができなくなった。

事故現場付近

目の前を何台もの車が通り過ぎる中、ダサいコケ方をしてしまった自分を深く恥じる一方、救急車を呼ぶほどの怪我なのか分からずしばらく呆然としていた。そして、事故から5分後、目の前のアパートの住人と思しき40代の白人夫婦が、私を見て声をかけてくれた。

私の身を案じ、すぐさま部屋から水が入ったペットボトル1本と大きなハンカチを持ってきてくれた。そして、私に向かって一言。

「この国では救急車を呼ぶよりも、自分で病院に向かったほうが早いよ」

そう。この国は、日本とは比べ物にならないくらい公共サービスの質が悪いのだ。

私は、病院まで運んでもらうべく会社の人間に電話をした。迎えが来るまでの間、インド系と思われる同じアパートの住民男性4人組もかけつけ、「体力をつけるように」とチョコバーをくれた。

正直に言うと、転倒した瞬間、私は恐怖を感じていた。南アフリカでは、高級住宅地といえども至るところに物乞いがいる。弱っている私に近づいて財布を盗んだり、危害を加えたりするかもしれないと思ったからだ。ところが、実際はこうして何人もの人に囲まれ、心配の言葉をかけてくれたり飲食物をもらったりした。

心配が杞憂に終わってほっとした。それと同時に、現地人の過剰なほどの気遣いに恥ずかしがりながらも「Thank you so much.」という言葉をしきりに繰り返した。

転倒から30分ほどして会社の人間が到着。去り際に、白人夫婦から「これからは交通量の少ない早朝に自転車に乗るように」とアドバイスをかけられた。お礼の言葉を言いつくしてしまった私は、ただ無言で頷いていた。

その後、病院で無事診察を受け、15針ほどを縫合してもらった。

南アフリカで”助け合い”が必要な理由

日本にいた時は、誰かに助けられる場面があるとは思ってもいなかった。もちろん、急病やケガの場合は救急車がすぐに来ることが多いし、その他のトラブルはしっかりと事前に準備をしさえすれば、あらかた自分の想定通りに物事が進む。

一方、南アフリカでは予想外のことばかり。現地の生活に慣れない私は、トラブルに遭う度に周りの人に助けられた。反対に、私も道を教える程度であれば、助けの手を差し伸べる機会は何度もあった。

なぜ南アフリカ人は知らない人にも声をかけるのか?

理由は、南アフリカは多民族社会なので(公用語が11もある)オープンな国民性であることもさることながら、日常的にトラブルが発生するため助け合って生活するという価値観が埋め込まれているのだと思う。

現地の生活に慣れてきたころ、私も、ランニング中に他のランナーに挨拶をするようになった。ただし、日本人らしく控えめにニヤリとする程度。この怪しげな笑みを日本で振りまいたなら、すぐさま警察に止められそうだが……。

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