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温泉とサウナ

温泉は、『考えること』に適した場所だと思う。


明鏡止水──温泉のような、普段の生活では整備できない、邪念のない、落ち着いた静かな心境では、とても深いところで自分と向き合うことができる。また、多くの温浴施設では浴場にスマホを持ち込むことを禁止している。だから浴場で考えごとをする時は、自分の頭だけで考えて答えを導き出すしかない。自身の脳内検索エンジンで、脳の奥に潜水していくように思考を深めていく。

仕事のこと

家族のこと

これまでのこと

これからのこと

普段自分が纏っているものを脱衣所の向こうに預けて──服やスマホだけでなく、時にはこどもや世間体すらも──自分の頭と心にべったり貼り付いたものを、少しずつ、少しずつ、剥がしていく。そうやって剥がしていった先に、自分にとって大切なものや、なにを大事にしたいのかが見えてくると思うのだ。

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サウナは逆に、『考えないこと』に適した場所だと思う。


程度の差はあれど、サウナ室に5分もいれば、頭の中が『熱い』という文字で埋め尽くされていく。

身体を冷やすべく水風呂に浸かれば、今度は頭の中が『熱い』から『冷たい』に一瞬で塗り替わる。

そして、急激な『熱い』『冷たい』の温度変化を体験した身体を、徐々に『通常モード』へと切り替えるべく、椅子に座って身体を休息させる。

この急激な温度変化の中では、仕事のことだの将来のことだの考える余裕はない。一秒でも早くサウナ室を出たい、水風呂を出たい、通常の体調に戻したいと考えることに必死だからだ。

現代に生きるぼくたちにとって、なにも考えない時間を作るというのはとても難しい。

普段なにもしていなくとも、五感を通じて膨大な情報が強制的に押し寄せてくる。目を閉じて耳栓をしてあらがっても、いつの間にかなにかを考えている自分に気付く。一人で考えすぎてモヤモヤしてしまうこともある。思考が毛糸のようにこんがらまってしまったり、考えすぎて一歩踏み出す勇気が持てなくなってしまうことも、時には塞ぎ込んでしまうことだってあるだろう。

そんな時は、一旦考えることをやめて、頭の中をリセットすることも必要なんじゃないだろうか。

頭の中がフラットな状態で、余計なバイアスに縛られること無く、ゼロから物事を考える。

情報が氾濫した現代社会に生きるぼくたちにとって、なにも考えない時間を作るというのは難しいのかもしれないけれど、

きっとそれは、温泉に入って思考を掘削することと同じくらい──自分にとって大切なものはなんなのか、なにを大事にしたいのかを見つける上で──とても意味のあることだとぼくは思う。

サウナであれば、それが手軽にできる。

サウナが『ゼロ』の世界に連れて行ってくれるのだ。

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