黒帯の女

容姿端麗。バキバキの筋肉で大勢の男どもを薙ぎ倒す。冷静な身のこなしで。けれど、そんな万能刑事の彼にも秘密があった。
「女に、なりたい」

アクション×トランスジェンダー という組み合わせ。女になりたいけれど、男に引き戻される運命が、切ない。韓国映画『ハイヒールの男』


ところで私は、合気道をやっていた。小2から八年間。黒帯を目指していた。絶対にそれまではやめないもんだと思っていたから、二度の骨折や受験勉強で中断されたときがあったけれど、合気道そのものを辞めることはなかった。

合気道はカッコいい。あれは、護身術だ。武道ではあるけれども、他者を傷つけるものではない。自分や大切な人を守るための技だ。精神を鍛えるのだ。

女性や子供でも、大柄な男を倒すことが可能になる。なぜなら、相手の力を利用するから、自分自身が力む必要はない。それは却って逆効果にもなる。

それで黒帯の一歩手前、茶色の帯まで達することができた。あとほんの少しだった。あと少し続けていられたら。結局、派手な交通事故のおかげで合気道を辞めなければならなくなった。それ以前に日常生活で切羽詰まっていたので、生きるか死ぬかという局面では後のことなどどうでもよくなる。

合気道を始めたのは、母が子供にやらせたい習い事だったから、が一番の理由になるだろう。別に私の意思ではない。合気道、なんてワードを小学校低学年のわたしが知るはずもなかったし。それでも合気道に接触させてくれたその判断には感謝している。


私は強くなりたかった。休み時間には男子と闘いごっこをしていた。ときには男子を殴って泣かせた。逆に吹っ飛ばされたりみぞおちや眼の付近を殴られたりして、予期せず大量の雫が眼球を濡らすこともあった。やったりやられたり。まあ当たり前のことだ。そういうアソビなんだから。

私は強くなりたかったのだ。父親や叔父に立ち向かってみても、大人の男がきゅっと手を動かすだけで、小学生の女児の本気が敵うわけがなかった。悔しかった。デカイ男には、どう頑張っても一瞬でやられてしまうんだ。どうしようもなく涙が出る。私は、本気だったのに。

もしも本気同士で闘ったら呆気なく私は負ける、というか本当に死んでしまうかもしれないし、かといって相手が手ぬるくへにゃへにゃ嘲笑うだけなのに本気の私が勝てないという現状も嫌だった。糞野郎。明らかに私を下にしか見ない相手に対しても、弱くしかあれない自分に対しても。


肉体は忌まわしい。中学生になると制服などを着なければならないから、ますます私は女にさせられなければならなかった。弱い立場の人間だった。そんな最も自分らしくない、自分で自分に向き合えていない、世間の波にさらわれていくだけの中学生時代が、皮肉にも一番モテた。私は弱いまんまの方が良いらしかった。

事故に遭い合気道を辞めたのは、高校一年だった。黒帯を手にできないままの私で。

男だったらできることが、女の私にはできない。自分が「女」だという性自認でいるわけでもないのに、「生まれ変わるなら男か女どっちがいい?」と聞かれれば圧倒的に「男」なのに。望まない体のせいでどれだけの苦行を強いられただろう。夢が崩れただろう。

例えば、私はインドに行きたかった。熱烈に。インドに呼ばれたからだ。
三度計画し、飛行機まで確保していたときもあるのに。親に猛反対され、インド行きを決行する気なら大学を辞めさせてやる、との脅しまでされて結局キャンセルするしかなかった。男子学生の「インド行った話」を聞いて悔しい思いをする。

「胸と穴があるタイプ」の人間だったせいで、望む場所へも行けないのか。襲われたら抵抗できないのも知っているから、従うしかないのだ。

私は黒帯の女にはなれなかった。本当は、“黒帯の男になりたかった。”

好きな人と一緒にいるときにさえ。私はいざというとき彼女を守れるだけの力量がないのだと痛感する。誰がこんな境遇を望んだか。なんの罰だ。とんだハズレくじだな。

女性性を楽しめる人ならまだましとも言えるんだろうか。レディーファーストとか化粧とか、辛うじて女性が優遇されている風の風潮も「うぜえな」で一喝できる生き方をしてきた私には何の得もない。「できない弱さ」が蓄積されているだけ。

今はただ折り合いをつけて、女体に収まっているが、本当にただそれだけに感じる。


『ハイヒールの男』では、強い男になんかなりたくなかったのに、反動的にそうなってやるしかなかった、繊細な女性が見える。

ああ逆は逆で大変なんだな。どうしたって苦しいぜ。


#エッセイ #トランスジェンダー #ジェンダー #性 #映画 #合気道

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