『ニノチカ』

広場でパンをもらった。コンクリート顔負けの、ずっしり重い、黒パンを。冬眠にも至れないメンヘラの心情を具現化したらこんなかもしれないけれども、それにしてはあまりに素朴に廃れている。おまけに、消費期限切れで廃棄処分される運命だったのをフードシェア団体に救われただけあって、傷ひとつない。無愛想なそのパンが可愛くなってきた。私は袋を持っていなかったので、ドイツらしい無骨な黒パンを裸のままリュックサックに放り込んだ。穀物の破片が中でバラバラと散らばった。

このまま噛んだら柔な日本人の歯は砕けそうだ。そもそもまだ食べれるのかしらん。無料配布していただいたからといって、これは却って邪魔になるかもしれないという、喜びが次第に冷めていく段階になった。

私はひとりの男を思い出した。スーパーの側に、毎日乞食が座っている。髭がもじゃもじゃの、アラブ系の顔立ちの男で、時々買い物帰りのおばさん相手に「ヘイ、小さなかわい子ちゃん!」といった声をかけている。小銭など貯まるはずがない、灰色になった紙コップをいつも自分の目に前に置いている。その人に黒パンをあげようか。

フードシェア団体も目的が達成できて嬉しいし、昨日家に食糧を買い込んだばかりの私は荷物が減って嬉しいし、なかなか食べ物を手にできなさそうなアラブ男性も空腹ならば嬉しいのではないか。良いことしかない。 人の胃に入るために創られたパンだって、パンたる使命を果たせた方が、ゴミ箱に突っ込まれるより幸せだろう。

スーパーの横に自転車を止めていた私は、いつもの通りアラブ男性が薄汚れた赤いコートに身を包んで、雪だるまのように丸くなって身を縮めているのを確認した。それから私はそのまま、自転車に乗って帰った。

途端に、これは違うとわかったのだ。この小さな街で一度施しをしようものなら後々もたかられるかもしれない、東洋人の私は何といっても目立つのだし、なんて未来が垣間見えていたのも事実だ。けれども、もっと私を引き留めたのは、ここがドイツだからだ。

自立の精神が重んじられるこの国で、施しは慰めになるのだろうか。私が乞食にパンを与えることは、悪意なき侮蔑になるまいか。身体の死滅と、精神の死滅。そのどちらを恐怖するかは人によるだろう。食物が得られなければ、じきにあの乞食は死ぬだろう。けれど、だからといって、私が先ほどしようとしたことは、彼の精神に笑顔で死刑宣告することに他ならなかったか。いかにも、お前はひとりで立つことも敵わない、社会的弱者なのだから、外国人たる私が無料配布で受け取ったに過ぎない固く冷たい黒パンを、感謝して受け取るのが妥当なのだ、と決めつけることにはならなかっただろうか。

これは考えすぎかもしれないにしても、当国の文化、その人の考え方を、善意の振りをして踏み躙ることになっては、私が自身を恨むしかなくなるのだ。

あるときこんな話を聞いた。ドイツ人は誕生日プレゼントを贈らないのだと。ある日本人が、ドイツ人の誕生日に、以前ドイツ人が欲しがっていたけれど金がないために手に入れることを断念した物品を、あげたそうだ。日本人は、そのドイツ人が喜ぶだろうと期待していた。しかしながらドイツ人は顔をしかめて、いかにも迷惑そうだったという。

これは、ドイツ人が金のないためだったとはいえその物品を自分の意思で断念して、自分の手にできない現状を受け入れたにも関わらず、彼よりも金を持っていた日本人が親切のつもりでその物品を与えたということが、ドイツ人の決断を踏み躙る侮蔑的行為に該当したからだ。物を与えることが、その相手を救うかはわからない。ひもじい運命をも自分の選択として引き受ける覚悟をした者に、今更他者が中途半端に手を貸すのは、見殺しにするよりももっと罪悪となるかもしれない。相手の精神を重んじないからだ。たとえそれで相手の肉体が滅ぶとしても。

固い黒パンは私の部屋に置かれた。大きな黒パンだったら、イスにしたって潰れないに違いない。それほど屈強だ。代々受け継がれるドイツ国民の意思も、似ているのかもしれない。

翌朝、珍しく雪が降り積もっていない薄暗い窓を眺めながら、その屈強な黒パンを調理することにした。到底歯が立ちそうにないので、とりあえず電子レンジで温めた。それから包丁で切って、さらに引きちぎって細かくしてから、フレンチトーストにした。元が黒いだけあって、焼いたらますます焦げの塊になった。けれども、柔らかくあたたかくなったそれは美味しかった。

『ニノチカ』が脳内で再生された。キレイと評される夜景を見ても「こんなの電力の無駄よ」と冷淡に切り捨てていたニノチカが、愛する男性と出会って豹変する映画だ。固く冷たく呼吸をしてきた人間が、ころりとやわらかくなる。お茶目になる。

それでもやっぱりドイツの黒パンは、歯が疲れるほどの生命力をこしらえていた。急にやさしい対応を身にまとうなんて、ニノチカだって人生に一度きりなのだろう。突然変異は希少である。だからこそ尊い。

#エッセイ #評論 #小説 #ドイツ #文化 #映画

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