見出し画像

誰も悲しませない感動を〜ドラマから考える(終)

これは昔あったドラマの概要(一部改)です。読んで想像してみてください。

僕は東京から遠く離れた島の出身です。
 本当は7歳まで東京で暮らしていましたが、島に引っ越しそこの空気、方言、環境に適応し、もう島の人間になりました。東京弁ももう話せなくなりました。
今は画家として絵を描き、生計を立てています。

 僕はひょんなことから、東京から来た1人の女性と出逢いました。
劇団員をしているその子はとても愛らしく島の言葉も覚えてくれて、僕は彼女を好きになりました。彼女も僕のことを想ってくれているようです。

 そんなある日、彼女は言いました。
「愛してるって言って」と。
僕は言いました、愛してると。でも彼女は泣き出します。

「方言じゃなくて、東京の言葉で言ってよ。」
僕は困り嫌がりました。
 もう何十年も使っていない上に、以前久々に使ったら、イントネーションが悪かったのか、周りから笑われたことがあったからです。
すごくショックな経験でした。
それ以来もう話さないと決めていたのです。
彼女に聞かれたくない。それでも彼女は言います。

「方言じゃダメなの!
 なんで分かんないの?私のこと好きじゃないの?
 東京の言葉で愛してるって言ってくれないの!」


そう言って去ろうとする彼女。

僕は意を決してなんとか振り絞って東京の言葉で言いました。
「愛してる」と。

-完-

いかがでしょう、
感動のお話だったでしょうか?

ドラマから考えるシリーズ最終回

 奈星さんの記事から着想を得て書くシリーズの最終回です。

しかももう一つ書いてくださいました。

 奈星さんが考えてくださることで、私も深く考えるきっかけになります。

 ドラマは単純に楽しむものだと思いますが、分かることが増えるとより深く感情移入できそうですね。今回の『silent』はそれができそうです。
奈星さんの記事を読んで、自身で考えながらドラマ見ると、確かに!分かるわーと思える場面に出会えそうだなと思いました。

 今回は奈星さんの記事の内容でなく、ドラマをもとに考えたいと思います。

昔流行ったドラマ

 冒頭は昔流行ったドラマのあらましを、脚色して一部置き換えて載せたものです。
ドラマの糾弾が目的ではないのでドラマ名は一応伏せます。

 冒頭読んでみていかがだったでしょうか?
“僕” が恥を乗り越えた姿に感動した方も、もしかしたらいらっしゃるのかもしれません。
でも恐らく一つ、引っかかった方もいらしたんじゃないでしょうか。

「なんで方言じゃダメなの?」


彼女の意図

 地方出身の方は特に疑問を感じたかもしれません。
彼は東京の言葉は使えません。彼女は島の言葉も分かるし使えます。
なぜ東京の言葉でなくてはいけなかったのでしょうか。

 彼女側に色んな思いがあるのかもしれません。
「彼の苦手を克服させてあげよう」か
「恥を乗り越えるくらいの誠意みせろ」か
「私は東京の人間なの!」という主張か…?

もちろん考えても正解は分かりません。
深い意味はないのかもしれません。
ただ、ないなら方言を否定する必要がないので、なんらかの意図を感じ取ってしまいます。

僕の思い

 逆に言われた“僕”の側はどう思うでしょうか?
嫌がる中で “方言はダメ、東京の言葉を使って”
と言われたら、彼がこんな風に受け取る可能性はないでしょうか?

「東京の言葉を喋れない僕はダメなのか。」
「僕が使う方言は、彼女にとって言葉じゃないってことか。」
「喋っても“東京の言葉もちゃんと喋れないなんて!” って嫌われるのか。」

こう思う方も当然いらっしゃると思います、
「東京だけがエラいって言いたいのか!」と。

無意識の 〇〇至上主義

 彼が自発的に自分の意思で言ったのなら、東京出身の彼女に寄り添ったのだと思います。
でも彼女が方言を否定すると、意図があってもなくても“僕”や島を下に見ていると感じ取られかねません。

 正直本当の恋愛なら彼女をフってもいいし、付き合っても当人同士が良ければどうぞ、と思います。
でもドラマで見ると、クライマックスでなぜ彼女は敢えてそんなことを言ったのか、
制作側の
「地方は当然東京に合わせるべき」という“東京” 至上主義(差別)
が透けて見える気がするのです。

皆さんはどう捉えましたか?

以前のろうドラマの「感動」

 もうお分かりかもしれません。
本来はろう者の“僕”と、聴者の“彼女”のお話です。
東京=聴者の世界、島=ろう者の世界。

東京の言葉 =声(日本語)
島の方言 =手話
置き換えて読み直してみてください。

昔流行った、声を出したことに感動するドラマ。
ろう者は当然聴者に合わせるべき、声を出すべきという聴者(音声) 至上主義
「方言ダメ、東京の言葉で」つまり「手話はダメ、声しか認めない」のメッセージと取られ兼ねないドラマなのです。

ろう者の反応

 ろう者にこのドラマの話を振ると、概ね“僕の思い”の章と同じ気持ちを述べて、顔をしかめます。
少なくとも私は、ろう者の “感動した!” の評価を聞いたことがありません。

「イケメン俳優のお陰で、すごい人数が期待を胸に手話サークル見学に来て、イケメンがいないことが分かるとサーッと辞めてったのよねぇ」と教えてくれるろう者や、
「まあアピールにはなった」と言っている方はいましたが。

 きっと、“東京”人が“東京”視点で感動できるドラマだったのでしょう。
 もちろん感動してもいいんです。ただ、立場によっては逆に悲しい気持ちにさせるドラマだった、昔はそういうのがあったということです。

今後のろうドラマに期待

 私は今、ろう者を扱うドラマは基本見ません。
恐らく本来は話のメインでなくても、上記のようなことを色々考えてしまうからです。

 今話題の『silent』は今のところ皆さん高評価ですし、最後まで上記のようなことはないと信じています。ろう当事者が監修に入っているので、期待したいと思います。

 いつか実際に沢山いらっしゃるろう俳優さんが当事者役をやったり、監督脚本をろう者が務めるようなテレビドラマが日本でも出るといいなと思っています。
そしたら私、めっちゃ感動です!


P.S. 奈星さんが記事にしてくださったお陰で色々と深く考えることができました。
奈星さん、そして『silent』、ありがとうございました。



話題のドラマから考えてみませんか、シリーズまとめました! ↓


ほか、ろう者、手話のことをまとめています↓


私の自己紹介


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?