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夏の迷子、ブルーハワイを味わう

私はレシピを見ないと基本的には料理が作れないタイプである。

買い物する時も、自分が持っているレシピ本と睨めっこして「今週はこれにしようかな」と写メを撮り、その具材をスーパーで購入する。

でも、最近少しだけ変わったことがあってX(旧Twitter)でタイムラインに流れてくるレシピを見てブックマークし、それを参照することも増えた。

ピーマンを頂く機会が多い。
義理の実家から大量に送られたり、利用者さんのおうちから頂いたり「ううむピーマン!」と思う。
なぜならうちの娘と息子はあまりピーマンが好きではないからだ。大量に消費したい時にこのレシピは役立った。刻んで炒めるだけだから楽だ。そして苦手な娘も食べていた。

このポテサラもおいしかった。
ポテトサラダというのは、案外少しだけ手間がかかる代物だ。なぜならにんじんとかきゅうりをうすく切って入れなければならない。
でも、これは本当においもだけでいけちゃうので楽だった。

少し前はクックパッドを見たりしていた。
こうやって情報をとる媒体が変わっていくのはおもしろい。

そんな中でふと、夏らしいものを食べてないことに気づいた。


スイカ
そうめん
かき氷....

これらを思い浮かべると祖父母の記憶がセットになって蘇ってくる。


祖父母の家のひんやりとした日に焼けた畳。
くるくると頭を回す扇風機。
窓辺で涼やかな音を鳴らす風鈴。
祖母が切って、塩をかけて食べた大きなスイカ。
夏休みのお昼の定番のそうめん。
透明なガラスの器によそられたそうめんの中で好きだった、たまに入っている緑とかピンクの麺。
うちにあったペンギンの形をしたかき氷機。
祖父が氷をはさみがりがりと削る音。
どれをかけようか悩むいちごやブルーハワイ、レモンなどの色とりどりのかき氷シロップ。

あと、夏といえばカルピス。

祖母が「飲むかい?」と聞いてくれて、あの原液がつまったガラス瓶を台所の収納口から取り出すたびに私はわくわくしていた。

もう、ああいう夏は過ごせないんだなと思う。

遠い日の夏休み。

毎朝、寝癖がついた髪型で通ったラジオ体操や

友達とお墓で肝試しをしたどきどき感や

親戚の家に宿泊して毎日海へ通う日々や

市民プールでビート板の練習をしたり

虫取り網でセミをつかまえたり

夏になるとテレビで放送される心霊写真や怪談話などを交えた特集番組を怖がりながら見たり


なんでもない普遍的な...昭和から平成初期の私の子供時代。ずっと続くと思っていたものは、あの時、あの一瞬のものであった。

線香花火のように。

儚く、終わってみればあっという間の出来事のようだ。

あの頃はみんな曖昧で不確実だった。

心霊写真なんか今だったら「本当はこんなポーズだから消えた足はこっちにある」とか「多重露出だよ」とか、トリックが瞬く間に暴かれてしまうと思う。

でも、そんな不確実さに、私たちは一喜一憂して肝を冷やしたりどきどきしたりしていた。

レシピも先ほど書いたとおり、パパッと検索すればなんでもどこにでも載っている。

でも....昔だったらそんなことはなく、人伝いに、伝言ゲームのように曖昧さを含めながら、伝わってきたものなのかもしれない。


そんな曖昧で懐かしさを感じる本がある。


燃え殻さんの新刊。ブルーハワイを読んでいる。
彼のエッセイ集だ。

彼の本が私は好きだ。

最近は彼のラジオのヘビーリスナーでもある。
(ちなみに来週は私の好きなグレイプバインの田中さんがゲストなので、今から正座して待ちたいくらいの気持ちである)

昨年は「これは、ただの夏」に魅了されていたが、今年の夏は「ブルーハワイ」だ。

彼の話は、特別なことも起こらない。
うらやましくなるようなことも書いてない。
出てくる人は、そこらへんにいそうでいなそうで、どうしようもない人たちばかりで、でもこんな人たちが日本のどこかで、今日も生きているんだなと思うと、胸が熱くなる。そんな気持ちになる本だ。

その夜から、僕はなるべく凡庸に生きようとしてきたと思う。

ブルーハワイより「そのとき、世界の広さを思い知った」から抜粋

だからせめて、自分の身に起きた凡庸な出来事と、凡庸ながらも心が動いた何かを、忘れる前に記したいと思った。忘れてしまっても仕方のない出来事を、あえて記録する。それは凡庸に生きている人間の凡庸さなのかもしれない。でも、つまらない凡庸さも振り返るとそれなりの歴史にはなる。

今日も僕には大事件は起きないし、起こさない。他人が思いつかず、実行しそうもない画期的なアイデアも思いつかない。それでも日々はつづく。僕はこの場所で、自分の身に起きた凡庸でかけがえのない出来事を記していきたい。

私もかなり凡庸な人間である。


なるべく目立たず、大人しく、控えめに生きてきたつもりである。


専門学校時代、学校の理事との面談で言われたことがある。


「お前は夢がないやつだな」


「もっと将来的な展望を考えた方がいいよ」


私は面談が終わった後、あきれてふふふと笑った。


それは私なんかにそんなことを言う理事にあきれていたのか、全くその意見に賛同できない自分にあきれていたのか、わからないが。

いつだって、今を生きるので精一杯だ。


遠い将来から見据えた計画的な行動なんて、個人的にはそんなものは自分を縛り付けるだけだと思う。

だって、人生はそんなふうに簡単にコントロールできるものではないから。

そして、そんなことをいったら、私たちのゴールは死だ。

さまざまなリスクやふりかかる出来事や老いを考えて行動するならば、私は多くのものに足を絡め取られて、身動きができなくなってしまいそうだ。


凡庸のあがきである。

どうってことない人生を生きているだけでも、私はみんなに、自分に、心の底から拍手を送りたいと思っている。

どうってことない自分が、今、どのように感じて、どのように考えて、どのようにいたいのか、ただそれだけだと思う。それを怠けないようにさえしなければ(ときには怠けて、他者に身を委ねてもいいと思うが)将来を心配しすぎるよりは、案外なんとかなるような気もしている。



燃え殻さんの本のブルーハワイの記述で「そもそもブルーハワイって何味なのか、まったく説明できない」というところで、私はくすくすと笑う。

「バーベキュー味くらい説明がつかない」という箇所でさらに笑う。


夏は気持ちが迷子になりやすい。


見かけによらず(?)「夏は好きなんです」という燃え殻さんの本に気持ちを少し立て直してもらった。

ひとまず、今日はそうめんをゆでてみようと思う。

そしてまたどこかでかき氷を食べる時は「ブルーハワイ」を頼んで、青くなった舌をぺろっと見せるくらいの子供じみた自分も、いつまでも忘れないようにしたい。


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