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スポーツを観る・する・支えるの根っこのところ


何かを始めた時に まず最初に 「楽しい・面白い」 と思えるのかどうなのかが 継続性の鍵であったりします。特にスポーツでは 道具や施設 プレイヤー といった条件がそろっていても 楽しめるわけではありません。プレイヤーの大半がそのスポーツの経験者で占められているのであれば また違ったものになるのですが。

先ほどの条件がそろっていても 初心者集団であれば バレーボールやバスケットボール バドミントンなどをみんなで楽しもうとしても プレーがなかなか続かないものです。初めは奇想天外?なプレーに癒されて別の意味で楽しめたりすることもあります。しかし いつしか笑いで救済することにも終わりを告げ あらたな遊びに移行する経験は誰にでもあるものです。 

スキルが前提に楽しめるのがスポーツです。レクリエーションスポーツも然り。私たちは小中高の学校体育で 四季にあわせてたくさんのスポーツ・レクリエーションスポーツを授業として経験しています。評価までされています。スキルは教えてもらっていたはずです。しかし 数学や英語の基礎のように 頭で習得できていません。習得する前に 「学校体育嫌い」というハードルができています。生涯スポーツを全うするためには 小中高の学校体育では 「楽しむための・楽しめるための」からだの使い方に力点をおいたスポーツ・レクリエーションスポーツの指導要領が必須です。タイムやシュートが入ったか否かといった結果が評価基準の大半を占めるのであれば 「楽しい・面白い」という感情など記憶に残り得ないでしょう。

「走るのが得意な子供がボールを床についてドリブルして走ると 上手くスピードに乗れない 疾走感がなくて自由じゃないからつまらないと感じる。先生は反復練習が必要だと指導する。その後 先生は子供の動きの慣れをみて習得とみなす。子供はほめられて嬉しいけれど しっくりこない」学校体育では上手くできない理由・原因を教えてくれません。同じ内容の繰り返し。できないことには子供たちそれぞれに理由・原因があります。具体的・抽象的表現を使ったり ボールを使わずに動きを分割して練習するなど 「子供の気づき」「腑に落ちる感覚」を大切にしてほしい。そう考えれば 体育を評価することなどできないし必要もないことです。脚力のある子供にはそれに見合う力でボールをもっと強く床についてごらんとアドバイスしてあげてください。ボールコントロールに不安があるとそれにあわせてボールを床につきます。走るスピードにあわせて ボールをつく強さもかわります。強いドリブルができないのであれば その習得からはじめればいいだけです。課題がみつかります。子供たちそれぞれにできない理由・原因があるのにも関わらず 一律の練習をしていれば 自らの上達を主観的・客観的にも感じられるわけがありません。「楽しい・面白い」の気持ちも湧いてこないでしょう。その指導は部活で行うものだよという意見もあるのでしょう。受験に向けた「勉強の仕方」を学ぶように 学校体育では 生涯スポーツに通ずるためにも「からだの使い方」を伝えることが使命であるはずです。運動・スポーツに対する視野をひろげ からだを動かすことを身近なものにすることが最大の役割です。「体育は嫌い」「運動会にいい思い出はない」といつまでも言われない指導がひろがるといいですね。

体育や道徳は評価するものではなく 伸ばすものひろげるものであって欲しい。

学校体育の根っこを考えてみると…

日本では満州事変が始まった頃に 結核による死亡率が増加し とくに15歳から30歳にかけての年代の死亡率が急増しました。日本軍は結核による国民体力の低下と青壮年人口の減少に危機感をもったと言われています。戦時下という環境が国民の体力を国家が管理するという方向性を与えました。体力の増強から人口を増殖し 健民健兵を創出する。「自己の身体は自分だけのものではなく国家のものである」「健康であることが国家への国民の義務」(病者・障害者は非国民視されていきました)  ここから 国民体力管理法・国民優生法(断種法)が作成されました。

昨今のニュースにありましたね。

また 日本陸軍は 軍制を標準化するために歩兵操典の指導を取り入れて 服従や連帯・徳育の習慣も養成していました。軍人には 戦闘においてその効果もみられ 歩兵操典の正しさと精神主義がより醸成されていったのだと思っています。軍隊の集団行動は 身体的活動と精神的活動の基礎でした。軍隊のような入場行進や連帯感の醸成を学校体育・スポーツの現場で未だに目にするのは日本の集団指導が軍隊をモデルにしている証左でしょう。  

現在の学校体育は 軍隊モデルを身体訓練の基礎にしていたところから変容しつつも 後遺症に悩まされている状態なのだと思っています。

物事の習得には 「楽しい・面白い」と思える気持ちが必要です。継続性もここから始まります。楽しさ・面白さも続けていくなかで 上手くなりたい… あの人のようにしてみたい… という欲がでてきます。その欲は スポーツでいえば 試合に出たい レギュラーになりたい 優勝したい と高まっていきます。意欲 目標の源は 「楽しい・面白い」と思える気持ちです。

私たちは からだの使い方 運動の楽しみ方を いつから どこで 学んできたのでしょう。学校体育は 競技スポーツの育成の片手間で行われるものでもなければ 競うレベルまでスキルを向上させることも困難です。評価するための学校体育から脱却するために 多くの知恵を使って 生涯身近にいる運動という相棒をつくる機会に変わっていけばいいなと思っています。

そうなればきっと スポーツを観る・する・支える の形もよりよくなると信じています。

「ちょっとやってみようかな、マネしてみようかな」というところからカラダの使い方に興味をもってもらえれば嬉しいです。