見出し画像

梯久美子 『狂うひと』 新潮文庫 その3

『死の棘』で、妻(ミホ)は夫(島尾)の日記を読んで、そこに書かれていた愛人のことを知って発狂したことになっている。ミホが島尾の日記を読む経緯はそこからはわからない。この話だけを聞くと、自分の信じていた世界が崩壊した衝撃で精神に障害を起こしたかのように見える。しかし、事はそんな単純では無いのである。

まず、日記の問題。「日記」というと極めて私的なもののような響きがある。私的は隠匿することではない。世に溢れているブログやSNSの類の中には日記のようなものも無数にある。思いを文字に起こすという行為には、そこに読者を想定している。島尾は日記を自分だけのものとは考えていなかった。日記は開いた状態で机の上に置かれていることが多く、ミホは当然のようにそれを読んでいた。そればかりではなく、時にミホは島尾の日記に書き込みをしている。あるとき日記を読んで愛人の存在を知った、のではなく、それ以前から夫に愛人がいることを認識していたはずだ。また、島尾もミホが読む前提で日記に情事のことを書いて、それを開いて置いていたのである。

前回のnoteの冒頭に記したように、『死の棘』は短編として発表され、17年の時を費やして長編小説にまとめられた。その原稿を清書したのはミホだった。島尾がミホの狂気を観察しているかのような文章だが、そこにはミホによる推敲が入り、ミホの意見で修正が施された箇所が幾らもあるそうだ。本書『狂うひと』の文庫版の帯に「狂っていたのは妻か夫か」という文字が踊っている。ミホが発狂して精神病院に入院したのは事実だし、夫の日記に書かれていた女性が島尾宅に訪ねてきて居合わせたミホと取っ組み合いになったのも事実。当事者であれば世間に公表するのを躊躇うようなことを島尾もミホも「作品」として当たり前に発表し、いくつかの文学賞を受賞して、いくつものインタビューに応対し、それが事実に基づいていることを隠そうともしていない。小説家であるということ、作家として個人名で社会に居場所を持つということは、これほど覚悟のいることなのかと唖然としてしまった。

覚悟のある主人公夫婦はそれでいいとして、作品の中で重要な役割を持たされてしまった島尾の情事の相手の人はどうだったのだろう。繰り返しになるが、『死の棘』は短編として不定期にいくつかの文芸誌に発表されている。事実に基づいた話なので、ミホの発狂のきっかけになった人も実在する(ミホと取っ組み合いになっている)。その人も文芸とか自分でものを書くことに関心を持っていた。当然に自分と関係のある人たちの作品には目を通す。短編の『死の棘』も当然読んだ。そして『死の棘』の中での自分と思しき「あいつ」の取り上げられ方に衝撃を受け、長編の発表前に自殺したそうだ。

この夫婦は一体何なんだ、と思わないでもない。しかし、程度の差こそあれ、我々は誰もが狂気を抱えているのではないだろうか。誰しも「わたし」という意識や認識がある。その「わたし」の境界ははっきりとしたものではなくて、その時々の「わたし」以外のものとの関係性の中でなんとなく感じられるようなものだろう。よく「自分らしく」なんて言葉を見聞きするが、あれは一体何なのだろうと思う。そんなはっきりとした「自分」があるとしたら、おそらくそれは病気だ。時々刻々変化する環境の中で自他の関係性をうまいこと調整しながら生きてこそ健康な存在として世間に受け容れられるのである。優柔不断で世渡りができるなら、そのほうが平穏だ。ミホは確たる「わたし」に拘ったがために「狂った」のではないか。本書で梯先生はこう書いている。

ミホの発作は、文学仲間の女性との情事を知るという形でミホに訪れた「戦後」に対する拒否反応でもあった。戦時下での命がけの恋の続きのつもりで結婚生活を始めたミホだったが、戦後の島尾はそんな妻を置き去りにして文学にのめり込んだ。ミホだけがひとり戦時下の時間にとどまっていたのだ。(611頁)

ミホは加計呂麻島の長の娘として、つまり「カナ(加那)」=姫として我儘いっぱいに何不自由なく育てられた。一時期、東京にいる実父の下で暮らしたものの、そのことは封印し、養父母を両親として自我を形成した。本書には奄美の近世史にも言及があり、そのことで思うこともあるのだが、それは別の機会に譲る。ミホの自我に関わる奄美や加計呂麻島の風土風俗は、本書に登場する評者が異口同音に語るように、原初的なクニを思わせるものだったのだろう。東京での数年間を無いことにしてしまえば、自己世界と現実世界は矛盾なく重なっていた。そこに現れた「隊長さま」は、その世界観に調和している限りにおいて、存在が許容されるのである。

それが、奄美世界と相容れない、敗戦直後で余裕の無い日本と、自分に対して否定的な島尾の家族や親族、そこで自分を積極的に守護しようとしない島尾、という動かしようのない現実に直面するのである。そうした中で、自分をモデルにしたことが明らかで、なおかつその人物が蔑まれているような短編小説や、夫の情事を描いた小説の清書をする。島の姫のような立場から、生活のためとは言いながらも、何が本当なのかわからないような日々を送ることになったのである。どんな思いで毎日を過ごしたのだろう。

ミホの狂気は「病」なのか、その人の個性のうちなのか。物事を自分のイメージのなかの「あるべき」姿に収めようとしゃかりきになると、おそらく精神と身体の少なくとも片方に異変を生じる気がする。しかし、収めないことには自分なりの理解ができない。つまり、生きていられない。自分にとっての「あるべき」にどこまで拘るかは、程度の話であって、そこに正常と異常を分ける明確な境界などない。本書を読む限り、島尾もミホも娘のマヤも、あまり自分がそうなりたいとは思えないような最期を迎えている。この家族は極端な事例であるとしても、文学作品は「病」がないと成り立たないかのような印象を個人的な偏見として私は抱いている。そういう所為もあって、あまり私小説には手が伸びない。

ふと、10年前の今時分に映画館で観たイタリア映画を思い出した。『人生、ここにあり!(原題:SI PUO FARE!)』2008年制作の作品でイタリアでの公開が2009年、日本での劇場公開は2011年7月だ。原題の意味は「やればできるさ!」だそうだ。『死の棘』同様、実話に基づく作品である。イタリアでは1978年に精神病院の閉鎖病棟が廃止され、それまで入院していた患者を一般社会に戻した。戻れる人もいるだろうが、そうでない人もいる。戻れない人は協同組合という形で設立された組織に所属して、それぞれの能力に応じた形で労働に従事するのだという。その協同組合の一つがこの作品の舞台だ。

精神病院廃止という考え方の基本は、どの人間にも正気と狂気はあるのだから、社会は狂気も受け容れなければならない、ということだ。治療技術としては、患者が社会参加を通して心を解放していくというもの。たいへんな論争の末に精神病院廃止の法律が成立し、今日に至っている。イタリアにも、精神病は治ることはないのだから投薬で症状を安定させるのが最善という考えはある。現実は暗中模索だが、今のところ協同組合方式は定着しているそうだ。

今、手元にこの映画のプログラムがある。その中にイタリア語通訳の田丸公美子の文章がある。本作の本質を手短にまとめている。(本作プログラム 6-7頁)

イタリア人は当たり前のように言う。「イタリアで天才が生まれるのは、みんなどこかいかれているからさ。まあ、言ってみれば、国が巨大が精神病院みたいなものなんだ。隔離する必要はない」。他の人と違う個性を尊重する国民らしい感想だ。新体制推進のスローガンは、「よく見れば、みんなどこかアブノーマル」(Da vicino nessuno e normale)。「普通」という概念そのものに疑問を投げかける深い言葉だ。
映画は、次のような言葉がスクリーンに出て終わった。
"Oggi in Italia esistono oltre 2.500 cooperative sociali che danno lavoro a quasi 30.000 soci diversamente abili. (今、イタリアには2500以上の協同組合があり、ほぼ3万人に及ぶ異なる能力を持つ組合員に働く場を提供しています)"
"Malati mentali disabili (能力がない精神障害者)"の代わりに"soci diversamente abili (異なる能力を持つ組合員)"を見たとき、私は感動でしばし席を立てなかった。

こちらも「病」の話なのだが、観た後に自分の精神が強くなったような気がするのである。

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。