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蛇足 『千利休 無言の前衛』

読み終わった本のことをあれこれ考えていると、次々にいろいろなことを思い出す。ただ読んでそれで終わればそれっきりだが、こういうところに何かを書き記すというのは記憶の刺激になるのだろう。書くことも楽しいが、書くことであれこれ思い出すこともけっこう楽しかったりする。

本書を読んで思い出したことの一つに『ハーブ&ドロシー』という映画がある。米国の映画だが、監督は日本人で、日本での劇場公開は2010年11月。渋谷のイメージフォーラムで観たと手元の記録に残っている。この近くに職場があった時期があり、この辺りはランチ圏内で小さな映画館があることは知っていた。ここで映画を観るようになったのは2003年から2004年にかけて映像翻訳の学校に通ったのがきっかけだ。とにかくたくさんの映画を観たが、こういうミニシアターにかかる作品が好きだった。2010年は既に映画を観る本数も減り、この年は映画館で15本しか観ていない。その15本の最後の1本がこの作品だった。

『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人(原題:HERB & DOROTHY)』はアート・コレクターとして有名なHerbert VogelとDorothy Vogel御夫妻のことだ。もともとお二人とも絵を描くのが趣味で、美術作品を鑑賞することも好きで二人であちこち観て歩くうちに、好奇心から作家と交流するようになり、そして彼らの作品を購入するようになったらしい。Herbertは郵便局員で、Dorothyは公立図書館の司書だ。作品の購入をするようになってからは、Dorothyの所得で生計を立て、Herberの所得を作品の購入に充てたのだそうだ。彼らの流儀は作家本人から買うことだ。つまり、活動中の作家の作品が対象であり、その作家の多くは無名の人たちだった。その中から注目される作家が次々と出てきて、結果として、夫妻の所有する作品の価値が跳ね上がり、お二人は「コレクター」として有名になった。

コレクターと呼ばれるようになってからも二人の生活は変わらない。所有する作品の価値が上がっても、それを売らないことには収入にならない。彼らは気に入って買った作品なので売らない。相変わらず70平方メートルのアパートでの暮らしが続く。子供がいないので二人だけの暮らしだ。それでも作品を買えばモノは増える。売らないので増え続ける。齢を重ねると共にモノは増え続ける。老齢になり、子供がいないこともあり、作品をナショナル・ギャラリーに寄付した。勿論、ナショナル・ギャラリーはタダで譲り受けるわけではない。数点の作品なら寄贈者の好意を素直に受けるということもあるのかもしれないが、そういうレベルの話ではないのである。それでも、御夫妻が売却したら手にしたであろう金額とは比べものにならない金額だったろう。70平方メートルに所蔵されていた作品を運び出すのにトレーラー9台を要した。映画にもその時の様子が写っていたが、日本の道路を走っているようなトレーラーではない。もっとずっとでかいアメリカのトレーラーだ。夫妻のアパートがドラえもんのポケットのようなものであったはずはなく、きちんと梱包したらそういうことになったということだ。それにしても、この夫婦はタダものではないのである。

映画のプログラムの表紙にお二人の言葉が記されている。

You don't have to be a Rockefeller to collect art.

映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』プログラム

人を動かし世界を動かすのは詰まるところは人の感情である気がする。「好き」とか「嫌い」とか、至極単純な感情ほど強いと思う。それを世間体であるとかつまらない理屈で脚色しようとしたり否定しようとしたりすることで、我々の圧倒的大多数は矮小で取るに足りない存在に成り下がる。少数の強い意志と感情の持ち主だけが人々の記憶に残る。そして、取るに足りない存在の群は互いに「正解」や「正義」を忖度し合い、つまらぬことにこだわって右往左往して生きる。大衆とか有象無象というのはそういう群のことだと思う。

還暦、つまり「ふりだし」に戻るので、残りの人生は感情に任せて生きてみたいとは思うのである。しかし、どうやら無理だ。長年の有象無象暮らしでこびり付いた垢とか無理に削ぎ落としたらポキッと逝ってしまいそうなものが纏わり付いてしまって、そんなことをしたら却って余計に不愉快になりそうだ。凡夫というのは哀しいものである。

見出しの写真は映画のプログラムの奥付に使われている写真の一部を切り取ったもの。ニューヨークのチェルシーというギャラリーが多く立地するエリアに掲げられたフランスのアーチスト、パトリック・ミムランによるインスタレーション。「カネがモノ言やアートは黙る」としておこうか。でも、カネにならないとお困りでしょ、と思ってしまうのも凡夫の哀しいところである。

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