おかいものと、夢と、おめかしと
おかいものしてる夢をみた。
先日、おかいものについてのnoteを投稿したばかりだったので、じぶんでもびっくりした。
※前回の記事では「お買い物」と表記していましたが、今回の記事では「おかいもの」とひらがな表記に改めました。
どうやら、この自粛ムード満載のなか、
がんばってお外にでない生活を続けて
ネットショッピングで、なんとかきもちをごまかしていたけれど
やっぱり
おみせじゃなきゃだめだ
おかいもの特有の、あの高揚感が、全然足りないのである。
もちろんネットでおかいものしたものたちが、家に届いたとき、箱をあけるあの瞬間はもちろん、もちろんたのしくてしあわせで、うれしいものなのだけど。
ネットでのおかいものというのは、基本的に理由があってするおかいものであることがおおい。
仕事の服が古くなったから
猫のおやつが足りなくなったから
あの本が読みたいから
少なくとも、わたしにとってネットのおかいものは、上記のように買うべき理由があって買う、そういうおかいものなのである。
ところが、わたしにとってのおみせでのおかいものというのは、いま挙げたネットおかいものとはまるでちがう。
なんとなく、
ぼんやり
すてきなものがほしいなあとおもったときに
いちばんすきな服を着て、おめかしして
おでかけすること
それがわたしの
おかいもの
なのだ。
前回のnoteでわたしは、おかいものの醍醐味は「高揚感」である、と書いた。その高揚感というのは、なにかを手に取って買う、というところからくるのだと考えていた。しかしながら、今回おかいものの夢を見て、わたしはようやく、わかったのである。
おかいものは、
家をでる瞬間から
はじまっているのだ
いや、
なにか、すてきなものと出会いたいな
と、
おかいものに出かけようと決めたときからはじまっている、と言っても過言ではないかもしれない。
すてきなものに出会うためには、やはりすてきな格好をしておでかけしたい。すてきな格好をすると、ふだんはなんだか冴えない、ぼんやりした自分のことも、ちょっとすてきに見えて、すきになれそうな気がしてくるのである。
もしかしたらわたしは、おかいものにかこつけて
おめかしすることがすきなのかもしれない。
すきな服を着て、すてきなものがたくさん置いてある、おみせにゆきたい。すてきなおみせのディスプレイをぼんやりながめて、きらきらしたきもちに浸りたい。
おおきな百貨店も、路地裏にあるちいさなおみせも、わたしはみんな愛している。
だからわたしは、いつか
じぶんのおみせ
と呼べる場所を持ちたいとおもうようになったのかもしれない。
なんだか話があっちこっちへいってしまった。
ああ、はやく、はやく
日常がもどってきてほしい。
あのきらきらしたきもちに浸らせてくれるあの場所に、はやくゆきたい。すきな服を着て、すてきなものをたくさんみて、ときどきちょこっと店員さんとおはなしをして
だいすきなおみせではたらく、すべてのひとたちが無事でありますように。
日常がもどったら、すぐに、すぐに、
あいにゆこう。
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