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旅の恥はかき捨てな日本人、非文化的な人はいないように扱う中国人のお話

他の人のことに干渉しようとするのと嫌われるのはどこの国も同じです。

しかし、中国の場合の「他の人」という定義と、日本人が思う「他人」の定義は異なっていると思います。

日本の場合、知人か他人、もしくは家族・親族とそれ以外という風にわけると思います。また学閥のようなものを意識している人は、出身校が同じか、それ以外かという風にわけています。

このように自分と同じグループか、それ以外のグループとわけてはいても、両方とも「人間」という社会に属していると見なされます。

つまり日本人が思う「自分」と「他人」は共に「話し合えば理解できる人間社会」に属していると見なされます。

しかし、中国はそうでもありません。

中国も日本と同じく同じ文化圏に属する「自分」と「自分以外」というグループにわけます。そしてさらに「文化が異なる第3グループ」が存在します。

以前「自分」と「自分以外」については「俺」か「俺以外か」という表現で
 note に書きました。

自分と同じグループに属していない人から、どのように思われようと気にしない中国人のことについて書きました。

日本人は、名も知らない日本人の目を気にして暮らしています。しかし、中国人はそうではありません。次ふれあうことがない人からどのように思われようが気にしません。

さらに、中国人は「文化的ではない・文明敵ではない」と特定のグループの人を判断します。

これは、自分とは価値基準の異なる集団を指す時に使われます。

例えば、列に並ばない人、他人に配慮できない人を文化的ではないと判断します。くわえて文化的・文明的ではない人達は人のものを盗んだりすると思い込んでいる風でもあります。

この第3グループに属する人に対しての評価は非常に低く、自分が彼らにどのように思われるか気にしませんし、自分たちは触らぬ神にたたりなしという風に接します。

とある大学生は、野良犬を見たら無視して距離を取るのが最善であり、威嚇してもダメ、エサをあげてもダメだと言います。すぐに噛みついてくるし、なつかれたら臭くて困るそうです・・・

そういう人との関わり合いを持たないこと、つまり干渉しないことが大事だといいます。

もちろん日本人にも自分と異なるコミュニティからどう思われても気にしないという考え方を持つ人もいます。

例えば、旅の恥はかきすてという言葉があります。

二度と会わない人に、どのように思われても気にしないという考え方が広く見られたのでしょう。

でも、これはあくまでも他人の目を気にしなくても良い環境で気ままに振る舞う人に注意を喚起する言葉でしょうし、人の弱さを指摘した言葉とも言えます。

しかし、中国では非文明的な人をバッサリと切り捨てる傾向が強く見られるので、同じアジアの国とは言え日本人とは違ってるなぁと感じたりします。

オチもヤマもないお話ですが、ちょっと感じたことをまとめてみました。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!

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