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子どもたちの学びをジブンゴトに!〜夢見る小学校「きのくに子どもの村学園」のプロジェクト学習を中心としたホンモノの学びとは?

 朝夕だんだんと涼しくなり、秋をそこかしこに感じられるようになってきました。とはいえ、日中はまだまだ残暑が厳しい毎日ですね。暑い時の無理は後々に響くので、なんとかスローに過ごしたいものです。

 さて、夢見る小学校学びの作り方深掘り講座も4回目を迎えました。と言っても、毎回アーカイブでしか観れず、すでに5回の講座は終了しているのですが(^^;;今回のテーマは、きのくに子どもの村学園が学びの中心としているプロジェクト学習についてです。

 今の学校の学びの様子を見てみると、子どもたちに何かを「させる」「させてあげる」学びで溢れかえっています。子どもたちは、自分がやりたいと思う学びを自由に選ぶことはできません。「なんで?」「あれ?おかしいなぁー」と疑問に思ったことを追求していくことができないのです。通常の公立学校では、教科書を使って、教科書通りに学習を進めていくことが慣例となっており、何を学ぶのかということよりも、教科書を教えることが中心になっています。私自身、なかなか時間的な余裕がない中で、教科書を頼ってしまっているところがあります。まぁ、教科書を超えた学びや教科横断的な学びを作っていくには、それなりの労力がかかりますから、現状の学校の労働環境では仕方のない部分もあるのかもしれません。また、学校行事についても、何をやるか、進め方、当日の進行まで教師主導の学校が多いです。本来は、子どもたちと対話しながら、いや子どもたちが対話しながら主体的に進めていけると良いのですが・・・。あと、先生たちが教科書や自分が受けてきた教育の価値観から抜け出せず、というより本来学びはどうあるべきかという哲学を持っていない、思考停止に陥っているのも大きな原因でしょう。私自身は、まちづくりの仕事に携わっていたおかげで、学校の慣例に違和感や疑問を持つことが多く、自分なりに試行錯誤して学びをつくっているところですが、学校の持つ独特の文化に阻まれる日々です。

 公立学校の現状はさておき、きのくにで取り組まれているプロジェクト学習について紹介していきたいと思います。きのくにがプロジェクト学習を学びの中心にされているのには、やはり学校で学ぶことは、子どもたちの身の回りのこと(生活)であるべきで、ホンモノの活動であることが必要であると考えられているからです。区分された教科ではなく、生きていく上で欠かせないものを学びの中心とし、自分の人生を自分のものにしていってほしいという思いがあります。プロジェクト学習は、自由な知的探求であり、多方面へ発展する学びで、子どもたちの総合的な発達を目指しています。教育学者のデューイは、①問題の感知、②問題の観察、③仮説の暗示、④結論の推考、⑤行動による検証を繰り返すことだと言っています。問題を解決することにより、さらに問題に気づくことが大切だということです。知識は、与えられるものではなく、法則性に気づいたり、既習のものに関連付けたり、別のものに適応してみたりすることで獲得していものだということです。また、カリキュラムを広げていくためには、学習指導要領を超えていく学びが必要だと、加藤さんはおっしゃっていました。教科を横断して知識そのものをつくり出し、自分のものにすることをサポートしていく、ホンモノの仕事を通して意見を伝えたり、調整したり、喜び合うことで生きる力を育まれているのです。

 では、具体的に、きのくにではどのように実践されているのでしょうか。通常、学校では年齢による学年でクラスを形成していきます。でも、きのくにでは、自分が選んだプロジェクトがクラスになります。プロジェクトは1年間同じものに所属し、異年齢のクラスで、そこに大人(先生。きのくにでは大人と呼ぶ)が2人加わります。南アルプス子どもの村では、劇団「南座」、クラフトセンター(大工仕事)、わくわくファーム(農業)、おいしいものを作る会の4つのプロジェクトがあるそうです。このプロジェクトのテーマは、衣食住に関するものから大人が大枠だけ考えて、子どもたちにプレゼンするそうです。このプレゼンに失敗すると、子どもが集まらないので、大人も緊張するのだそうです(笑)

 例えば、おいしいものを作るでは、テーマを「パン」と決めて、麦作りから始めていきます。また、卵もニワトリを育てるところからで、ニワトリ小屋も作ります。卵を産んでもらうためにはどうすればいいのかということで、農場見学にも出かけます。卵が産まれたら、ニワトリをもっと増やしたいということになり、ヒヨコを育てたそうです。もちろん死んでしまうヒヨコも出てくるのですが、生き物の死は学びのシーンのどこかにあるべきだと加藤さんがおっしゃっていました。ジャムも果樹の世話からやり、1つの木に何個実がなったかというのは数の学習へとつながります。種無しブドウを作るのは理科の学習です。パンを焼く窯を作りたいということになり、材料の購入先から原価計算まで子どもたちでやります。こういったプロジェクト学習に付随して出てきたものを、基礎学習のプリントに使うなどして、身近なことと学びをつなげていくのです。最終的には保護者の方を対象にカフェを開いたそうです。

 これらの学習は、最後に「原稿書き」と呼ばれるもので締め括られます。自分たちが取り組んできたことを、人に見せる、伝えるを前提に、自分がやってきたことをとにかく文章にします。学校では、やたらと感想や作文を書かせることが多いですが、書けない子も多いです。でも、それは書かせるから書けないのです。自分たちが一生懸命取り組んだことを、みんなにも知ってもらいたいと思えば、書くことができます。書きたいと思うから、書けるのだと加藤さんは話されていました。どのプロジェクトについても、大人が全て知っているプロである必要はなく、子どもたちと一緒に学んでいくというスタイルもいいなと思いました。

 このプロジェクト学習をカリキュラムとしてどのようにマネジメントしていくかということですが、プロジェクト学習から予想される学びの展開を年度初めまでに考えて、同心円の図で表します。学び終わりにも、同様にどのように広がっていったのかを同心円で表していくそうです。公立学校で同じようなカリキュラムをつくっていく場合は、ノウハウがない分、かなりの時間と労力がかかりそうです。学校もしくは自治体が改革していくという覚悟を持って取り組む必要があるでしょう。

 そして、このプロジェクト学習によって身につくチカラを加藤さんは学習指導要領「主体的、対話的で深い学び」に合わせて、このように言っておられました。
 まず、「主体的」という面では、自分が楽しいと思うことを選び、決め、自分たちで見通しを持って学ぶことができるということです。失敗が許され、学んだことが生かされる、役に立つということが大切です。
 次に、「対話的」では、異年齢ではできることできないことに大きな差があり、力を合わせてプロジェクトに取り組む必要があります。専門家や地域の人にホンモノの知識を教わったり、先人の考えや知恵に触れたり、友達や大人とのやり取りの中で考えを深め広げていくことができます。
 最後に、「深い学び」では、問題解決のために、色々な角度から考える、必要な情報を選び出す、本を作ったり、発表したりすることを通して発信する、経験したことを身の回りのことと関連づけて知識として蓄えるというプロセスがあります。

 これらの過程から、自ら学ぶ力、多方面に興味を持つ力、創造的に考え判断する力を身につけていきます。そして、それは生きる意欲や喜び、感情の自由、人間関係の自由(対等に話し合える)へとつながっていくということでした。私は、この部分がとても大事だなと思いました。こうやってジブンゴトとして社会に関わる人が育っていけば、それは誰もが幸せで持続可能な社会に近づいていくと思うからです。今の学校は民主的ではないと思います。子どもたちに自由に決める権利はなく、教師の専制的な場になってしまっています。

 デューイは、「教育とは、人生のプロセスそのものであって、将来の人生のための準備ではない」と言っています。子どもたちは今を生きています。将来のためにと大人は良かれと思って色々とやらせようとしますが、ニイルが言うように「まずは子どもを幸せにしよう。すべてはその後に続く」こそ教育の原点だと改めて痛感した講座でした。


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