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幸福は鳥が歌うが如く、自ずから外に現れて他人を幸福にする

 最近、ふとポチッと買った哲学の本。三木清という戦前の哲学者の「人生論ノート」を読み解いた岸見一郎(嫌われる勇気の著者)さんの本です。その中で、とても考えさせられたのが『幸福』について書かれていた章です。三木さんは昔の人ですが、時代背景は今と似ているところもあり、なるほどと納得しました。自分の幸福や子どもたちにとっての幸福について、色々と思いを巡らせるきっかけになりました。

以下は、本の抜粋です。三木さんの言葉はカッコがきのものです。

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効率至上主義、競争社会の現代社会で、幸福について考える時間的余裕も気力もない。

チームのため、会社のため、組織のためという言葉の陰で、幸福の要求が抹殺されてはいないか。

「成功するということが人々の主な問題となるようになったとき、幸福というものはもはや人々の深い関心でなくなった。成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。」

正義や道徳、あるいは常識的な価値観に縛られ、自分の幸福を要求することにうしろめたさを感じたり、自分の幸福よりも何か別のもの、他の人のことを優先したりする。

「幸福は徳に反するものではなく、むしろ幸福そのものが徳である。」

「機嫌が良いこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと等々、幸福はつねに外に現れる。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。」

「娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代わりに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。娯楽は生活の中にあって生活スタイルを作るものである。単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなくてはならぬ。」

三木清「人生論ノート」

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 幸福について考える気力を失った現代社会。チームのため、社会のため、そして子どもたちは将来のためと自分の幸せへの欲求を押し殺して生きている。社会的に成功することが幸福と捉えられ、また世間の価値観によって自分の幸福を追求することに後ろめたさを感じなければならない。日々の暮らしが幸せであれば、他人を妬んだり、必要以上に干渉することなく自分の人生を生きられるような気がします。それから、本来は娯楽は必要ないのかもしれないなと思いました。休暇の度に、どこかへ出かけたくなるのは、日々の暮らしが苦しく、辛いもので、自分の心がやりたいと思っていることを押し殺して生きているからなのかもしれない。子どもたちも週末をいつも楽しみにしています。仕事や学校が楽しくて仕方ない場所であるならば、休みなんて要らないとなるのかなと思いました。そんな社会、そんな学校をつくっていけたらと改めて思いました。

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