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大切な人と同じ空気が吸える、ただそれだけのことに感謝したことがありますか

昨年の秋、母と大喧嘩している夢を見た。頭にきすぎて、手に持っていたイクラのおにぎりを母の車のフロントガラスにぐちゃぐちゃに押し付けてやろうかとめちゃくちゃ鼻息荒くしているところで目が覚めた。

あまりにもリアルな夢で(そう、私たちは数えきれないほどぶつかり合った)、怒りを持ったまま起きたその瞬間、その怒りをぶつける相手はもういなのだと悟った。ああ、もう母はこの世にはいないのだと。

不思議なものだ。夢の中ではあんなにもはっきりと存在していたのに。

私は母がいなくなって以来七年、あの夢の中の自分のような激情を持ったことはない。

でもそれはきっと単純に喧嘩する相手がいないからだ。夢の中であんなに怒り、その感情をコントロールできていなかった自分を客観的に思い出すと、発芽する機会がないだけで私の中にはまだ怒りの種はあり、まだまだマインドフルな人間にはなりきれていないことを悟る。

本当にマインドフルな人間だったら、きっと「この怒りはどこからやってくるのだろう」と、無意識の夢の中ですら自分の状況をメタ認知できるのであろう。

それは母の命日まであと三日、という日の出来事だった。

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母がこの世を去るちょうどニか月前に父が撮った写真。何も知らずに現地で両親に合流したこのニ日前の晩、私は母から病気のことを聞かされた。母の視界に入らない時はずっと泣いていた。最後の旅となった北海道旅行にて。

そしてくしくも自分の誕生日の三日前、母は再び明け方の私の夢に現れた。

夢の中で私は「母は自分の命がもうすぐ終わることを知っているのか?私は母の余命がいくばくもないということを知っているというテイでいいのか?母に涙を見せてしまっていいのか?見せたら自分が死ぬと知ってしまうだろうか?」と葛藤していた。

私は実家の台所で食事を準備している小さくなった母の背中をさすり、涙をこらえながらかこぼしながらか、こう訴えていた。

「お母さんと同じ空気を吸えるってことだけで幸せなのに」だから逝かないで、と。

母は、娘にそんなことを言う面があったのかとちょっとびっくりしたような少し戸惑うような笑顔を見せた。(私は母への愛を上手に表現できるような器用な娘ではなかった)

そこで目が覚めた。

あれ、母はまだいるんだっけ?もう逝っちゃったんだっけ?と時空のはざまみたいなところに落ちた私は何が現実かすぐに理解できず、そして少したってから、ああ、もう七年以上も母のいない世界で生きてたんだったんじゃないかということを認識した。

母の体はもうこの世にはない。同じ空気を吸うことは二度とないのだ。

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2018年にマインドフルネス修行(プチ出家)をして二ヶ月以上経った頃、ふと気づいたことがあった。

そういえば私は、母は死んだ後に灰になったとばかり思っていた。しかし母が火葬されたとき、煙突から煙が出たはずだった。ということは、母は目に見える形では骨と灰になったが、残りの部分は煙突から空に流れていったということになる。

ということはあの雲の中にいるかもしれないし、どこかの風になっているんじゃないかと、空を見上げて思った。母が旅立ってからすでに四年が経っていた。それまで一度も煙の方にも母がいたことを考えたことがなかったが、この間ずっと母は文字通り「千の風」になって近くにいたんじゃないかと思った。フランスでプチ出家しているこの場所にもいてもおかしくないと。体はなくなった。でもゼロになったわけじゃなくて、別の何かになったんだ。

先日、私の人生を変えた禅マスター、ティク・ナット・ハン師が95歳で亡くなった。師は、仏教界ではチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマに次ぐ影響力があるとされている。ベトナム戦争の終結を呼び掛けたことで祖国ベトナムを追放され、亡命先のフランスで仏教の教えをマインドフルネスという形で西洋諸国にわかりやすく伝えるための修行道場(禅寺)を設立した。私が2018年に三ヶ月僧侶たちと生活を共にしたのは、まさにプラムヴィレッジと呼ばれるその場所だった。

上の写真は、インターネットで配信された師の葬儀の様子で、棺を運ぶ車には「a cloud never dies」と書かれている。師は常にこの教えを説いていた。万物は全てそれ以外の要素で構成されている(例えば水は水素と酸素でできているし、私たちが自分のものだと思っている体はさっき食べたもの、さっき飲んだもの、それらから作られた血液や筋肉、排せつ物などでできているといった具合にだ)。つまり万物は突然ゼロから生じるわけではなく、相互に共存している。雲はやがて雨になって地表に落ち、それは地中でろ過されてやがて川になり海になり、そしてまた蒸発して雲へと戻っていく。途中で私たちのお茶に形を変えることもある。ということだ。

結局私は師に直接お目にかかることはなかったけれど、師が亡くなった時、私は心の底からこの師と同じ時代を生き、師の直接の弟子たちからその教えに触れることができたことはとても有難いことだと感じた。2500年前にブッダと同じ時代に生きた人もきっとこんな風に感じてたんじゃないだろうか。きっとこれは2500年後から振り返ると、それと同じようなことなのではないだろうか。

長くなってしまったが結局何が言いたいかというと、二度と同じ空気を吸うことはなくても魂は生き続ける。母は私の中にビビッドに存在し続けているし、師もこれから先もおそらくずっと私に影響し続ける。彼らの一部が私の一部になったのだ。だから死はそんなに悲しいことではない。

一方「同じ空気を吸える」ということは、なんでもないように見えて奇跡的な出来事だということだ。それが手に入らなくなって初めて、その有難さを痛切に感じるのだ。夢の中の実家の台所で母の背中をさすった私のように。

「この一瞬一瞬を、大切な人たちと同じ世を生きている奇跡を、大事にして生きていきなさい」というような崇高なことを母が伝えたかったのかどうかは知らないが、あの夢を見たとき、今、実際に会えて、実際に会話できる、そういう身近な人たちを大切にしなければいけないと思った。大切なのに口をきいていない人とも話さなければいけないと思った。

声を聴くことができないというのは寂しいものだ。そんなことを書いてたら恋しくなって涙が出る。夢の中が、私が唯一母を「存在」として感じられる場所。いつまでも、時々ひょっこり現れてくれるのはやっぱり嬉しい。

自分と大切な人が同じ世を生きているというのは「あたりまえのこと」というお面をかぶった奇跡だ。その奇跡に、その奇跡が消えてしまう前に、たくさんの人に気付いてほしいと、心から願う。

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