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嫉妬の炎に焼かれた過去を思い出した話


私は小さい頃から絵を描くことが大好きで、一時は漫画家になりたいと、新人漫画賞に応募したこともあります。

たしか小学校3、4年の頃でしょうか。
私は暇さえあれば、せっせとチラシの裏に絵を描いているような子でした。
私を含め、クラスに何人か絵を描くことが好きな女の子がいて、自分の作品を友だちに披露して、「○○ちゃんうまいね~」なんて言い合ってました。

いつの頃からか、その絵を、かわいい折り紙と交換する、という文化が女の子の間で流行り始めました。
模様付きの折り紙は、とても綺麗で女子心をくすぐります。
私が描いた絵も、「この折り紙と交換して!」と嬉しそうにもらってくれる子がいて、なんともいえない喜びを味わいます。
絵の代わりに手に入ったキラキラな折り紙が嬉しくて、私はそれを励みにさらにせっせと絵を描くようになりました。

絵を描く人は私の他に、クラスで数人。
その中には、足が早くて、頭も良くて、発言力もある、今でいうカースト上位な子もいました。クラスで一番権力を持っている子です。

ある日、自分の中の傑作を何枚か持参し皆に見せたところ、評判は上々。「かわいいね~」「上手だね~」なんて言われて浮かれポンチになっていたところで、そのカースト上位女子も持参した絵を披露します。
すると女の子たちはそっちに行き、めちゃめちゃ盛り上がっています。私もその絵を見に行きました。

(なんだ、たいしたことないじゃん)

当時の私は本気でそう思いました。
でも今思い返してみると、あの子の方がうまかったようにも思います。

当然女の子たちは折り紙を出しながら「私にちょうだい」と、争奪戦が始まります。

折り紙の枚数によってその絵の価値が決まる。
まるで折り紙が札束に見えるような光景。オークションか競り市か?
微笑ましいような、怖いような、今思いだすと笑っちゃうけど、なんともいえないシュールな光景です。

そこで見向きもされなくなった私は思います。

(私の方がうまいのに)
(あの子はクラスのボスだから、私より下手なのに折り紙たくさんもらえるんだ)

うわあ。見ましたか奥さん!
これが嫉妬ってやつですよ!

でもこの頃は自分が描いた絵が一番と本気で思い込んでいたし、自分よりもたくさん折り紙がもらえているその子のことが羨ましくて妬ましくて仕方がありませんでした。
私はこの頃からチキンなので、嫉妬の炎に焼かれながらも、何も言えないしできなかったので、チキンでよかったね……と心から思います。

それでも同級生は絵を褒めてくれるからいいですが、大人はシビアです。

母は毎日家にいましたが仕事をしていたので、暇を持て余した私は、よく隣の家にあそびに行ってました。そこは大人しかいない家だったんですけど、居心地がよくてしょっちゅう入り浸ってました。
そこでも裏が白い広告をもらって、やっぱり絵を描いていました。

いっとき、馬ばっかり描いている時があって。
馬って走っている時の姿がめっちゃかっこよくて、線が美しいなぁって子供心に思ってました。
その時も、何枚も馬の絵を描いていたのですが、それを見たおじちゃんが話しかけてきました。

「それ、何描いてるんだ?」
「馬だよ!」
「馬ぁ? ははっ、へったくそだなぁ。全然馬に見えないよ」

ガガーン!!!

めっちゃ落ち込みました。
今でも鮮明に覚えているくらいだから、相当傷ついたセリフでした。

でもやっぱり今思い返すと、複雑骨折している馬……っていうか、むしろUMA?
なんだかよくわからない絵でした。おじちゃん、何も間違っていません。
いや、馬の足って、難しいよ?よく描こうと思ったね?
たしか、羽根も生やしていた気がします。ペガサス描こうと思ってたのかな。

母の実家に帰省した時。
親戚のおじちゃんに「漫画家になりたい!」と言ったら「ははっ!漫画家になるのはすごく大変なんだぞ。なれるわけないだろう」と笑われ、「絶対なるもん!」とムキになって返すと、「漫画家になりたいと思う人はたくさんいるけれど、本当になれるのは、ほんの一握りだ」みたいな正論をぶつけられて、めっちゃ悔しくて泣きました。
今でも覚えているくらいだから、相当傷ついたセリフでした。

そんなこんなで、もっと絵がうまくなりたいと思った私は、とにかく毎日絵を描きまくります。
でも、新人賞に何度か応募しましたが、最高で「もう一息賞」止まりだった私は、結局漫画家にはなれませんでした。おじちゃんが言ったとおりでした。

漫画を完成させたときは、間違いなく、その時の私の最高傑作であり、新人賞に送るときは「入選・準入選はまあ無理だとしても、佳作くらいはいっちゃうんじゃない?」なんて思ったりもしました。

いや、はっきり言って今思い返すと、絵は下手だし、ストーリーも浅いし、よく自信満々で送ってたな……と思います。

あの、若い頃の謎の自信ってなんなんでしょう。
自分の作品が大作に見えてしまう、謎フィルター。
なんなら、「この漫画家さんにはかなわないけど、この漫画家さんには勝てる!」みたいな自意識過剰も甚だしい上から目線。

そんな謎フィルター越しの自信も、年齢が上がるとともに薄れていき、はっきりと見えてきたのはプロと自分の圧倒的な力の差。その頃には、しっかりと自己肯定感は低くなっており、自分の凡人さ加減を思い知っていました。

漫画家を諦めたあとも、幸い絵を描くことは好きだったので、趣味として楽しめています。
こんなに成功体験がないのに、絵を描くことを嫌いにならなかったのは、唯一、私を褒めてくれる存在、母のおかげかなと思っています。

小さい頃、国語の教科書に載っている物語のシーンを絵に描く、みたいな課題だったと思うんですけど、たぬきがお寺かなんかで踊っている絵を、母がえらく気に入ってくれて。
客間の壁に、額縁に入れて飾ってくれたんですよ。
で、時々来る母の知り合いに、「この絵、うまいでしょ。たぬきのポーズが絶妙で~」みたいに、私が一緒にいるとき、人前で褒めまくるんですよ。

「もう、恥ずかしいから飾るのやめてよ~」なんて言いながら、私、めっちゃ嬉しかったんですよね。たしかに、自分でもうまく描けたなって思っていた絵でしたし。
でもこれ、ただ親ばかなだけなんですよね。

思い出すとめっちゃ恥ずかしい!
恥ずかしいけど、今でも覚えているくらいですから、めちゃくちゃ嬉しかったんですよ。親ばか最高!
下手なりに、絵をずっと楽しく描いてこれたのは、母が褒め続けてくれたからだと思うんです。
あと、広告の裏紙をせっせと集めてくれてたこと。(←?)

漫画家にはなれなかったけれど、今も絵を描くことが好きなままいれることは、本当に幸せなことだと思います。

私は早々に自分が凡人であることに気づけましたが、折り紙の枚数で自分が描いた絵を評価されていたときの、あの嫉妬の炎がずっとメラメラしていたら。
大人になっても、自分の作品が高品質に見える謎のフィルターがかかったままだったら。
想像すると、背筋がすっと冷たくなります。

どんなに頑張っても結果がついてこないとき、人は壊れてしまうことがあります。下手をすれば、自分より何十倍も何百倍も努力してその地位を得ている天才たちに、嫉妬心から刃を向けてしまう人間になっていた可能性もあるわけです。

おそらく大半の人は、自分と犯罪者の間には分厚い壁があると思っているかもしれませんが、意外とその壁は薄く脆く、ちょっとしたきっかけで穴が開き、あちら側へ行くことも十分にあり得ます。そこに気づけているかどうかって、実は大切なことなんじゃないかなぁと思います。

時に嫉妬は、人や自分を傷つけてしまうけれど、凄い才能に出会ったら純粋に「凄い」と感動できて、こんなふうになりたい!と自分のモチベをあげていけるなら、それは自分にとってプラスになる嫉妬。
努力してチャレンジしても結果がなかなかついてこないと辛いけど、好きなことを楽しめなくなってしまったらもっと辛いから、嫉妬とはうまくつきあっていきたいです。

私の母みたいに無条件で褒めてくれる存在や、自分が気づいていなかった才能に気づかせてくれる人の存在って、人生において、とても重要だと感じます。
私は運良くそんな人と出会えました。

だから私も、人の良いところを見つけたら、その人にガンガン伝えていくことをこれからも続けていきたいです。
もしかしたら、こんな凡人の私の言葉でも、何かのきっかけになれるかもしれないからね!

構図の練習をしていたときのラクガキ。
わかる人にはわかるだろうサンバルカン!

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