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ドゥルーズの入門書を読んでよかったこと

千葉雅也さんの『現代思想入門』を読んで思ったのは、現代思想がこんなに身近だったんだ、ということでした。現代思想や哲学の普遍的な問いへの興味が定期的に訪れるのです。学生の頃から積読し、たまに読む、そんな繰り返し。面白いけど、日常と接続が見えなくてあまり続きませんでした。

哲学には芸術や宗教のような憧れがあります。ぼくは自分で哲学することはせず、偉大な哲学者たちをそのまま理解しようとしました。とりあえず知識として頭に入れるものと思っていました。入門書で哲学の解説を読んでも、図式的にな理解に留まってしまいます。そして何より「我」とか「存在」について考える意義を理解できませんでした。

『現代思想入門』千葉雅也

千葉さんが平易にフランス現代思想を解説してくれたおかげでわかったことがあります。ひとつは当然なことですが、現代思想は現代を扱っていることです。今までは難解なもとのして思い込んでいたのでそう思えなかったのでした。
もうひとつ、かつて現代思想を理解しにくいと思っていたのは、知識不足だけでないと気づきました。物事を単純化し過ぎて、きっと誰にとっても良い方法や法則のようなものがある、という期待や願望があったのだと思います。世の中を複雑なものとして複雑なままに受け入れる準備ができていなかったのだと思います。

自分が生きてきて、本を読んできて、もはや複雑でないことが当たり前だと思っています。単純化することの方が嘘っぽい。若い頃は強度のあるものに頼りたかったのかもしれません。それゆえにあるがままに見ずに歪めたり、視野が狭くなっていたのでしょう。ドゥルーズの入口をかじってみ他だけですが、とても身近に問いを扱っていることがわかりました。

プラトンやデカルトやカントの方が図式的な理解がしやすいのかもしれません。時代や文化の背景が違いすぎるからだと思いますが、ぼくには身近には乖離が大きすぎて、超えられない理解の壁があります。ドゥルーズを通して現代を捉え直してみる方が今のぼくには面白そうです。あるいはドゥルーズを通してフーコーやスピノザも知りたいと思いました。

『ドゥルーズの哲学原理』國分功一郎

國分功一郎さんの『ドゥルーズの哲学原理』は発売されてすぐに買ったので、9年くらいは本棚にあったことになります。ドゥルーズはスピノザ、ベルクソン、ニーチェ、フーコーなどを読み込みながら独自の哲学を編み上げていきました。それと同じように『ドゥルーズの哲学原理』での國分さんもドゥルーズを使って自身の哲学を編んだのだと思います。宇野邦一さんの『ドゥルーズ 流動の哲学』がドゥルーズを広範囲に解説しているのと比べると、國分さんはテーマを絞っています。哲学原理とはもちろんドゥルーズのそれであり、國分さんがドゥルーズから抽出した可能性のことだと思いました。

本書を読むと、その後の『中動態の世界』へのつながりがよくわかります。ドゥルーズの主体の考え方について丁寧に開設していることが、國分さんがよく話している自他の境界や能動でも受動でもない主体の在り方の問題へとつながります。哲学は長らく主観や客観を問題にしながら、主体を手放すことができませんでした。ドゥルーズがそれを超えていったように、國分さんも中動態や責任の問題を哲学していったのだと思いました。

『ドゥルーズ 流動の哲学』宇野邦一

『ドゥルーズの哲学原理』と宇野邦一さんの『ドゥルーズ 流動の哲学』を行ったり来たりしながら読んだのが、欲望や資本主義に関することでした。なぜ資本主義から離れられないのかという問いは頭の片隅にいつもあります。逃れることは難しいですが、なぜこうなっているのかが知りたい。デヴィッド・グレーバーは『負債論』を読んだ後で、貨幣の起源について腑に落ちました。貨幣は統治権力とその暴力から生まれました。でもそれだけでは逃れられない理由が説明の半分でしかない。資本主義を動かすもう一つの片輪、欲望と資本主義の関係について知ろうとするなら、ドゥルーズとガタリが記した『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』を読んだほうが良さそうです。ともに「資本主義と分裂症」というサブタイトルが付されています。

ふたりは資本主義を生きることと生きにくさが切り離せない理由を書きました。生きていれば欲望が生じます。些細なことから大きなことまで、すぐに果たせることもあれば永遠に果たされないものもある。果たせないということを繰り返すということは抑え続けなければなりません。さらにやっかいなことに、欲望を叶えるために欲望を抑えなければならないこともあります。大切なことや優先順位を考えて行動するためには多くのことを抑制します。衣食住のためには仕事をせねばならず、仕事のために多くの時間や欲望を抑制しなければなりません。残念ながら、これはシステム上の宿命なのです。

抑制しながら生きなければならないこの社会では、正常であってもつねに神経症の状態にあるのです。それに耐えかねると分裂症になるのです。この欲望のために欲望を抑制しなければならない構造上、居心地の悪さからは逃れられないのです。それを知ったところで何かが変わるわけではありませんが、資本主義の社会を闇雲に生きるよりは心づもりができると思います。


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