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仙の道 13

第六章・佼(2)


「じゃ、僕、行ってきます」
「何かあったら俺たちも出て行くからよ」ドアに向かう礼司の背後から戸枝が声を掛けた。
「大丈夫ですから、ここにいて下さい」礼司は振り返って笑顔を見せた。

乗用車から男達が出てきた。1台ごとに4、5人、20人近い男達が車の周囲に集まり、1人の男から指示を受けていた。
礼司はドアを開けて1人外に出た。数歩前に進み、その場で男達の次の動きを待った。その間、そっと目を閉じて後方のバラック社屋の正面に保護イメージを創った。目を開くと男達の視線が礼司に注がれていた。

男達は何れも明らかに堅気の人達ではなさそうだった。その中から1人ノーネクタイでスーツ姿の男が礼司に向って歩み出てきた。
成和会という話だったので、戸枝と一緒に訪れた建設会社にいた連中が中にいれば、話は早いかと思ったが、中背でがっしりとした体格のその男には見覚えがなかった。

「こんにちわ…何か御用ですか?」先に声を掛けたのは礼司だった。
「社長さん、いる?」男は40絡みだろうか、見た所集団の中では一番の年長の様だった。
「おりますけど、何のご用ですか?」
「坊や、ここの従業員?」
「はい」
「社長、中にいんだろう?ちょっと用があるんだ。訊きたいことがあってな。中に入れて貰えないかな?」
「駄目ですよ。成和会の方たちでしょ?社長は会いませんから、どうぞお帰り下さい」
「なんだよ…もうネタがバレてんのか…じゃ、話が早えや。坊やでもいいや。ここによ、荒木っていう弁護士さんがいるだろ?」
「いますよ」
「今、そこにいるの?」
「はい。でも、おたくらには会いませんよ、社長も荒木さんも」
「はは…そうか。いい度胸だな、坊や。でもよ、俺たちもそうですかって帰る訳にゃいかないんだよ」男はそういうと真顔で礼司を睨みつけた。背後の何人かが拳銃を取り出すのが見えた。

「あ、暴力はやめて下さいね。僕、そういうの嫌いですから」
「何だお前…頭が弱いのか…おい、構わねえから4、5人乗り込んで引っ張り出してこい!」男は背後の男達に声を掛けた。
拳銃を手にした男達数人が2人を回り込んで、バラックの入口ドアに駆け寄った。
1人がドアノブに手を掛けようとした瞬間、全員が目に見えない何かにはね飛ばされ、入口前に尻餅をついた。
男達はすぐに立ち上がり、もう一度ドアに向ったが、再び同じことが起こった。
男達が何度試みても、誰一人ノブに触れることすら出来なかった。目の前の男は礼司の肩越しにその様子を呆然と眺めていた。

「何なんだ?ありゃ…おい、お前えら、何かしたのか?」
「駄目ですよ。中には入れませんから、諦めてください」礼司はそっと窘めたが、その声は男には届いていない様だった。
「おいっ!チャカ打ち込んでみろっ!」

男の命令を受けて何人かがドアに向けて発泡した。どの拳銃の弾もドアはおろかバラック建屋にすら到達することはなく、ドア前の足拭きマットの上に空しく転がっていた。

「おい小僧っ!どういうことなんだっ、こりゃ!」男は明らかに逆上していた。
「だから、あなた達には誰も会わないって言ったじゃないですか」
「ふざけんな、この野郎っ、舐めた口ばっかり叩きやがって!」男は上着の後から重そうな拳銃を取り出し、グリップの底で礼司の顔面に殴り掛かった。その瞬間、胸の奥から何かが込み上げた。
『礼司くん、駄目っ!』突然葉月の声が脳の中に響いた。その声で礼司は力を少し加減する事が出来た。男の狙いは大きく外れ、その手から拳銃は吹き飛ばされ、数十メートルも先の地面に落下した。吹き飛ばされたのはその男の拳銃だけではなかった。周囲にいた男達が手にした全ての拳銃が中空に吹き飛ばされていた。

「てめえ、小僧っ!」男は逆上を押さえ切れず、礼司の胸を掴み殴りかかった。その男の両腕が捩れてゆく…
『それ以上やっちゃ駄目っ!』再び葉月の声が聞こえる。礼司は咄嗟に力を弱めた。

「いてててて…」男は両腕を押さえて礼司の前に座り込んでいた。両手は赤くうっ血していたが、骨折は免れているようだった。その様子を見ていた他の男達全員が礼司の回りを取り囲んだが、その表情は一様に狼狽を隠し切れていない。

「暴力はやめて下さい。怪我したくなかったら、大人しく帰ってくださいよ。お願いします」礼司は頭を下げた。男達はその様子に手を出しかねているようだった。
「お前えら何やってんだっ!相手は小僧一人だ、いいから殺っちまえ!」礼司の足元に座り込んでいた男が叫んだ。

「野郎っ!」木刀を手にした赤いウィンドブレーカーを着た若い男が、真っ先に礼司に襲いかかった。男と木刀は次の瞬間後方の男達の中に吹き飛ばされた。何人かが男の身体の下敷きになっていた。次から次に男達が殴りかかり、掴みかかってくる…その勢いに応じて男達は吹き飛ばされてゆく…礼司は何もせず、なるべく衝撃に反応しないようにその場に立っているだけだった。そうしている限りは、男達に重傷を負わせる心配をせずに済むことが初めて分かった。

その時、一番最後に車から駆けつけた1人が叫んだ。
「あーっ!兄貴いっ!こいつ…こいつです!戸枝の野郎と一緒に乗り込んできた奴です!」

その言葉で、咄嗟に全員が礼司から距離を置いた。叫んだ若い男をよく見ると、あの時最後にジュラルミンケースを運んでくれた内の1人だった。

「お、お前か…組の金パクった奴は…」足元から立ち上がった男は後ずさりしながら脅えた様子で礼司に問い掛けた。
「パクったんじゃないですよ。サンキさんがお貸ししたお金を返して貰いに行っただけですよ」
「う、うるせー…若の腕吹き飛ばしやがって…」
「ああ、あの人…だって、僕に向かって拳銃なんて撃つから…やめろって言ったんですよ。でも、僕は何もしてませんから…そうか…あの人、大丈夫でした?」
「大丈夫な訳ねえだろ…小僧…お前も戸枝の野郎も…ぶっ殺してやる…」礼司を見据える男の目は憎しみに煮えたぎっていた。

「おいっ!誰かチャカ貸せっ!」男が叫ぶと一人が地面にから拳銃を拾い上げ、慌てて手渡した。男はゆっくりと銃口を礼司に向けて構えた。「若の敵だ…覚悟しろ…」
「やめた方がいいですよ。若って人とおんなじになっちゃいますよ…」礼司がそう言っても男の決心に変化は見られなかった。

「兄貴い…兄貴…やめといた方がいいですよお…」先程叫んだ若い男が彼を必死で諌めた。
「うるせー、黙ってろ…このまま何もしねえで帰れる訳ねえだろ」男は引き金の指に力を加えた……が、いくら力を振り絞っても、引き金も撃鉄もピクリとも動かなかった。
「ちきしょーっ!何なんだっ!こいつは!」男はそう叫ぶと、拳銃を地面に投げつけた。礼司は男に近付き、そっと頭に手を置いてこう言った。「もう、分かりましたから…もう、いいですよ」
男は気を失って礼司の腕の中に崩れ落ちた…

「ほら、ちょっと皆さん…見てないで手え貸して下さいよ」
慌てて回りの男達が彼の身体を支えた。
「お、お前…兄貴に何した…?」
「大丈夫。眠ってるだけですから…車に運んであげて下さい。それで帰ったら、成和会の方たちに言っといてくれませんか?」
「な、何をだよ…?」
「ここには誰もいなかったって…」
「ふざけんじゃねえぞっ、小僧っ!」収まりのつかない者がまだまだいるようだった。

礼司は彼らに向かって一歩歩み出て、真顔で少し脅してみた。
「いいですよ…まだやる気ですか?一応言っておきますが、ここから先は命懸けになりますからね…」

男達は後ずさりしながら、あたふたと車に乗り込もうとした。
「すいませーん。拳銃は全部拾っていって下さいね。こんなもん僕らはいりませんからあ」礼司が後の男達に声を掛けると、若い男数人が慌てて散らばった拳銃を拾い集め、車に戻って行った。


4台の車が敷地から出て行くのを礼司が見送っていると、雄次、荒木、戸枝の三人が事務所の入口から外に出てきた。
「ゼンさんの言う通りだったな。いや、無事収めてくれて良かった」雄次が満足そうに礼司に近付いた。
「礼司くん…本当に凄いんだなあ…ありがとう。ここでイサオくんから聞くまでは、てっきり普通の予備校生だとばっかり思ってたけどなあ…いやあ、大ごとにならなくて良かった!」荒木は安心した様子だった。

「あれで大丈夫だったかなあ?あいつら、また来るんじゃないかなあ…」礼司がそう呟くと、すかさず戸枝がその不安を払拭してくれた。
「いやあ、あれで完璧だろう。当分は来ねえよ。力づくでも駄目、チャカも通用しねえんじゃ、やりようがねえだろう。前のこともあるしな。全員無傷で帰したのは良かったよな。それだけ余裕があるって証拠だ。それにしてもやり方が随分上達したんじゃないの?」
「いや、怪我させないように、葉月ちゃんが指導してくれたんです。葉月ちゃんがいなかったら、結構怪我人出しちゃったと思います」
「え?だってうちの葉月とは…昨日会ったばっかりだろ?」
「ええ…そうなんですけど…気持ちがこう高ぶると、葉月ちゃんが『駄目っ』って送ってくれるんですよ」
「そうか…葉月はゼンさんのこと、良く分かってるからなあ…きっと分かるのかも知れねえな…」
「良かったです。僕も人怪我させるのは嫌ですから…」
「じゃ、何?礼司くんはもう葉月ちゃんの尻に敷かれちゃったっていうこと?」戸枝が悪戯っぽい笑顔を浮かべて礼司の顔を覗き込んだ。

「何言ってんすかっ!そんなんじゃないですよ!」
「じゃあ、なんで顔が赤くなってんだよ?」
「えー!やめてくださいよ!そんなことないですってえ!」
「あ、本当だ!礼司くんどんどん顔が赤くなってく!」
「嫌だなあ…先生まで変なこと言わないでくださいよー」
「あははは…そうやってむきになるの見ると、礼司くんも普通の20歳の青年だよなあ…安心するよ」

大人たちにからかわれながら、礼司はこれまで自分が抱えてきた人に言えない孤独感から、少しずつ解放される悦びを感じていた。


飯場には昼から小雨がぱらつき始めた。
4人は事務所のテーブルで澄江が置いて行ってくれた弁当を食べ終え、お茶を飲みながらくつろいでいると、そこに澄江と葉月が戻ってきた。

「やだ、雨降ってきちゃった、あんたたち寮の裏に干しといた洗濯物取り込んどいてくれた?」
「あ、いや、すいません…気が付きませんでした…」荒木が申し訳なさそうに謝った。
「何だよ、お前…こんな時に洗濯なんかしてったのかよ。俺たちゃそれどこじゃなかったんだからよ…な…イサ」雄次は戸枝に同意を求めた。
「え?あ、そう…そうです…」
「何言ってんのよ。もうとっくに終わったんでしょ?葉月がいるんだから分かるのよ。のんびりお弁当食べて、お茶飲んでる暇があるんだったら、その位のこと気が付きなさいよっ!全くもう…一体あたしが毎日何人分の洗濯してると思ってんのよ!」
「あ、俺…すぐに取り込んできます」礼司が立ち上がった。
「篭は炊事場の横に置いてあるからね。畳むのは後であたしがやるから、そのまんま中に置いといてくれればいいからね」
「はい。分かりました。じゃ…」
「乾いてないのはちゃんと中に干しとくんだよ!」
「はーい」礼司は急いで寮の裏手の物干し場に向かった。すぐ後から葉月が追いかけてきた。
「礼司くん。あたしも手伝うよ」
「ああ、有り難う。頼むよ」


裏庭に干された大量の洗濯物を取り込みながら、葉月が礼司に話し掛けた。
「あんた…駄目ねえ…あれじゃ、相手がどうなるか分かんないじゃないの」
「ああ…有り難う、教えてくれて…お陰で誰も怪我させなくて済んだ…」
「何よ、あんな風に垂れ流してたら危ないじゃないの。今まで一杯怪我させてきたんでしょ。まさか、誰も殺してないでしょうね?」
「いや、俺、喧嘩嫌いだから…そんなには経験ないんだよ。あ、でも、結構大怪我させちゃってるかな…何人かだけだけど…いや…10人位…かな…死んだ人はいないと思う…」
「そう?ゼンさんは若い頃は使い方がよく分からなくて、結構人が死んじゃったって言ってたわよ。ま、時代も時代だったんだろうけどさ。礼司くんも気を付けなきゃ駄目よ。あなたはね、何人怪我させたって、殺したって、罰してくれる人がいないんだからね。分かってる?」
「え?そうなの?なんで?」
「はあ…何にも分かってないのねえ…あれじゃ無免許運転で人ゴミん中100キロ走行してるのとおんなじってことよ。少しゼンさんに教えて貰うといいよ」
「そう…俺、何にも知らないんだよ。自分がなんでこんなこと出来るのかも分かんないし、それをどうしたらいいのかも分かんないし、いろんなことが人と全然違うから…でもね、昨日、葉月ちゃんに会って、ゼンさんのこと聞いて、ああ、答えを知ってる人たちがいたんだって、凄く嬉しかったんだ。俺も早くゼンさんに会いたいよ。自分がこれからどうしたらいいのか、教えて欲しいんだ。でもさ、ゼンさんて、遠くにいるんだよね」
「あ、そうそう、ゼンさんね、もうすぐ帰って来るよ。今度は南の方に行かなきゃならないから、その途中で暫くここにいるってさ。礼司くんに会いに来るんだよ」
「本当?いつ?」
「2、3日中じゃないかなあ…あたしもここにいろってさ」
「じゃ、葉月ちゃんも暫くいるの?」
「うん。明日市内の仕事場に行って、暫く休むって言ってくる」
「葉月ちゃんて、何の仕事してるの?」
「コック。見習いだけどね。伯父さんがね、レストランやってるのよ。そこで修業中」
「へえ…だから厨房手伝ってるんだ…」
「そうだ、きょうはおばさんお休みだったわ!あとで夕飯の下ごしらえ手伝わなきゃ。今日の夕ご飯はあたしが腕によりをかけて作ったげるからね。楽しみにしててね」
「分かった。楽しみにしてる…」
「あ、本降りになってきた…早く済ませちゃお。濡らしたらまたお母さんに怒鳴られちゃうよ」
「そうだね…」2人は急いで大量の洗濯物を運び始めた。

第14話につづく…

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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