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仙の道 12

第六章・佼(1)


食堂で昼食を済ませると、礼司は社長の雄次から部屋に呼ばれた。部屋には既に戸枝と荒木、それに見知らぬ娘が1人、雄次の傍らでくつろいでいた。

「お邪魔します…何ですか?」
「おう、礼ちゃん。ちょっとこれからのこと話しとこうと思ってな」雄次は何故か機嫌が良さそうだった。
「あ、はい…でも、どうなるかまだ、分かんないんじゃないんですか?」
「いや、俺も念のために、兄貴の方から何人か若い衆助っ人に寄越して貰おうかと思ったんだけどさ…急にこいつが来てね…」と、雄次は娘を指差した。歳の頃は礼司と同じ位だろうか、目鼻立ちのはっきりした凛とした雰囲気を漂わせた利発そうな娘だった。

「あ、そうか!礼司くん葉月はづきちゃんと会うの初めてなんだ」と言ったのは戸枝だった。
「ええ、はい…えと…葉月さん…ですか?」
彼女はじっと真剣に礼司を見据えていた。

「俺の娘なんだ。おい、葉月、礼司くんだ」
「はじめまして…葉月っす…」彼女はちょこんと礼司に頭を下げた。
「葉月さん…あの、社長にお嬢さんがいたんですか?」
「ああ、市内でな、働いてるんだ。こっからだと遠いから、知り合いんとこに下宿させてんだけど…そうか…礼司くんに葉月会わせるの初めてだったんだな…こいつ、正月位にしかこっちには来ないからな」
「初めまして、礼司です」
「ども…」
「葉月がね、そんな必要はないって言うんだよ」
「え?そんな必要って?」
「だから、助っ人を呼ぶ必要だよ」戸枝が割って入った。
「そんなのいらないでしょ?」そう礼司に投げ掛けたのは葉月だった。
「え?何でお嬢さんが…」見た所、自分とあまり歳の変わらない彼女が、この局面を左右する意見を持っているという状況が礼司には理解できなかった。
第一、今回のこととは殆ど関係のない筈の雄次の娘が、この場にいること自体が不自然に思えた。

「だって、あなただってそう思ってるでしょ?」それは確かにそうかもしれない…成和の連中が万一ここを嗅ぎ付けるとしても、自分がいれば何とか切り抜けられるかも知れない…この飯場には、事件とは何の関係もない気心の知れた仲間たちが沢山いる…できれば彼らが巻き込まれないように派手な暴力沙汰にならないように…と、密かに礼司は考えていた。でも、初対面のこの娘に何故礼司の考えが分かるのだろう…?

「そんなこと…何で分かるの?」礼司は素直に訊いてみた。
「そりゃ、だって、あんたがそう思ってるからよ。でしょ?」葉月は当たり前とばかりに、さらりと答えた。

「はは…うちの娘はね、ちょっと変わってるんだよ」雄次が割って入った。
「礼司くんには葉月ちゃんのこと話してなかったから、ちょっと面食らったかもしれないけど、葉月ちゃんはさ、何故かゼンさんと繋がってるんだ」戸枝が付け加えた。もちろん礼司には何の事かさっぱり分からなかった。

「ゼンさんって…あの、イサオさんの親代わりの?」
「そうだよ。いつか話したろ?」
「じゃ、葉月さんは、ゼンさんと一緒にいるんですか?」
「そうじゃねえんだ。うまく説明できねえけど、ゼンさんがここで暮らすようになった頃、確か葉月ちゃんは中学生になったばっかりだったかなあ…いきなりゼンさんと繋がっちゃったんだよ」
「繋がったって…どういうことですか?」
「つまり…何て言えばいいのかなあ…」
「あのね、あたし、ゼンさんが何考えてるのか分かっちゃうの。ゼンさんがあたしに送ってくれればの話だけど…」
葉月が説明し始めた。
「今日ここに来たんだって、ゼンさんに言われたからなのよ。今ねゼンさん、ちょっと遠くにいるの。場所はどこか分からないけど、うんと北の方…でね、今はまだやることが終わってないから行けないんだって。だから代わりに行って伝えてくれって。明日ね、ここに先生探して人が来るって。でも、喧嘩しちゃ駄目だって。あたしの知らない人がここにいて、その人に任せれば大丈夫だって。あたしがね、ここに来ればその人が誰なのか、すぐに分かるって。ゼンさんとおんなじだから…つまり、あんたのことよ」そう言うと葉月は礼司に向かって微笑んだ。

「それって…あの…テレパシーとか、そういうことですか?」
「ま、そんなとこかな。だから、あんたがなんとかしてくれるから大丈夫って、お父さんたちに伝えに来たのよ、あたし…」
「でも…先生のこととゼンさんって、何か関係してるんですか?」
「俺もここで暫くゼンさんと暮らしてよく分かったんだけど…ゼンさんが大丈夫って言ったら、大丈夫なんだよ。礼司くんだってイサオくんのこととは関係なかったんだろ?」そう言ったのは荒木だった。どうやらこの中で事の事情が呑み込めていないのは礼司だけの様だった。

「僕と、そのゼンさんが同じって言ってたけど…どういうことなの?」
「あたしもさ、そんな人が本当にいるのかなあって、半信半疑だったけど、ここに着いたらすぐに分かったわ。あんたの考えてること、全部分かるもん。あ、ほんとだって…びっくりしたわよ。駄目よ、あたしがいる時は全部出しちゃ、少しはしまっとかないと。お腹空いたとか、トイレ行きたいとか、そんなことあたしもいちいち聞きたくないし…ね」と、葉月は悪戯っぽく微笑んだ。
そう言われても礼司には為す術がなかったが、不思議と恥ずかしい気持ちはなかった。それ以上に、幼い頃から常に心の奥に感じていた孤独感が少し癒された気がした。

「そういうことだから、助っ人は頼まない。明日は、寮の連中は全員現場に出すようにする。おばさんは休んで貰うから、葉月は炊事場手伝ってくれよ。俺とイサオはここで見守るとして…先生はどうする?」
「一緒にいて貰った方が安心ですね」礼司が呟く。
「じゃあとは、ゼンさん信じて、礼司くんに任せよう」
「分かりました…」礼司が落ち着いた表情で受け入れると、皆一様に安心したようだった。


夕方、礼司は一人外の廃材置き場に腰掛けて、山々を見事に朱に染め上げる夕焼けを眺めていた。
明日何が起きるのか、予想は出来なかったが、特に不安はなかった。それよりも、『神谷善蔵』という人物が、自分の運命と深く繋がっているという事実をどう受け止めたらいいのか、思いを巡らせていた。

以前から善蔵の話は戸枝と雄次から聞かされていた。その善蔵が自分と同じ能力、同じ運命を持った人物かも知れないのだ。考えてみれば、父の事件、荒木との出会い、戸枝との深い絆、そして自分と善蔵を結びつける葉月の出現、全ては一本の糸で結ばれているようにも思える。
葉月は自分と善蔵が『同じ』だと言っていた。葉月は善蔵と同じく自分とも繋がっているらしい。ということは、彼女はこれからも自分の人生に深く関わってゆくのだろうか…

礼司は葉月の容姿を思い返した。自分と同世代で、見た所特に変わったところも見られない普通の若い女の子だ。中背でスタイルの良い細い身体つきを今時のカジュアルな服装で包んでいる姿は、礼司が通っていた予備校で見掛けても決して珍しくない都会肌の娘だ。
目鼻立ちがはっきりしているのは明らかに母親似だろう。食堂で飯場の男達を怒鳴りとばしている澄江の表情が頭に浮かんだ…『そうか…きっとあの娘も太るのかな…』中年になった葉月の容姿を想像して、礼司は小さく微笑んだ。

「あら、あたしはお母さんみたいに太んないわよ!」背後から声を掛けたのは葉月だった。
「あ、ご、ご免……」
「いいわよ別に…想像するくらい礼司くんの自由だもんね。礼司くんって呼んでいい?」
「え?うん…あんた、よりいいかな…はは…」
「礼司くんてさ、幾つなの?」
「20歳だけど」
「ふーん、あたしより1つ上なんだね。じゃあたしのことは葉月ちゃんでいいや。よろしくね」葉月はそういうと片手を差し出した。

「あ、僕こそ、宜しく」礼司は華奢な手をそっと握った。葉月は礼司の隣に腰掛けた。
「大丈夫?礼司くん…」
「何が?」
「何がって、明日のことよ。心配してないみたいだけどさ」
「ああ、それは別に大丈夫と思うけど…」
「ゼンさんのことが気になるみたいね」
「あのさ、葉月ちゃんは離れててもゼンさんの考えてることが分かるんだよね」
「そうよ。分かるっていうか、ゼンさんが送ってくれるの」
「僕の考えてることも分かるんだよねえ?」
「近くにいればね。だって礼司くんは垂れ流しなんだもん」
「じゃ、僕とゼンさんは直接交信できないの?」
「出来るんじゃないの?だって、ゼンさんはもう礼司くんのこと知ってるもん。礼司くんが下手なだけなんじゃない?」
「葉月ちゃんとゼンさんもお互いに交信出来るんだよね?だったら、僕と葉月ちゃんもお互いに交信できるの?」
「多分ね…だから、そっちから送ってくれなきゃ駄目なのよ。何て言うのかなあ…交信っていうより、傍に来てくれる感じね。お話してるって感じだよ。え?なに?もしかして礼司くん、あたしと繋がってたいの?あたしのこと気に入ってくれちゃった?」
「い、いや、別にそういう訳じゃないんだけどさ…だって…ずるいよ。こっちのことばっかりバレバレでさあ…」
「あ、照れてる照れてる。やだ、礼司くんて純情なのね。あははは…ゼンさんとおんなじなのに純情なんて、可笑しいっ!」葉月は愉快そうに屈託なく笑った。その笑顔はまさに母親の澄江の笑顔と同じだった。
「いや、似てない似てない…」葉月は慌てて首を振った。


翌日、いつものように朝には寮舎の人々はマイクロバスに乗り分けてそれぞれの現場に向った。彼らを見送ると、念のため澄江と葉月も付き合いのある近所の農家に遊びに出掛けた。飯場には社長の雄次と荒木、戸枝と礼司の4人だけが残った。

「お客さんはいつごろ来るのかなあ…」会議テーブルでお茶を飲みながら雄次が呟いた。
「成和の連中だったら、朝集合して、横浜からここまで、せいぜい掛かっても2、3時間ってとこだろう?…ま、午前中にはいらっしゃるんじゃねえかなあ…出入りじゃねえから夜討ってことはねえだろうな。俺と礼司くんまで一緒にいるとは思ってねえだろうから、そんなに人数も多くないとは思うけど、そうか…うちの組の息が掛かった飯場だって分かってるとすると…結構準備してくるかもだなあ…」そう予想したのは戸枝だった。
「で、俺たちはここにいていいのかなあ?どうしたらいい?礼司くん」落ち着かない様子で荒木が訊いた。
「人が来たら、僕一人で出て行きますんで、ここでお茶でも飲んでて下さい。くれぐれも外には出ないようにお願いします。っていうかここには入って来られないようにしちゃいますから、多分その間は誰も外に出られませんけど…」
「そんなこと出来るの?」
「ええ…多分」
「イサオくんから礼司くんの不思議な能力は聞いてるけど、本当に大丈夫なの?怪我したりとかしないの?」
「荒木さん、僕、生まれてからいままで怪我ってしたことないんですよ」
「へえ…そうなんだ…」
「確かゼンさんもおんなじようなこと言ってたなあ…」雑誌を捲りながら雄次が呟いた。


戸枝の予想は的中した。飯場の敷地の前に一台の黒塗りの乗用車が停まったのは午前11時少し前だった。
中から2人の男が降りて、敷地の中の様子を窺いながら、何やら話をしている。数分するとその後にもう1台、また1台と乗用車が停まり、車は全部で4台となった。やがて4台の車は揃って敷地への入口を潜り、ゆっくりとプレハブ事務所の前に停まった。

「じゃ、僕、行ってきます」
「何かあったら俺たちも出て行くからよ」ドアに向かう礼司の背後から戸枝が声を掛けた。
「大丈夫ですから、ここにいて下さい」礼司は振り返って笑顔を見せた。

第13話につづく…

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連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家のカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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