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ある晴れた日に… 4 (最終話)

[ 前回の話はこちら… ]


人々は空の彼方に消えてしまった…
一体、何処に行ってしまったのだろう…

私はきっといずれ自分にもその時が訪れるのだろうと、ひたすら待った。
しかし、幾日経っても、私には何も起こらなかった。
消えた人々が戻ってくる気配も全くない…

気落ちしている暇はない。
数日後には全てのインフラが停止したのだ。
当たり前の話だ。それらを管理する人間が1人もいないのだから…
電気、水道、ガス、電話、インターネット…何も使えなくなった。そうなるとマンションの階上ほど暮らしにくい場所はない。


暫く波多野から借りた車で、東京中を徘徊したが、やはり何処にも人の気配はなかった。
殆どの店舗は開かれたままだ。どの住宅にも鍵はかけられていないし、マンションを含めどのビルもセキュリティーは解除されていて、どの施設にも出入りは自由だ。

ガソリンも残り少なくなったので途中ガソリンスタンドに立ち寄ったが、肝心の電源がないので給油は出来ない。ただ、どこの通りにも路肩に沢山の車が乗り捨てられている。多くの車がロックされておらず、鍵は付けられたままだ。
何も給油の必要はない。乗り換えれば済むことなのだ。さらに簡単な手動ポンプさえあれば他の車からガソリンを拝借することもできる。多分私が一生掛かっても街に残された燃料を使い切ることは出来ないだろう。

私はこれからのことを考えて、燃費の良さそうな四輪駆動のバンに乗り換え、一度必要最小限のものを取りに自宅に戻り、まずはこれからの生活の場を探索することにした。

このまま都会に住む気にはなれなかった。もしも孤独な生活がこのまま続くのなら、せめて長閑で安心できる場所を探すべきだと考えたのだ。


住まいの探索には2週間ほどを費やした…
車なら都心からもそれほど遠くない多摩地区の高台に最適な一軒家を見つけた。

堅牢な新建材の新しい家屋で、屋根には一面太陽光パネル、大型の蓄電装置、軽油燃料の大型ジェネレーターも備えていた。ガスはプロパンボンベ、水は水源地からの湧き水が引かれている。
小さなリビングには小振りながら薪ストーブも備えてある。
要するに、社会インフラから独立できる設備を全て備えているのだ。
明らかに、クリエーター個人のセカンドハウスといったところだろう。決して大きな家ではないが、内装のセンスも良く、1人暮らしには、これほど効率的で快適な空間は他には望めないだろう。

この家で最も役に立ったのはリビングから外に大きく広げられたウッドテラスだ。広い空に畑や雑木林、眼下には誰もいなくなった麓の町を臨む…ここに椅子を出して外の風に吹かれていると、何故自分はここにいるのか…何故周囲には誰もいないのか…私は取り残されたのか…それとも選ばれたのか…これから一体何をすべきなのか…何を目的にすればいいのか…様々な思索に包まれてゆく。それは、当面の目的を見出すというよりも、むしろ瞑想に近い哲学的な思索だ。
日々のこの時間があったお陰で、私は何とか『私』を保っていられたのだろうと思う…


『私と同じように取り残された人間が何処かにいるのではないか?…』
その考えも諦めた訳ではなかった。
もしも、誰か他の人物が世界の何処かにいたら…きっと仲間を探して交信を試している筈だ。
インフラを失ったこの世界で、手軽に考えられる方法は、昔ながらの短波通信だ。元々工学的な知識も技術もない私は、街の大型書店でアマチュア無線の機器情報を集め、専門店を見つけ、何とか広域の受送信設備を組み上げた。
毎日決まった時間に送信を続け、時間のある時には検波を続けたが、数ヶ月の間、何の成果も上げられず、費やした時間はただ自分の『孤立』を確実にするばかりだった。


全くの孤独という訳でもない…
時折食料や道具の調達に赴く街には、人が消えてから次第に動物の姿が増えてきていた。
カラス、鳩、雀、ネズミ、ゴキブリ、蜘蛛、蟻、猫、犬…さらに、イノシシや鹿、猿、狸、イタチ、穴熊、時には大きなツキノワグマが徘徊していることもある。
街に残された生の食料は殆ど彼らが平らげてしまったようだ。

当初は早かれ遅かれ、私も彼らの餌食となってしまうかもしれないと覚悟していたが、何故か彼らは私は襲わない。どの動物も親しげに寄ってくるだけなのだ。
理由は分からない…もしかしたら、最後の生き残りの1匹に敬意を払っているのかもしれない…

管理者がいなくなってしまったので、繋がれたり閉じ込められた家畜やペットは、餓死するしかない…元来動物好きという訳でもないのだが、そういう動物が目に入ると、必ず立ち寄って、自由に解放してあげていた。
自分と同様、自由に生き残る権利くらいは彼らにもある筈だと思えるからだ。

街には肉や野菜や加工食品が溢れていた。店頭に並んでいるものは、街を訪れた動物たちにも解放されているが、冷凍室や食料倉庫があれば、必ず扉を解放することを心掛けている。
私が必要とする食材は本当に僅かだ。それも缶詰や多少の穀類、もしくはフリーズドライ加工された保存食材ばかり…消費する人間たちがいなくなってしまった今、残された大量の食材はせめて動物たちに供給されるべきだ。地球はもはや人類のものではなくなってしまったのだから…
いや、元々人類のものではなかったのだろう。
そんなことが、私が動物に襲われないことと関係があるのだろうか…


そして…数ヶ月が過ぎた…

私自身は一体いつ重力から解放されるのだろうか…期待したような変化はなかったものの、心の中では明らかに何かが変化していた…

これまで私は何よりも自分の仕事と創作力を大事に生きてきた。よくよく思い返してみれば、家族を含め周囲との人間関係は自分にとってはあくまでも二の次だった。
気さくで理解力のある良い人物を装い、当たり障りのない人間関係で、自分の創作環境を守り続けた。夫婦関係も親子関係も同じである。実は自分は本当の意味での『他』への愛情を持ったことが無かったのかもしれない…

しかし…周囲から全く人がいなくなり、『孤独』から脱出できる可能性が日々奪われていく中で、実は私の中に芽生え始めたのは『他』の生命への愛情だった。

街で出会う動物たち…新しい住まいの周囲で出会う動物たち…野良犬、野良猫、様々な野生動物…鳥たちや昆虫たちに対しても『愛おしい』感情が湧き上がってくる。
あれほどおぞましかったゴキブリやネズミや蛇、ムカデ、蜘蛛、ゲジゲジでさえ、愛らしいと感じるのだ。

彼らも私に対しては、警戒心も敵愾てきがい心も一切持っていない様だった。どの生き物も私には安心して近づいてくる。その関係に私もいつの間にかすっかり慣れてしまっていた。

動物たちだけではない。ここ最近は植物に対してでさえ、深い愛情を感じてしまう。かつては鬱陶うっとうしかった雑草類にでさえ命の美しさを感じ、とても刈り取ってしまう気にはなれない。


こうして、1年が過ぎた…

今日が何月何日の何曜日か…という感覚はとうの前から消え失せてしまっていたが、季節が一周巡り、またあの日と同じ時期が訪れたことは分かる。

私は、いつもの様に朝の日差しを感じると目を覚ます。もちろんアラームは使わない、というか必要ない。
作り置きの手作りパンとハム、瓶詰めのピクルスとコーヒーの朝食を摂り…昨日の食材の残り物を持ってウッドテラスの周囲に置かれた器に置いてゆく…待ち兼ねたように動物たちや鳥たちが周囲に集まってくる…
午前中の時間は概ね住居設備や工具のメンテナンスに費やす。時間に余裕のあるときは周囲の散策に出かける。1年前は整備された畑や雑木林に囲まれた長閑な郊外だったが、今やほぼ草木が生い茂る原生林に姿を変えている。ここを散策すると生命のエネルギーを一身に浴びることができるのだ。

陽が高くなると、食材を確認し、必要なものがあれば、車で街に行く…1年が経った今でも、街には保存食品がふんだんに残されている。まあ、いずれはそれも尽きるのだろうが、その時はその時に考えればいい。
陽がまだ高い間に帰宅し、食事を作る…ここで生活を始めて暫く経った頃、自分には朝の軽食と夕刻前の食事、それで充分であることが分かった。
気が向けば、酒も飲むし、タバコも吸う。何故か自分にとっての適量というものが次第に分かってくるのだ。

夕刻…テラスにお気に入りの椅子を出して、ゆったりと思索を楽しむ…やがて、思索は瞑想へと変わってゆく…その経緯も含めて楽しむのだ。
陽が暮れれば、そこからは文化生活だ。まずは短波受送信機のスイッチを入れ、映画を観たり、音楽を聴いたり、読書に耽ることもあれば、創作やゲームを楽しむこともある。
就寝時間は必然的に訪れる。眠れない時間を過ごすことなど皆無なのだ。


こうした毎日を続けている間に、私の中から『不安』や『焦り』は完全に消えてしまった。あれほど誰かと会いたいと願っていた欲求も消滅してしまった様だった。このまま、私はここにいる…今ではそれで充分の様にも思えるのだ。


ある日、いつもの様に食事を終えた私は、いつもの様に夕陽に照らされた周囲の木々や草花を眺めながら、広いウッドテラスの中央の椅子に座った…
暫くすると、いつもよりはっきりと、静かに流れる風の音が聞こえてきた。その風の音に同期する様に木々や草が揺れる音が加わる…
やがて空の雲が流れる音…陽の光に暖められる地面の音…地表の水分が蒸発する音…も聴こえてくる…
そこに虫たちが徘徊する音、動物たちの声、鳥のさえずり、水源の水音…様々な音が重なり合って…
天地が創り上げる壮大なアンサンブルとして、1つにまとまり始め…やがて、これまで聴いた事のないダイナミックな響きとして私の全身を包み込み始めた。

私はその響きに打たれた様に、空の一点を見つめていた…
何かが、訪れる様な気がする…

どのくらいの時間が経ったのだろうか…
夕焼けの空は次第に暮れかかってゆく…

やがて私が見つめる空に1つ白く光る小さな点が現れた。それは明星よりも強い輝きだ…
そして次第にパラパラと 少しずつ数を増やしてゆく…
それぞれは数が増えるごとに輝きを増してゆく様だ…輝きはゆったりと揺らいでいる…

その揺らぎは私を包み込んでいた響きと同調している様に見える。
発光体は無数に増え続け…もはや空一面を覆い尽くす程だ…

それらは天空の遥か彼方から地上に向かってゆっくりと降りてくる無数の発光体だ。

周囲は陽が暮れ掛かっているにも関わらず、それらが発する白い光に照らされ、不思議な寒色世界に変貌している。

私はただ、次第に近づいてくるその光を見つめるだけだ。


やがて降臨する無数の発光体1つ1つの姿が次第に見えてきた…
その1つ1つは…人の形をしている…男性、女性、老人、若者、子供、赤ん坊…それぞれ背中に羽を持つ、無数の天使だ。

光輝く無数の天使たちは、私を包んでいた響きに同調する様に、ゆったりとダンスを踊っている…
その動きがが発光の揺らぎとなっていたのだ。


そして、私の頭上僅か数十メートルのところで一斉に下降とダンスをピタリと止めた。
そして、全ての天使たちは私をじっと見下ろしている。
その眼差しと光が私を優しく包み込む…
やがて、私は、心地良い陶酔に導かれていった…


今、私が1年を過ごした家のウッドテラスの中央には、あのお気に入りだった一脚の椅子が座り手を失い、ポツンと取り残されている…

おわり…


この短編小説ではイラストレーターのTAIZO デラ・スミス氏に表紙イラストを提供して頂きました。
TAIZO氏のProfile 作品紹介は…
https://i.fileweb.jp/taizodelasmith/








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