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仙の道 24

第十章・活(1)


「あんたがたどこさ 肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ…」

「何だよ、葉月ちゃん随分浮かれてんじゃねえか…」運転席から戸枝が声を掛けた。
「いいじゃない…だってさ、こんなに遠くに旅するのなんて、あたし修学旅行以来だもん。それにさ、ゼンさんも一緒だし、礼司くんのお母さんも一緒なんでしょ?お母さんってさ、すごくいい人なんでしょ?」
「いい人だぜえ…何かこう温かくてさ…優しくて…な」
「僕は…母親って言ったら…あの人だけだから、普通だと思うけど…」後部座席の礼司が答える。
「みんなで知らないところで一緒に暮らすなんてさ、わくわくするわよ。阿蘇って、良いとこなんでしょ?あたしいろいろ調べたのよ。奇麗なとこよねえ…温泉も沢山あるし、美味しいものも沢山あるんだよ…楽しみだわあ…」
「おいおい、葉月、物見遊山じゃあねえんだぜ。俺たちゃあ仕事に行くんだからよ。遊んでばっかりってえ訳にゃいかねえんだぜ」善蔵が助手席で苦笑した。
「分かってるわよ。何よ、いいじゃない。ちゃんと働いたら、少しは楽しまなきゃでしょう?」
「違えねえ…はは…葉月にゃあ、とてもじゃねえが敵わねえや…」

4人を乗せた大型のバンは、高速道路を一路西に向かって走り続けた…


療養所のロビーで母親の昌美と姉の佳奈の2人が、事務長に付き添われ礼司たちを迎えた。
昌美はもうすっかり以前の母親に戻っていた。見覚えのあるワンピースとジャケットを身に着け、嬉しそうに手を上げて礼司と戸枝の前に歩み寄った。薄化粧に口紅が映えていた。

「礼くん…戸枝さん…会いたかった…会いたかったわ…」笑顔の昌美は少し目を潤ませていた。
「良かったねえ…奥さん。すっかり良さそうで…ようやく奥さんの手料理、食わして貰えるんだよな…」戸枝が昌美の手を取った。礼司は姉の佳奈、善蔵、葉月をそれぞれに紹介した。

「戸枝さん、本当にいろいろ母と弟がお世話になりました。それに…お金も送って頂いて、本当に助かってます」昌美の横に立った姉の佳奈が深々と頭を下げた。
「そんな…お世話になったのはこっちなんですから…お金も、あれは礼司くんの分ですから…」

一応の挨拶が終わると、事務長が戸枝に話しかけた。
「もう大丈夫ですよ。御本人も大変頑張られましたから…退所手続きの方はお嬢さんと済ませておきましたから、いつでも出発されて結構です。あ、そうそうトエさん、送って頂いた分の残金がありますが、返金はどうしましょうか?」
「ああ…それは、とっといて貰ってくれって叔父貴が言ってましたよ。ほら、また組のもんが迷惑掛けるかもしれねえから…いろいろ気苦労掛けて申し訳なかったです。叔父貴もくれぐれも礼を言っといてくれって…」
「はは…そうですか、それではお預かりしておきます。とにかくお力になれて良かったです。また何かありましたら、いつでも相談下さい」
「本当に…お世話になりました……」昌美が事務長に頭を下げると、彼は少し真顔に戻り、一言加えた。
「もう、戻ってきちゃあいけませんよ、春田さん。頑張って下さいね」


バンは6人を乗せて、次の目的地岐阜へと向かった…
善藏たちの西方行きを聞きつけた成和会の成田が、途中是非立ち寄って欲しいと強行に申し出ていたのだ。道中昌美と佳奈は善蔵や葉月とすっかり打ち解けて談笑に興じていた。


岐阜では政界を引退したあの尾崎の妻の実家でもある市内の古い旅館に部屋が用意されていた。
成田も尾崎も事件の罪を問われる事なく、善蔵によってシフトされた新しい人生にそれぞれ満足している様子だった。その歓待振りは、2人が善藏たちにどれほど感謝しているかを示していた。

礼司と昌美と佳奈の3人は善蔵に促され、早々に宴席を中座して旅館の部屋に戻った。久々に家族3人の時間を過ごすことが出来た…

「それにしてもよかったあ!お母さん、元気になって…」部屋に戻って最初に口を開いたのは佳奈だった。
「礼くんにも佳奈ちゃんにも、いろいろ迷惑掛けちゃってごめんね…でも、もう大丈夫…あたし、2度とお酒は口にしないから…ごめんね…」
「もういいよ。元気になったんだから…お母さん、よく頑張ったよ。それより、年が明けたらお父さん仮出所だって…お母さん、どうするの?」礼司が切り出した。

「あれからね、お父さんとずっと連絡取ってたのよ、あたし…お手紙だけど…それでね、もう一度やり直してみようと思うの…佳奈ちゃん、礼くん、どう思う?」
「あたしたちは、そうしてくれたら安心よお。ねえ礼くん」
「ああ、もう許してあげなよ。お父さんもう充分罰は受けたんだから…」
「そうね…そうよね…とにかく、もう一度お父さんとやり直してみることにするわ…」昌美はそう言いながら大きく息を吸い込み、微笑んだ。

「そうか…良かった…あ、それよりさ、ねえ、礼くんがこれからやらなきゃいけない仕事って、一体どんなことなの?」佳奈が訊ねる。
「うーん…実はね、俺も良く知らないんだ…」
これまで2人には戸枝や善蔵との様々な経緯について大体のことは報告していたが、礼司はこの時初めて、善蔵から伝えられた自分の運命について2人に詳しく話をした…


「だから…僕と善蔵さんは、同じ運命を持ってるんだ。多分今まで善蔵さんがやってきたことを僕が引き継いでいかなきゃならないんだ…何をどうするのかはこれから教えてくれるんだと思うんだけど…」

礼司の不思議な能力については、彼が幼い頃から供に暮らしてきた2人とも気付いていたものの、行く行く暴力と無縁の人生を送る事が出来れば、いずれは解消できると考えていた。しかし、そこに思いも及ばぬ尋常ではない理由がある事を知らされると、さすがに衝撃を受けた様子だった。
暫く沈黙が続いた…

「…じゃあ…あの…善蔵さんていう人は…一体、お幾つ位なの?」昌美が恐る恐る訊ねた。自分の息子がこの先直面しなければならない途方もない人生の姿を、何とか掴んでおきたかったのだろう…

「ゼンさんが生まれたのは…確か…正徳しょうとく年間の始めの方だったから…西暦で言うと…えーと…1700…10年位かな?だから、300歳位ってことだけど...」
「300歳!…じゃ、礼くんも300年生き続けるって…いうことなの?」
「多分…ゼンさんの前の智龍様は足利将軍の頃からって言ってたから…やっぱりその位なのかな?…あの…個人差は、あるんだろうけど…」
「まあ…あの…長生きなんだからさ…いいんじゃないの…?」
「佳奈?あなた、何言ってるの?いくら長生きったって…300年よ、300年。自分の息子が300年も生き続けなきゃならないのよ。みんな死んじゃうのよ。あたしも佳奈もお父さんも、友達も、自分の子供だって、孫だって、みんな死んじゃうのよ。1人ぽっちになっちゃうのよ。1人ぽっちになっても、それでもまだ、ずっとずっと生き続けるのよ。そんなの…そんなのって…」昌美はそこまで言って言葉を詰まらせた。

「でも…善蔵さんだって、その前の人だって、そうやって生き続けてきたんでしょ?善蔵さん、ちっとも寂しそうじゃないじゃない。最初見た時は、ちょっと変わった人だなって思ったけど、あたし達よりずっと生き生きしてるわよ。300年生きる人には300年生きる人の生き方があるのよ、きっと。何も病気で寝たきりで300年生きる訳じゃないんだから。そりゃあ、あたし達には想像もつかないけどさ…心配したって仕方ないじゃない。礼くんの人生なんだから…きっと礼くんが自分で切り開いていくわよ。ね?」
「あ?ああ…僕はもうとっくに覚悟出来てるから…」
「でも…礼くん、大丈夫なの?怖くないの?」昌美は不安げに礼司の顔を覗き込んだ。
「そりゃ…ちょっとは不安だけど…でも怖くはないんだ。それより…小っちゃい頃からずっと自分が他人ひとと違うって…そっちの方が怖かった。ゼンさんと会って、自分の役割がはっきりしてるってことが分かったら、何だかすっきりしたんだよね。これで良かったんだなって…ちゃんと進むべき道が見えたって感じで…だから、お母さんは、心配しなくていいから」
「…そう…礼くんがそう思うんだったら…あたし、少し安心したわ…」昌美は礼司の言葉を聞いて少し落ち着きを取り戻していた。

「そうよ。お母さん、第一人の心配してる場合じゃないでしょ?これから自分の人生やり直すんでしょ?」佳奈がはっぱをかける…
「本当だわ…そうだったわね…それより、佳奈ちゃんの方は?これからどうするの?」
「あのね、今の会社なんだけど…すごく良くして貰ってて、いい職場なんだけどさ、このところ不況のせいでリストラが始まってるのよ。お給料のね、未払もあるの。前に戸枝さんが沢山お金送ってくれたから、あたし生活にはあまり困ってないでしょ…社長さんには余裕ができたらで構わないって言ってるんだけど…それでも、周りの人も結構辞めてくし…このままいてもいいのかなあって…そしたらね、この間荒木さんがね、電話で…お父さんの仮出所の時に一緒に迎えに行かないかって…それで、お父さんと一緒に一度阿蘇に行こうって言われたのよ。一度家族揃ってゆっくり今後の事、よく話し合ったらいいって…それで、あたしね、年内一杯で会社辞めようと思ってるの。それで年が明けたらお父さん連れてとにかくそっちに行く。これからのことは、それから考えるわ。礼くんもお母さんも、いいでしょ?」
「じゃあ、本当に一家4人また一緒になれるんだね」
「今度はもっと賑やかよ。戸枝さんも、善蔵さんも…それに葉月さんも一緒なんでしょう?そうだ、ちょっとお正月は過ぎちゃうけど、今年は美味しいお節、一杯作らなくちゃね」
「そうだ、葉月ちゃんはね、コック見習いなんだよ」
「あたしあの娘好き。明るくていい娘よねえ。可愛いし…あ、礼くん、そう言えば随分仲良しだけど…もしかして…もしかして?」
「あら、そう言えば…そんな感じそんな感じ。礼くん、あの娘といる時嬉しそうだわね」
「な、何言ってんだよ…そんなことないって…あの娘は元々ゼンさんと繋がってるんだから…」
「っていうことは、礼くんとも繋がってるんでしょ?」昌美が言う…図星だ。今や礼司と葉月は自在に交信出来るようになっている。
「ほらあ、礼くん、赤くなってるう!あはは…やだ、やっぱりそうなんじゃないのお!」佳奈が少し頬を上気させた礼司を指差した。
「まあ、何だかんだ言ってもちゃんと青春してるのねえ…安心したわあ…」
「もう…お願いだから、やめてくれよ…へへ…」礼司は照れながらも、今、母と姉がこうして目の前で以前のように笑顔を見せてくれていることが嬉しくて仕方がなかった。そして、ここにもしも葉月がいてくれたら…と、少し考えてみた…


翌日、一行は神戸に移動し、一晩佳奈との一時の別れを惜しんだ。別れ際に佳奈は葉月にそっと耳打ちした。「葉月ちゃん、礼司を宜しくね。あいつ鈍いから苛々させちゃうかも知れないけど…実は純情なだけだから…」

葉月は、「知ってる知ってる。大丈夫。あたしね、智龍の扱いには慣れてんの…」そう答えた。

そして翌朝から5人は再び高速を走り、一気に阿蘇を目指した…


昼には関門橋を越え、午後いよいよ熊本県に入る…
高速を降り、阿蘇外輪山の長いトンネルを抜けると、周囲を山々に囲まれた広大な盆地に出る…阿蘇のカルデラだ。さらに中岳の麓、南阿蘇へと向かう…
戸枝は善蔵に指示されるままに川沿いの細い道に入る…道の突き当たりの古い神社…駐車場とは名ばかりの雑草だらけの空き地に車を停めた。

「さ、みんな降りるぞ。先ずはここの佼龍さんにねぐら開けて貰わねえとな」
「え?ここにも龍族の方がいるんですか?」善蔵の言葉に思わず戸枝が訊ねた。
「おう、お前え等の仲間だぜ…っていうか、ま、先輩ってことだな」

深い雑木林の中の古い神社だった。入口の苔生した石の鳥居には『八尺やさか神社』と彫られている。
清水が滾々と湧き出る水源池に掛けられた石橋を渡ると長い石段が続く。
登り切るとその上に恐ろしく古い小さな社が姿を現す。
その境内の隅に昭和初期を象徴するような木造平屋の住宅がある。玄関先を掃き清めていた中年の夫婦が善蔵の姿を見付けると、満面の笑顔で小走りに近付いてきた。

四代しだい様あ…ようお帰りになんなさったですねえ。お待ちしとりましたあ…」
厚手のセーターを着込んだ痩せた小さな女性が嬉しそうに善蔵の二の腕をポンポンと叩いた。
「えらいなんか旅でしたなあ…もう7年にばっかなっですかなあ。そろそろ帰って来なさってこつだったですけんな、山の庵ば手え入れて今か今かて待っとったですばい…ほんなこつ…」大柄で厳つい顔に似合わない着古した神官装束の主人が、善蔵にさも親しげに話しかける。

「いやあ…またぞろいろいろあってよ。御両人にゃあ手間あ掛けて申し訳なかったな。また暫く厄介になるぜ」
「まあまあ、どうぞどうぞ、お上がんなはりまっせ。お疲れんなりなさったでしょう…今夜は皆さん、ここにお泊まりんなってください」
「おう、ありがとよ。ま、ねぐらはすぐそこだ。ここまで来て急ぐこともねえや。今夜はお言葉に甘えてゆっくり厄介になっとするか…」

5人は夫妻に勧められるまま自宅に迎えられた…


熊本県南阿蘇・白水村…阿蘇山嶺麓の水源を数多く宿す古代からの聖地だ。
それぞれの水源には社が建てられている。八尺神社は人々を厄疫から守る最古の龍神の祠として、古の世から村人たちの手で密やかに守り続けられてきた。

この社を司るのは宮司の中山征夫まさおとその妻春江はるえである。2人とも歳は50前後だろうか…中山家は代々この社を守り続けてきた。龍のぎょくを祀るこの社の起源は、今からおよそ1300年前と伝えられている。しかし、彼等が守り続けているのは、この社だけではない。

彼等は何故善蔵を『四代様』と呼ぶのか…
それは、彼等が代々智龍の祠を守り続けてきたからだった。
中山家は四代の智龍に仕えてきた佼龍だった。善蔵は彼等にとっては4代目の智龍。
礼司は『五代』となるのだ。
しかし佼龍は血脈で伝えていくことは出来ない。中山家では代々女性の佼龍をめとり、智龍の住まいを守り続けてきたのだった。そしてその慣わしは今でも受け継がれている…
つまり、佼龍は宮司の征夫ではなく、妻の春江だった。


中山夫妻は礼司たち5人を丁重に迎えてくれた。
客間で塩と神酒が善蔵の前に用意され、鎮座した神官装束の征夫が恭しく長々と口上し始める…
千早ちはや振る遠津神代とおつかみよいにしえ 言巻いわまくあやかしこ天津御祖あまつみおやたたへ奉る 神寶かむたから皇大神天津御璽すめおおかみあまつみしるし奴奈登母由良ぬなともゆらゆらかして……」

長い口上が終わると征夫は善蔵に再び深々と頭を垂れた…

「いやいや、御苦労さん。ありがとよ…じゃあ、遠慮なく呼ばれるとするか…」善蔵はやれやれといった表情で征夫の労をねぎらい、用意された座卓に移動する。
礼司たち4人も後に従った。
当の征夫もほっとした様子で奥の部屋に下り、普段着らしい作業着に着替えて加わった。

第25話につづく…

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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