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仙の道 19

第八章・解(3)


夜、夕食を終え、寮の部屋でくつろいでいると、雄次が電話の子機を片手に入ってきた。
「ゼンさん、尾崎さんの秘書って人から電話だよ」
「早速おいでなすったかい。やれやれ…」善蔵はそう言って子機を受け取る。

「あいよ。神谷だが、用向きゃなんだい?……おう……で、その尾崎さんとやらは、そこにいなさんのかい?……ああ……そうかい……いやあ、こっちゃ朝っぱらから警察に引きずり回されてよ、ちっとくたぶれてんだよ。用があんならそっちから出向くのが筋なんじゃあねえか?……ああ…別に構わねえぜ。そっちゃあ大丈夫なのかい?……おう……分かったよ……おう……分かったからよ……ああ……あんまり遅えのはご免だぜ、ここは早寝早起きがしきたりだからよ……分かってるよ……ああ……じゃあな、待ってるからよ……承知したぜ」

「ゼンさん…何だって?」受話器を返された雄次が訊ねる。
「おう、今からここに来るってよ。川越のなんとかってホテルまで出て来られねえかって言うからよ、そっちから来いって言っといた」
「じゃあ、準備しなきゃじゃないか…何人来るんだ?」雄次が慌てて立ち上がった。
「もてなしにゃあ及ばねえよ。勝手に押し掛けてくんだ。ほっとけほっとけ。ゆう坊とイサオ、ちょいと悪いけどよ、事務所の方で出迎えてここに案内してやってくれねえかな?」
「え?ここ?こんなとこでいいの?大丈夫かなあ…」
「なあに、相手は政治屋だ。ドンパチやろうってえ腹はねえよ。多分、命乞いだろう。じたばたしねえように引導渡してやらねえとな」


30分も経つか経たない内に、1台の車が飯場の敷地に滑り込んできた。

「こちらですんで、どうぞ…」
部屋の襖の向こうで戸枝の声が聞こえた。
神妙な面持ちで3人の男達が入ってきた。

「失礼します…」
先頭の男は中肉中背で黒縁の眼鏡をかけた目立たない風貌の中年だった。男は頭を下げると、襖の横に身を退けて次の男に道を譲った。

「夜分に申し訳ありません。お邪魔します…」次の男は大柄で恰幅が良く、グレーの頭髪はきちっと七三に分けられている。下膨れでぶ厚い唇…テレビによく登場する顔、国交省副大臣の尾崎だ。2人の後には手提げ袋と鞄を抱え、髪を短く刈り込んだ大柄の若い男が従っていた。尾崎が善藏たちの前に進み出た…

「国土交通省の尾崎と申します。この者たちは、私の秘書でして…」
「秘書の青木と申します。先程はお電話で失礼致しました。以後お見知り置きを…」
中年の男が慇懃いんぎんに続いたが、眼鏡越しに抜け目なさそうな眼光を忍ばせていた。

「同じく、秘書の、い、今井と申します」
一番後方の若い秘書は、緊張に身を強ばらせていた。

「あの…神谷様はどちらで…?」尾崎が対峙すべき相手を窺った。
「おう、おいらが神谷だよ」

尾崎は善蔵の前に正座し、畳に両手を着いた…
「うちの関係の者がいろいろと御迷惑をお掛けしたそうで…誠に申し訳御座いませんでしたっ!」と、深々と頭を下げた。他の2人もそれに続いた。

「うちの関係って、ヤクザとおまわりのことかい?」
「…い、いや…私の政治活動には親派が幅広くおりまして…妄動的なものがいろいろと…いや、今後は一切こういうことのないように…2度と御迷惑はお掛けしませんので…どうか、御勘弁頂けないものかと、厚かましいこととは承知の上で、押し掛けさせて頂きました。何卒…御勘弁の程を…」
「まあ、いきなりそんなとこで大の男にしゃっちょこばられてもよ、堅苦しくていけねえや。ここは座布団みてえな気の利いたもんはねえけど、足い崩してくんな」
「あ、はい…では、お言葉に甘えまして…」尾崎は少しほっとした様子で胡坐あぐらに座り直した。後の2人は正座のままだった。

「いよいよ黒幕登場だな。妄動的な親派か…ま、ものは言いようだな。こっちも紹介しとこうか…おい、ゆう坊とイサオ、お前えらもこっちに入えんな」

開いた襖の外に立っていた戸枝と雄次が部屋に入り、襖を閉めてこちら側に座った。

「隣の坊やは俺と一緒にパクられ損なった春田くんだ。あんた等も聞いてるだろ?こいつの親父はよ、お前え等の金づるだった建設会社にいたお陰で横領事件に巻き込まれてよ、牢屋に放り込まれちまったんだぜ。それとよ…こっちは弁護士の荒木先生だ。仕事熱心でよ、春田の親父の弁護でよ、お前え等の企みに気付いちまったんだなあ…お陰で命狙われてよ、危ねえからここで匿ってたんだ。知らねえとは言わせねえぞ。それから…お前え等を迎えたこいつは、俺が親代わりで面倒看てきた戸枝ってんだ。浅川組と成和のごたごたに巻き込まれてよ、こいつもここに身を隠してんだよ。それと、ここの社長の浅川だ。あんた等には御存知の浅川組の組長の弟だよ。ま、あんた等の下請けの下請けの下請けってとこだがよ、あんちゃんの組守るんで大忙しだ。おい、そうだろ?」
「はい…はは…ま、そんなとこですかね。お世話んなってます」
雄次が笑いながら軽く頭を下げた。

「ま、それぞれあんた等の悪巧みに巻き込まれてよ、人生狂わされちまったもんばっかりってことだ。どうだい?お前さん、どう落とし前付けてくれんだよ?頭あ下げて済むと思ったら大間違いだぜ」
「それは…いや、本当に、申し訳ありませんっ。取り返しの付かないこともあるでしょうが、御一同のみなさんには出来る限りの償いをさせて頂くつもりでおりますので…どうかこの通りっ…申し訳ないっ!」尾崎は再び膝を正して頭を下げた。他の2人もそれに倣った。

「神谷さん…少し、いいですか?」話し始めたのは尾崎の脇にいた秘書の青木だった。
「御理解下さいとは申しませんが、尾崎を囲む政治の世界では、とてもきれい事だけでは済ますことの出来ない様々な障壁があるんです。尾崎は今や、党内では若手議員の支持を最も多く集め、次世代の国政を担うリーダーとして注目を集めております。それは、うちの先生…いや、尾崎に政治家としての高い理想とそれを実行するだけの力があるからなんです。尾崎は、この先日本がどう歩んで、どう国益を確保してゆくか、そのデザインが明確に見えている数少ない政治家の一人です。だからこそ、あれだけの若い議員が先生の元に集まっているんです。私はそう思っています。いや、そう信じています。ただ、そういった尾崎の力を捩じ伏せようとする抵抗勢力があるのも事実です。御存知のように政治家が自分の信念を一歩ずつ前に進めるには、票、利権、乗り越えなければならない多くの障害が次々に目の前に立ちはだかるんです。その1つ1つを乗り越えていく為に、時には止むを得ず…こういう無理な近道を選んでしまう事もあるのです。我々にはぐずぐずしている時間はないんです。私は…私としては…私の命を懸けて、先生を支え続けてゆくつもりです。尾崎には、それだけの資質があると、信じています。先生を、ここで挫折させる訳にはいかないんです。神谷さんたちのお怒りはごもっともです。虫のいい話だということは重々承知しておりますが…それを踏まえた上で、敢えてお願い致します。どうか、どうか尾崎をお許し下さい。そして、叶うことなら、神谷さんたちのお力を、どうぞ我々にお貸し頂けませんでしょうか?どうか、私からも宜しくお願い致しますっ!」青木は畳に手を着いたままで一気に語り続けた。その言葉に尾崎が付け加えた。
「神谷さん、私に、いや、この国を支えてゆく為に、どうかお力をお貸し下さいっ!おい、あれをお渡ししろ」
「はいっ、どうぞ…お収め下さい」後方の若い秘書が大きな紙袋を善蔵の前に差し出し、目の前に置いて再び引き下がった。

「何だい、こりゃあ?」善蔵が紙袋を指で弾いた。
「些少ですが…お身内の方々へ、取り敢えずのお詫びとして、まずは5千万ほど用意させて頂きました。いえ、これは、取り敢えずのほんの手付けですが…」青木がうやうやしく答えた。

「ははは…何だよ、結局金かい?いや、さすがに政治屋の先生だ。久々に面白え猿芝居見せて貰ったぜ。次世代の国政を担うリーダーだあ?ちゃんちゃら可笑しくってよ、臍でヤカンの茶が沸いちまうぜ。しかし俺も見くびられたもんだな。おう、小僧、尾崎とか言ったな。言っとくけどよ、こちとらお前えみてえなこすっからい小悪党は山のように見てきてんだよ。なんでえ、ヤクザとおまわりに見放されたんで泣きっついてきただけじゃねえか。いいかあ、お前えらはよ、てめえの欲の為に人まで殺したんだぜ。分かってねえ訳じゃねえんだろ?慌てふためいて下手な台本作りやがって。そこのあんちゃん、こんな野郎に命懸けたんじゃ、末代までの恥っさらしだぜ。ま、本気じゃねえのは百も承知だけどよ」
「…いや…神谷さん…あなた、少し誤解をされているようで…話せば…もっと話せば…」予期せぬ善蔵の反応に尾崎たちは戸惑っていた。
「何だよ、全く…素直じゃねえな。これでも分かんねえかあ?」
善蔵が目の前の2人を睨みつけた。

2人は座ったまま後手を着いて退け反った。
数秒の沈黙の後、2人は放心状態で目を見開いていた。

「ほうら…俺の言った通りじゃねえか。どうだ?頭ん中覗かれちゃあこれ以上は誤魔化しもきかねえだろう?俺の前に出て来るなんざあ100年早えんだよ。分かったか?」
「……」

「まあ、心配すんな。俺達ゃ警察でも何でもねえ。ただの土木作業員だからな。お前えらのやった事を表沙汰にして、牢屋にぶち込もうなんてこたあこれっぽっちも考えてねえからよ。ただし、お前えらはもうお仕舞えだ。二度とお国のまつりごとに首突っ込もうなんて大それたこと考えんじゃねえぞ…」
「…はい…」青木が小さく返事を返した。

「おい、尾崎っ!聞こえてんのか?」
「あ…はい…」
「お前え、もう国に帰れ。ちったあ小銭くれえは溜めたんだろう?田舎に引っ込んでよ、暫く山でも眺めてろ。頭ん中覗いてみりゃあ、お前えは元々親孝行な善人じゃねえか。こんなとこで一体なにやってんだ?年取ったお袋さんが元気な内に一緒に暮らしてえんだろ?立派なことじゃねえか。今お前えがやってることと比べてみろ。大切なことが見えなくなっちまってんだよ。なあに、今からでも遅くねえよ。いい息子で、いい旦那で、いい親になることから、もう一度ちゃんとやってみろ。な。お前え一人がいたっていなくったって、この国ゃそうそう変わりゃあしねえんだよ。自分の居場所をちっと間違えちまっただけだのことだ。そこにしがみついてっからこんなことになんだよ。分かったか?」
「…はい…」尾崎はさすがに観念した様子だった。


「ゼンさん、あいつ等金置いてっちゃったよ。これ、どうすんの?」
戸枝が重い紙袋を手に持って善蔵に見せた。

「貰っとけ貰っとけ。どうせ訳の分からねえ汚ねえ金だろ。きれいに使ってやりゃあいいんだよ」
「俺、金なんていらないよ。叔父貴から結構貰ってるし、ここの給金だって溜まる一方だしなあ…これからだって、ゼンさんと一緒にいるんじゃ、金なんかいらないだろ?」
「ばーか、誰がお前えにやるって言ったよ。荒木の先生に渡しとけ。もうすぐ弁護士に復帰だろ?潰された事務所建て直すんだって、人雇うんだって金はありゃあ邪魔にはならねえだろう」
「そうか…俺、また弁護士に戻るのか…ここの生活も結構気に入ってるんだけどなあ…」荒木が呟いた。

「まあ、そう言うな、先生。えい坊もゆう坊も、先生の腕には一目置いてんだからよ。大切な仕事が待ってんだよ。作業員としちゃあちょっと心許ねえしな」
「え?俺、結構ちゃんとやってるつもりなんだけどなあ…」
「まあ、キャッチボールは一番上手ですよね」
「何だよ…それじゃ生産性ゼロじゃないか…はは…」荒木は不服そうに苦笑した。

「もし、金が余分だったらよ、成和に轢き殺された雑誌記者の……」
「大戸さん…ですか?」
「ああ、その人の家族の助けにでもして貰ったらいいんじゃねえか?」
「そうか…そうしますよ。っていうか、この金は大戸さんの御家族のものです。俺の方は娑婆に戻れれば貯金もあるし、イサオくんと同じでここの給料もたまってるから…」
「じゃ、それで決まりだな。で、先生にゃ、最後に頼みたい仕事があんだけどよ…」
「何ですか?」
「その大戸って人の記事とよ、今日俺と礼ちゃんが署長から下呂して貰った役人たちのリストをよ、急ぎ作って貰えねえかな?明日までに…」
「いいですよ。お易いご用です」
「それで…先生には、これでお仕舞えにして貰いてえんだ。雑誌とか新聞、テレビはもうなしだ。きっちり決着は着くからよ、これ以上騒ぎにしたくねえんだよ。お前さんの恨み辛みは胸にしまっといてくれねえかな?」
「ちゃんと決着が着くんなら、それで構いません。ゼンさんのことは信頼してますから…」
「そうかい…じゃ、その線で頼むぜ」
「分かりました…」


翌日から川越周辺は一気に気温を下げた。
秋の爽やかな風は冷たい北風に変わり、紅葉に染まった山々を臨む空気は一段と透明度を増していた。

第20話につづく...

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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