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生きることは食べること

仕事を辞めて、地方に暮らすことを選んだ理由をひとつ挙げるならば、
「食べることにもっと身体で向き合いたかった」とでも言えるだろうか。

大学時代から農家さんや漁師さんと友達になっては、作業を手伝うという名目で訪ね歩いた。
それまで「まち」で育った私は、農作業なんて体験程度でしかやったことがなく、海は遊びに行くところだったので、
実際に野菜が育ったり、魚が水揚げされたりするのを見て、好奇心が掻き立てられた。
またそれ以上に、農家さん漁師さん、という今まで想像もできない遠い存在だった人たちと知り合い、その温かく尊敬すべき人間性に触れ、「友達」になれたことが、私を大きく動かした。

彼らはとても気さくで、まだ生意気な学生だった私に、それぞれの現場を見せてくれた。
うつくしい自然、古くから受け継がれてきたやり方、それらを守る生産者としての姿勢。
そのような豊かさが、時代の変化によって失われつつある現実。
どれもこれも私には新たな世界であり、もっと知りたいとのめり込んだ。

「こんなに良くしてくれる人たちのために、私も何かしたい」
そんな気持ちがあった。
これまで無知な消費者だった自分の過去の行動を恥じ、改めたいと思った。

そんなことを思いながら過ごしているうち、もっと単純なことに気が付いた。
自分は畑にいたり、海にいたり、手足を動かして食べることに関わっているのが好きなんだ、と。

東京で暮らしていたとき、月に一度は農家さんや漁師さんの知り合いを訪ねては、少しばかりの作業を手伝わせてもらいながら週末を過ごした。
そういう時間がなければ、私はバランスを保てなかった。

普段の暮らしでも、毎日料理をして、たまには味噌や梅酒を仕込んだりしていた。
ベランダではハーブを育てて、段ボールコンポストも活用していた。
せめて少しでも自分の手足で食べることに関わろうと必死だった。

けれど、やはりそれでは物足りなかった。
野菜は買うんじゃなくて自分で作りたかったし、週に一度くらいは土に触れる時間が欲しかった。

そして今、新たな生活が始まって半年が経とうとしている。
庭にはハーブを植え、花壇はコンポストにしている。
ちいさな田んぼでは手作業でお米づくり、ちいさな畑では固定種の野菜づくり。
大学時代から通う農家さんのもとで有機栽培を学びながら、自分でも少し実践してみようと思っている。

冬の間は、漬物づくりや、寒天づくりを教わった。

春になり、今は山菜採りが休みの日の過ごし方になっている。
採る人も減っているという山菜も、いろんな食べ方を研究していきたい。

「生きるために食べる。食べるためにつくる」
というのは、私の大好きな映画、「little forest」の言葉。
愛想がないようにも聞こえるが、とても本質的だと思う。

東京で暮らしていたときは「食べるために働く」という感じで、生きることと食べることが繋がっているように感じられず、忙しさにかまけて食べることを疎かにする日もあった。
それが自分にとってはストレスになっていた。

これから、すこしずつ種をまく。
食べるものを得るために、畑に向かう。

先行きが見えず、不安な今。半年先、一年先にどんな社会が待ち受けているのか、まったくわからない。
それでも、生きていくためには食べることが必要だ。

生きることは食べること。生きる、を自分の手足でつくっていきたい。

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