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「佐藤亜紀さんと、歴史×文学で歴史小説について考える」開催報告その①

KUNILABO×東北大学日本学研究会 イベント
「佐藤亜紀さんと 歴史×文学で歴史小説について考える」
2021年3月9日に開催され、90名定員いっぱいの参加者を集め、好評を博したイベントの開催報告その①です。今回は開催概要と報告①西原志保「痕跡の物語」の概要です。

【開催概要】
https://kunilabo202103onlinehistoryliterature.peatix.com/?lang=ja

【開催概要】
 「歴史小説」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか? 大河ドラマの原作でしょうか。あるいは、司馬遼太郎のいくつかの小説を思い浮かべるかもしれません。歴史は「事実」で、歴史小説は「fiction」だと思っている人もいるかもしれません。けれども、世の中には、もっと様々な「歴史小説」があります。
 世界的に見れば、例えば20世紀イタリアの作家であるナタリア・ギンズブルクと歴史家カルロ・ギンズブルクについて、母のナタリアは歴史のような小説を書き、息子のカルロは小説のような歴史を書いたといわれています。ナタリア・ギンズブルクの小説は、大河ドラマのようなものとは大きく違いますし、アナール学派以降、歴史と文学との境界は曖昧になりつつあります。
 そこで、今回のイベントでは、作家の佐藤亜紀さんをお呼びして、KUNILABOの秋山晋吾さん(歴史学)、西原志保さん(文学研究)で、歴史と文学の関係について考えてみます。
 第二次大戦末期、ハンガリーのユダヤ人没収財産を積んだ列車を舞台とする『黄金列車』(KADOKAWA、2020年)の著者である佐藤亜紀さんは、デビュー以来一貫して多数の資料・史料を参照し、緻密に作品世界を作りあげることで知られています。『小説のストラテジー』(青土社、2006年)、『小説のタクティクス』(筑摩書房、2014年)など評論の仕事からは、小説技法に関する明確な意識がうかがえますが、現在、2018年度に京都大学で行った講義をもとにした「歴史小説の技法」をブログに連載中です。
 今回は、文学研究者である西原さんが『黄金列車』の概要を説明した後、ハンガリー史を専門とする歴史家の秋山さんが『黄金列車』の解説を行います。佐藤さんには、秋山さんが近世史科学入門として書いた『姦通裁判』(星海社新書、2018年)の魅力や、海外と日本の様々な「歴史小説」のジャンルや技法、特徴、そして最新作、『黄金列車』執筆時に使用した資料・史料などについて語っていただきます。

主催 :KUNILABO、東北大学日本学研究会
日時 : 2021年3月9日 (火) 18:30 - 21:00
場所 : オンライン会議アプリ「Zoom(ズーム)」 を使用したオンラインイベント

プログラム
1.18:30-18:55 痕跡の物語:企画趣旨および佐藤亜紀『黄金列車』概要
西原志保氏(共愛学園前橋国際大学、大東文化大学非常勤講師、KUNILABO講師)
2.18:55-19:20 歴史学者が読む佐藤亜紀『黄金列車』
秋山晋吾氏(一橋大学教授、国立人文研究所監事)
(休憩時間)
3.19:30-20:20 歴史小説の技法
佐藤亜紀氏(作家)
(休憩時間10分程度)
4.20:30-21:00 ディスカッション
ファシリテーター:茂木謙之介氏(東北大学准教授)
※肩書はイベント開催時。


報告:痕跡の物語

西原志保

 西原は、『黄金列車』の概要を示したのち、登場人物の一人であるナプコリの、「タイピスト」という職業に注目した。
『黄金列車』の梗概を以下に示す。

 第二次世界大戦末期のハンガリーにおいて、ユダヤ人の没収財産を積んで、首都から西へと退避する「黄金列車」を舞台とし、大蔵省役人のバログの過去の回想と重ねつつ描く。
 全体は「Ⅰ 1944年12月16日」、「Ⅱ 1945年3月26日」、「Ⅲ 1945年4月1日」、「Ⅳ 1945年4月8日」、「Ⅴ 1945年4月25日」の5章に分かれ、登場人物にはバログの同僚や上司とその家族、タイピストのナプコリ(バログと二度「寝た」ことがある)、裏の仕事に関わり、バログに銀の燭台を探すように依頼するリゴー、途中で乗り込んでくるさまざまな人々がいる。また、黄金列車に浮浪児の集団がずっとついて来ている。列車は各地で積み荷を乗せ、何かを乗せ、下ろす際には必ず記録をつけ、たまには戦闘もあり、最後にバログは銀の燭台を盗み出し、列車はトンネルを抜ける。
 過去の回想のなかでは、バログと妻のカタリンとの出会い、友人であったヴァイスラーとマルギットとの出会いから、カタリンが死ぬ前の朝までが振り返られる。お金持ちのヴァイスラーは、家族の反対を押し切ってマルギットと結婚し、マリカとエルヴィンという二人の子供もでき、仕事もうまくいって幸せに暮らしていたが、ユダヤ系であったため、ドイツ軍が入って政府を転覆した後徐々に追いつめられる。マルギットはドイツ人に虐殺され、ヴァイスラーは、マリカとエルヴィンを「逃がす」という若者が現れ、その若者に二人を託した後、自殺する。その後のマリカとエルヴィンの行方は分からない。
 一方同じころにバログと結婚したカタリンは、ずっと家族ぐるみでヴァイスラー一家と交流していたが、流産した後少しずつ鬱々として起きていられないことがあるようになっていた。バログが「ユダヤ資産管理委員会」に異動になったことを告げた翌日、カタリンは転落死する。

 本作では「没収財産」という「物」から記憶が喚起され(1)、語り手バログの過去の物語へとスムーズに接続される。「物」はすべて目録で管理され、(賄賂まで逐一)細かな出納の記録が残されるが、それらの記録をつけるのが、「すべての文字が均一な濃さと太さで紙に刻印される」(84頁)卓越した技術を持つタイピストのナプコリである。
 当時、タイプライターの登場によって、男性の「書記」から女性の「タイピスト」へ、つまり「書く仕事」が男性から女性のものへと変わってきた(2)。また、原克は、『変身』の「妹」が「タイプライターと相補的な関係にある」「速記術」に取り組んでいることに注目し、「職業的栄達、経済的自立」を目指す「彼女の権力闘争」を読み取っている(3)。1915年に発表された『変身』の「妹」が1915年時点で10代後半であったとすると、1945年時点で「もう五十」の『黄金列車』のナプコリとだいたい同世代。したがってナプコリは、『変身』の妹世代の女性が、「職業的栄達、経済的自立」を成し遂げた後の姿と言えるだろう。しかも、タイピストという職業は、「書き手」の存在を連想させる。本作の視点人物はほぼバログに限られているが、タイピストという「書き手」の存在が書き込まれていることは重要だろう。
 末尾の解題からもうかがえるように、本作の作品世界は、丹念に史料や資料を辿り、調査することによって構築される。そのような史料が残るのは、それらを「記録」として書き留めた人がいたからである。ナプコリという「書き手」の存在によって、記録を書き留めた人への敬意と、「書き手」から新たな「書き手」へというバトンタッチが、枠構造として暗示されるのである。


(1)阿部賢一×豊崎由美「月刊ALL REVIEWS フィクション部門第14回」2020年2月19日。
(2)フリードリヒ・キットラー『グラモフォン フィルム タイプライター』(石光康夫、石光輝子訳、筑摩書房、1999年、原著1986年)。
(3)「権力装置としての室内装飾」『書物の図像学』三元社、1993年。

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