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【短編小説】あたらよ

【あらすじ】
穏やかな春の真夜中、十五歳の少年、村松優也は一人外へ歩き出した。こんな夜は気分が良い、当分朝は来なくて良い。
歩いていると近所に住む田中のおばさんに出会った。おばさんは自分のことを変人と言って笑い、誰にも話したことのない不思議な話を始めた。それは、去年の冬の夜に、子どもの頃の自分が道に倒れていたというものだった。

 もったりとした闇。ちょっと前までカラカラに乾燥していた風が、いつの間にか湿気を含んでのろまに吹いている。町全体に毛布がかかっているように暖かい。
 電灯がポツ、ポツ、と道を照らしている。昼間は華やかな桜も電灯に照らされて灰色みたいな色をしている。他が暗いせいで浮き上がって見える。それでもなんとなくピンク色に感じるのは、脳が勝手にピンク色の花だと思い込ませているのに違いない。
 こんな夜は気分が良い。当分朝は来なくていい。

 十五歳の少年、村松優也は、音を立てないように玄関の戸を閉めて歩き出した。
 田んぼと、明かりのついていない家が点在している。車が走っていないから車道の真ん中を歩いていける。耳を澄ますと、遠くに高速道路のゴーという大きなトラックが走っているであろう音が聞こえた。

 僕は昼間がそんなに得意ではない。そもそも朝は早く起きれないし、なんだかいろいろうるさい。だから夜が好きなんだ。「明けない夜はない」とか両親は言うけど、夜は明けなくていい。「止まない雨はない」と言う学校の先生もいるけど、雨を降らせている雨雲からしたら勝手に疎まれてかわいそうに思う。たぶん僕は雨雲の同類と思うから。友達みたいにそんな風に思うんだろう。

 暗い田舎の道に煌々と光る自販機。
「今日は何にしようかな」
 小銭をチャリンと入れると自販機がより明るくなる。まぶしい。
 田んぼの脇に小川が流れていてリズミカルな音が聞こえる。畔にはシロツメクサやレンゲの花が咲いている。
「春だなぁ」
 誰もいない。誰も聞いてない。ジュースをぐびっと飲んだ。
「春ですねぇ」
 飲んでたジュースを吹き出しそうになった。今誰かの声がした?
 声がした方向には闇しかない。その闇から足音がゆっくりと近づいてくる。自販機の光に照らされて徐々に相手の姿が見えてきた。
「あらー、誰かと思ったら村松さんとこの優くんじゃない。こんばんは」
 呑気な声で挨拶したのは近所のおばさんの田中さんだった。
「ど、どーも」
「お散歩?」
 こんな時間に子どもが歩いていたら叱られるに違いない、と思っていたのに田中のおばさんはニコニコしている。
「はあ、散歩かな」
「そうなんだ、私もお散歩中なの。徘徊じゃないのよ」ケタケタ笑っている。
「ハハハ」
 早くどっかに行ってくれないかな。
 田中のおばさんも自販機に小銭を入れて甘い缶コーヒーを買った。
「良い夜ね、あちち」
 お手玉みたいに缶を両手で行ったり来たりさせている。
 たしかに良い夜だ。一人ならね。
「今夜は風も無いし静かよね。朝なんて来なくて良いと思っちゃうわ。まあ、ホントに来ないと困るんだけど」
 缶コーヒーを開けてゆっくり飲み出した。
「やだあ、なあに、そんなに見つめて」
 おばさんはキャッキャと笑ってる。そんな風に言われると恥ずかしい。思わず顔を背けた。
「いえ、あの、朝が来ない方が良いなんて言う人、会ったことがなかったから」
 田中のおばさんは笑うのをやめて「そっかぁー」と気の抜けた返事をした。
「夜歩いてるとね、世間の流れからポンって外に出たような気がして好きなの」
「はあ、そうなんですか」
 何を言ってるんだろう。
 おばさんは闇の奥に目を向けた。
「世間ではいろんなことが起こっててテレビは騒がしいし、私の周りも忙しそう。けど、そんなの関係なしに、闇の中ではタヌキとかキツネとか動いてるし、知らない場所を川が流れてる。今この瞬間だってきっと土を押し上げて草の芽が伸びているんだわ。私もそういうのと仲間になった気がして楽しいの」
 田中のおばさんはそういうとゆっくり息を吐き出してうっとりした。
 今までしっかりと話したことがなかったけど、こんな人だっただろうか。今まではなんというか常識人みたいなイメージがあった。
「なんか、意外ですね」
「え、そう? 変人てこと? それなら嬉しいわ」
「嬉しいの?」
「うん」
「変人ですね」
 おばさんは本当に嬉しそうにウフフと笑った。
 真夜中に一人で散歩して、出歩いている子どもを叱らないなんて変人だ。
「変人に会ったついでに不思議な話を聞いてくれない? この話誰にもしたことないのよ」
「不思議な話ですか? いいですけど」
 長くなったらヤダな。大人の話は大体ながい。もっと短く話せそうなものなのにと思う。でも誰にも話したことのないのはちょっと興味がある。
「去年の十二月だったかな。私すごく疲れてたのよね。十二月って年末だし忙しいじゃない。夫の親の介護もしててさ、ボケちゃってるから仕方ないんだけど、毎日同じことぐちぐち言われて、夫も手伝ってくれないわけじゃないけど、なんかイマイチでね……」
 そこまで言うとおばさんはこちらを少し心配そうにチラッと見た。でもすぐにほほえんで話し始めた。
「あるとき、何もしてなくても涙がこぼれてきて、ああ、ヤバいなあって思ったの。ご飯もちっとも美味しくなくて。それでね冬の真夜中に誰にも言わずこっそり外に出たの」
 田中のおばさんもそんなことがあるんだ。
「寒いのなんかかまわない、どこに行くわけでもないけど、このままずっと歩いてしまえと思った。そしたらね……」
「そしたら?」
 おばさんは言葉がつまってなかなか口から出せないみたいだった。
「子どもが倒れてたの、道の真ん中で」大きく息を吐き出すと同時に言葉を出した。
「え」
「怖いでしょ」
「う、うん」
 その子どもは十歳くらいの女の子だったそうだ。
「近寄るとまだ死んでないのがわかって安心したわ。でも瀕死みたいな感じでガタガタ震えてた。救急車を呼ぼうと思ったけど、携帯家に置きっぱなしだったから、その子抱きかかえてとにかく走ったわ。
 家についてその子をソファに寝かせて毛布をかけた。なにせ身体が冷え切っていたから、ストーブをつけたり、お湯を沸かしてたら、その子が目を覚ましたの」
 生ぬるい風がふわりと桜の花びらを運んできた。
「大丈夫だったんですか」
 おばさんは頷いた。
「そしたらその子は『ちかこ』って声に出して私を呼んだの」
「え?」
「私の下の名前、千佳子っていうのよ」
 田中のおばさんの名前、はじめて聞いた。
「知り合いだったんですか?」
「いいえ、でもどっかで見たことあるなって思ってたのよ。でね、その子の顔よくよく見たら、子どもの頃の私だって気づいたの」
 どういうことだ。大人のおばさんと子どものおばさんが出会ったってこと?
「えっと、他人の空似とか、親戚とかそういうのじゃなくて?」
「いいえ」
「その子の名前がたまたま、ちかこちゃんだったとか」
 首を振りながら少し困ったようにおばさんは笑った。
「ドッペルゲンガーってあるでしょう」
「じ、自分と同じ人間がいるってやつですか」
 急に怖い話になったぞ。優也は背中がぞくっとした。
「たぶん、その子は私のドッペルゲンガーみたいなものだと思うの。でも変よね、私は大人なのに子どもの姿で出てきた。ね、不思議な話でしょう?」
 たしかに不思議だ。
「その子はどうなったんですか?」
 おばさんはまた遠くの闇に目をやった。
「泣き出して、あんまり泣くもんだから抱きしめたの。よく見ると体中、傷だらけで泥だらけだった。それ見てたらなんだかね、自分まで泣けてきて、二人でわんわん泣いちゃった。
 気づいたらソファで一人で寝ていたわ」
 おばさんは腕をゆっくりさすってから自分をハグするように腕をくんだ。
「え、子どもの千佳子さんはどこ行っちゃったんですか」
「さあ、結局夢だったのかもしれない。でも本当にあったんだと私は思ってる」
 田中のおばさんは残っていたコーヒーを飲みほした。すこしおばさんの目が潤んでいる。
「今でも、あの時、あの子を見つけていなかったらと思うとゾッとする。たぶんあれは死んでしまいそうになっていた私なんじゃないかしらって思うの。
 だからね、時々こうやって子どもの私が死なないように遊ぶのよ」
 おばさんはにっこり笑って、飲み終えた缶を自販機横のボックスに入れた。
「さーて、もう少し歩いたら帰ろうかな。こんな素敵な夜だもの。それとも朝日を見るのもいいかも。聞いてくれてありがとうね、優君」
「あ、いえ、ども……」
 田中のおばさんは手を振ると暗闇の中、歌いながら歩いていった。歌はだんだん遠のいてやがてなにもきこえなくなった。
 優也はまた静かな闇の中に残された。

 それから、おばさんとは逆の方向に歩いて行った。
 空を見上げると曇っているせいか星ひとつ見えない。湿度の高い空気が肌にまとう。草木と土のにおいが鼻をくすぐった。
「わ!」
 突然、人が出てきたかと思ったら、変に刈られたつげの木が電灯に照らされているだけだった。おばさんが変な話するから怖くなっちゃったじゃないか。
 ふと、自分のドッペルゲンガーは元気なのだろうかと、そう思った。

 澄み渡った青空に桜が映える。もう散り始めて葉っぱもちらほら見えている。地面には雪のように花びらが降り積もっていた。
 優也はピカピカの靴、ピカピカの制服を着て、ピカピカの高校一年生になった。
 新しい通学路を自転車で走る。他の高校や同じ高校の子たちが同じように走っている。
 赤信号だ、自転車を止めた。朝の通勤ラッシュ、大人たちも車に乗ってどこかへ走っていく。朝の光の中、一日が否応なしに動き出していくのを感じた。
 緊張と心細さで肩に力が入る。優也は自分を落ち着かせようと深く深呼吸をした。
「大丈夫。ドッペルゲンガーが元気なら僕も大丈夫」
 青信号になった。ペダルに力を入れて走り出す。桜の花びらが、はしゃいで一緒に駆け出した。

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