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負の感情を表現できない、受けとめられない社会

「あおり運転しか生きがいがない56歳男性の怒りのトリガー」。
この記事を読んで「人様に迷惑をかけることが生きがいとは何ごとか!」と憤慨するような人も「あおり運転」のところをクレーム、ネットの誹謗中傷、いじめ、ハラスメントなどに置き換えてみたら誰もがギクッとしてしまうんじゃないかな。
僕自身もそのひとり。だから、とてもじゃないけれど人ごとじゃなくて、読み進めるうちにとても複雑な感情であふれていった。
思ったのは、負の感情を表現できない、受けとめられない社会がこの男性のような人たちをたくさん生み出しているんだろうなって。

「昔から車が大好きでした。だから高校卒業後は運転の仕事に就きたくて、地元の食品工場に配達ドライバーとして就職しました。ほどなく同期入社した現在の妻と結婚し、すぐに子宝に恵まれました。順風満帆だったのですが、体調不良が続いていた30歳の秋にC型肝炎が見つかったんです。それから、長い闘病生活が始まりました」
新しい仕事を学びながらも、夫の看病と子供の世話までこなす妻。林さんは次第に頭が上がらなくなっていった。
「ストレス発散のため、ずっと狙っていたSUVを買いました。といっても、名義は妻ですが。それでも、ハンドルを握っている間はすべて自分でコントロールできる。これが唯一の癒やしです」
「入院先で出会った病室仲間の最後の生き残りが、先週亡くなりました。独立した2人の子どもは家に寄りつかず、妻からは無視されています。孤独だけど、ハンドルを握っているときだけは、まだこの世にいるんだと実感できるんです」

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あおり運転依存、破壊行動依存とでもいうのかな。
コントロールできない苦痛をコントロールできる苦痛に変えてるんだな。
自己治療仮説の目線でみると、あおり運転することが彼の「心の松葉杖」になっているんだと思う。

彼に必要だったのは、奥さんと正直に心のうちを話すことだったんじゃないかな。そうできずに、申し訳なさを募らせ、次第にそれがみじめさに変わって、最後には怒りとなってまわりにぶつけてしまう。
・病気になってしまったつらさ。
・働けないつらさ。
・自分の感情を素直に表現できないつらさ。
・怒りにまかせてしまって、孤立していくつらさ。
彼には何重ものつらさがあるように思う。
そのつらさをあおり運転という破壊行動でしか発散できないのも彼のつらさだよな。

***

ここまで書いてて思ったのは、彼は感情を表現できなかったと断定していた自分。
いやまてよ、彼も何度かはまわりにつらい、苦しい、しんどいと口に出したこともあったのかもしれないよなって。けれど、誰も受けとめてくれなかったんじゃないかって。
ただでさえ言葉にすることが憚られる行為、勇気を出す必要のある行為。なのに、誰にも受けとめてもらえず、ましてや、否定されたりした日にゃあ、もう絶対にしない!二度と口に出してたまるか!って思うよな。

そこが僕らの社会の不幸なのかな。
・負の感情を表現するハードルが高すぎること
・負の感情が表現されたとして、受けとめられる人が少なすぎること
負の感情を表現できない、受けとめられない社会。なんだよな。
だから、行き場を失った負の感情が憎しみや怒りの形になってそこかしこであふれちゃってるんじゃないかな。その裏返しで、正の感情だけが認められ、異常にハイな人間が支持されて次々と消費されては消えていっている。

社会はかんたんには変わらなくても、ひとりの個人として健やかに生きていくためには、その逆に希望はわずかにあると思う。
・負の感情をできそうなところから少しずつ素直に表現していくこと
・負の感情を受けとめてくれる人や場を見つけること


寮美千子さんの『あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』にたくさんのヒントがあると思ったよん。


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