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また春が来る前に

*2022/03/10 追記
この記事は、「在日コリアンの多様性について」の前に書いたものですが、操作を誤り公表日があとに来てしまいました。順番に読んだ時の整合性を保つために2記事とも一部書き直しています。
特に前回の記事は読み返せば読み返すほどに不安になり、かなり書き換えました。
その人にとっては辛い経験を「多様な」経験として括ることを目的とはしていないのですが、最初に読まれた方の中で、そのように感じられた方がいたなら申し訳なく思います。
マイノリティ属性が重なっている人たちのこと(インターセクショナリティ)を可視化したくて書きました。


「去年の春から思考が止まってしまい、自分の仕事も一部停滞してしまっていた」ことの続き。

新型コロナウイルス感染症が世界中を暗い影で覆い始め、主にアジア諸国の人への差別的なことばを躊躇なく口に出す人が増え、久しぶりに会う人との話にも神経を使うようになっていた。感染症そのものよりも、人々の感情が怖かった。(過去形ではなく今でも怖い)。
去年の春にはweb上で自分も民族差別に類する嫌がらせを直接受けたことで、残っていた力が奪われた。

嫌がらせをしてきたのはいわゆる「ネトウヨ」ではなく、日頃「差別反対」「レイシストに立ち向かう」と言っている人たちだった。


党派性というのだろうか… 彼らの中で力を持っている人物が「これは差別ではない」「彼らは甘えているから積極的に叩け」と言うと、それに素直に従う人たち。「叱ってやらないと」と言っていた人もいた。

傲慢な思い込みから来るツイートの数々、そしてそれを止めない「リベラルな人たち」、その中には同じ在日コリアンの男性もいた。
ショックだった。(*このことは次回からまた向き合って書いていく)



同時期に大事な友との死別があり、その時「有限の時間の中を生きている」ことに否応なく気付かされた。
「自分(たち)の時間は、ここ(日本)にいる限り、常にマジョリティ(日本人)に奪われ続けている事実」に打ちのめされた。(これは、自分もマジョリティである時はそうであるのだから分けて考えないといけないとは思っている。それも含めての、打撃)。

またタイミング悪く、元々通っていた心療内科の待合の本棚に西原理恵子の漫画本があることに初めて気づいた時に出た深いため息。



西原の本は大学の時に少し読んで、単純に面白いと思っていた。

けれど、後年高須氏との深い繋がりを知り、「ダーリンの年齢はいくつでもいいけど、ネトウヨはなあ…」と落胆した。
今も関係が続いているのかは私は知らない。だけど、過去にパートナーとして彼を選んだだけではなく、ヘイトスピーチの現場に彼女も嬉々として参加していたと報じられたこともある。その事実だけで、私にとっては「アウト」な存在だった。だからフェミニズムの本を集めた図書館に西原の本があるのも嫌だった。
性暴力の被害者である「慰安婦」を愚弄し続ける男と親密な関係が持てる女性、をフェミニストと呼べるのだろうか。

また、この心療内科の待合に西原の本があることへの落胆は、医師への落胆へ直結した。
高須を筆頭とするいわゆるネトウヨ、差別者たちの発言や行動に傷つき心を病んだ在日コリアンも多数患者にいるはずなのに、少なくとも私はそうなのに、先生は平気なんだ。信頼していたのに。心理士さんも、受付の看護師さんも。みんな、平気なんだ。この本に傷つく人がいるかもしれないってことをただ知らないのか。知っていても大したことがないと思っているのか。いや、やっぱり、気づかないんだ。


書店に嫌韓本が平積みになっていても平気、朝から韓国中国を貶める口調のラジオ、テレビ、youtubeの広告、そんなのが流れ続けていても傷付かずに生活ができる圧倒的多数の人たちに囲まれて自分は生きている。


Twitterでは「在日だからって甘えるな」と言われる。
「堂々と本名名乗れ」「匿名の卑怯者」そんな言葉を投げつけてくる声、声。

病院にさえ、また傷をえぐる装置がある。
そんな世界で何をどう叫んでも辛いと訴えても、無駄なのではないか。
私はぱったりと通院をやめてしまった。



そしてやめたことをパートナーに話すと、困った顔をする。
それはそれとして、行ったらいいんじゃないかな、と言う。いい先生なんだから、と。
「それはそれとして」というのが、私にはわからない。
「問題となっているそれ」の中の、「許容してもいいそれ」を、あなたが決められるのですか。私に許容しろと?

この「あなたは傷づかないかもしれないけど、私は傷つく」ことについては、その後パートナーと時間をかけて話した。そして、どこに行くか、行かないかは自分が決めると私は言った。パートナーも、わかってくれたと思う。

それで、しばらく通院は止め、二人で夕方に長い散歩をしたり、美味しいものを食べに行ったり、音楽を聴いたり、「しんどいことを見ないようにすること」に注力した。
その間Twitterを完全にやめて過ごしたのもよかったのか、少しずつ元気が出てきて、合理的な判断も多少できるようになった。

それから、通院を再開した。
結局同じ医院に通うことにした。まだ医師には話せてはいないが、白黒思考は自分をも苦しめる部分があると思ったから。

西原の本が置いてある=診療所に関わっている人が慰安婦問題を軽視していたり、在日コリアン差別に無頓着とは限らないと。しかし本当に滅入っていた時にはそんな風に思えなかった。

自分だって日本人男性として日本に生まれ、この日本社会に住んでいたら、うっすらウヨっぽくなったと思う、と、ある在日コリアン女性が書いていたこともまた思い出す。

ぼんやりと、みんなが差別に甘いこの国にいて。
苦しい人はどうしたらいいのだろうか?

寛容にならないといけないのか、強くならないといけないのか。
いや、賢くなりたい。
そうでないと奪われ続けるだけでなく、人のことも奪ってしまいそうだから。

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