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在日と呼ばれたくない人で悪いですか 5

【Zタグ論争の前にあったこと ① 】


もう20年以上も前だけれど、大学生の時に友達に誘われて、セクシャルマイノリティグループの集まりに参加していた時期があった。
そのグループには20代から60代まで様々な年齢層の人たちがいた。(私は人見知りで、あまり多くの人とやりとりができなかったのが残念である )

当時はまだインターネットなんて普及しておらず、イベント一つするにも、郵便で告知や参加可否のやりとりするという時代である。
返信の差出人の欄には架空の映画サークルの名称を使ったりなんかしていた。(家族にどこからの郵便物かを知られたくない人への配慮)

メンバーの中心には当時30代の女性たちがいて、活動的で賢くて面白い人が多く、私には憧れの存在だった。

そんな彼女たちと過ごしていた時に、民族差別の話が出たことがあった。

私はおそらく、背伸びしていたのだろう。
会話に深く入ろうとし、緊張しながらも「私在日なんです」と打ち明けた。
そしてその時のAさん、Bさん、どちらの対応も、後年忘れられないものになった。

Aさんは一瞬驚き「在日、って侮蔑語だよ。自分でその言葉使う人に初めて会ったー!もっと自分を表す言葉を大事にしたほうがいいよ」と言ったのだ。
それをBさんが嗜めた。「それをあなたが言うことじゃないから。彼女がどんな言葉を使おうと、彼女の自称なんだから。日本人のあなたがそれ言うの、すごい傲慢だよ」と、即座に。

AさんとBさんはカップルで、遠慮のないのないやりとりができる間柄だった。Aさんがしょんぼりするくらい、Bさんが淡々と、きつめに、説明した。私はすっかりたじろいでしまったが、ちょっと嬉しかった。

話してみて、Aさんが「在日」を侮蔑語だと言ったのは、彼女が京都出身で、「在日」が「在日」と呼び捨てられている差別的な状況を何度も見てきたからで、在日コリアンが置かれている状況をよく把握し、肌身で感じとっていたからこそ出たのだと知った。
かつ、彼女の周りには「活動」している在日コリアンが何人もいるようだった。彼女らの「自称」はおそらく、違ったのだろう。
Aさん自身、自分のセクシャリティを自分の言葉で公言し生活していたし、政治や女性差別を含む諸問題についての自分の言葉を日頃から磨いている人だった。

(Twitterなんてない時代なのである。人々は、対面でそれらの話をしていた。時に数時間もかけて)


彼女が差別的な意味で私にそれらの言葉を投げたのではないことはよくわかった。

一方で、Bさんが「彼女の自称についてあなたが外から何か言うのは間違っている」と言ったことにも私はハッとした。

私は地方の小さな町で生まれ育ち、日本の学校に通った。父母は朝鮮人部落出身だが、結婚した後にその新しい町の新興住宅地に移り住んだので、周りはほぼ日本人だった。(しかし、そんな田舎にもポツリ、ポツリ、と、在日コリアン家庭は、点在していた。みんなが知らないだけで。私たちは知り合っていた)

ただ、その日本人だらけのコミュニティにおいて「在日」「在日差別」は、ないも同然だった。
(回りくどい言い方なのだけど。実際差別は、受けている。ただそれが「差別」として周りで共有、認識されていないということ。みんな、知ったとしてもうっすら知らないふりをしていた。〇〇さんの家庭だけの、個の問題として、放置。わかるかな)


最初に友達にカミングアウトしたのは高校一年生の時だ。
確か、その大事な友達に、ものすごく緊張しながら「私韓国人なんだ」と言ったことを覚えている。

その後関西の大学に通うようになって、「在日」と言う言い方を何度も聞くようになった。(親戚や家族内で聞く以外の、「在日」である)

当時の大学の雰囲気はとても開かれていた(というかみんな自己主張が忙しく他人に興味がない人が多い場所だった)からか、私は自身の出自について「韓国人」「在日韓国人」「在日」と、その時々でいろんな言葉でカミングアウトするようになった。


きちんと、それらの言葉を自分の中で噛み砕いて提示し、それを第三者との会話の中で捉え直したことはなかった。なぜなら、「呼ばれるもの」として自分自身、当然のものとして受け入れていたから。


しかし、今、目の前のAさん、Bさんが私の呼び名について、「彼女(私)の主体性」に主眼を置いて言い合っている。それがとても新鮮だったし、そのことに、とても打たれた。

続く。

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