コンピュータとインターネットと10年を共にして

2007年のクリスマスプレゼントとして僕は初めて自分のコンピュータをもらったので、コンピュータとインターネットを使い始めてから10年が経ったことになる。

それまでコンピュータに触れたことはほとんどなく、なぜ自分がコンピュータをずっと欲しがっていたのかわからないのだが、おそらくは車や鉄道といった機械が好きだったことの延長ではないかと思う。

僕はたまたま、わからないことはできるだけ調べるという習慣がついていたので(それは幼少期図鑑や辞書を読むのが好きだったことによる)、また機械の操作はもともと不得手ではなく、それに大学に入るまでずっとWindowsを使っており、特に最初に触れたマシンがWindowsだったのは非常に良かったなと思っている。使っている人口が多いと、何かを調べた時に誰かが答えを残している確率も上がるからだ。このような理由があって、コンピュータとインターネットの使い方はどんどん吸収することができた。

コンピュータは「魔法の箱」とよく形容されるが、10年前の僕にとって(そして今の僕にとっても)まさにコンピュータはそうだった。コンピュータとインターネットは僕に莫大なインプットとアウトプットをする機会を生み出した。これがあれば、なんでも知れて、なんでもできる、という感じがした。
インプットのほうは、これを読んでいる方もインターネットによる情報の受信をしているということなので、おそらくどういった効用があるか結構わかると思うので、ここではアウトプットの話をメインにこの10年を振り返ってみたい。


最初はせいぜいWindowsのペイントで落書きをするくらいだったと思うが(絵を描くのも好きだった)、インターネットで色々な情報をインプットしていくにつれ、自分もこのように情報を発信していきたいという風におそらく感じ、それでホームページ・ビルダーというソフトウェアを2008年の誕生日プレゼントに買ってもらった。ついでに、この時期にソースネクストの安い画像編集ソフトウェアも買ってもらった記憶がある。僕は4月生まれなので、12月にコンピュータに触れて翌年4月にホームページを作ろうと思い至るスピードの速さに今は驚くが、こういうのってむしろ幼少期の方が伸びが良いように思う。

ホームページ・ビルダーは、WYSIWYG(What You See Is What You Get)という仕組みによって、コードを書かなくてもホームページの見た目そのものを編集することで内容を編集できるという機能を擁していた。その見た目はあらかじめ用意されたテンプレート(ひな形)から選ぶのだが、だんだんとそのテンプレート以外のデザインでウェブサイトを作りたくなったのか、あるいはテンプレート自体を少し編集したいと思ったのか、きっかけはそんなところだと思うが、ウェブサイトを制作するための言語であるHTMLと、HTMLによって規定された文書をデザインするためのCSSを勉強することになった。

当時はドットインストールやProgateなんてなくて、HTML/CSSを勉強するなら誰か個人の書いたウェブサイトを参考にするのが一般的だった。「とほほのWWW入門」が長い歴史を誇る有名どころとして当時からあったが、僕は「3日で作るホームページ」というウェブサイトのおかげでHTMLやCSSを理解することができたのを今でも覚えている。このサイトにはどれだけお世話になったか測り知れない。コンピュータの基本的な重要事項、パスのことや拡張子のことまできちんと解説してもらった。ウェブサイトはインターネットに当然ながら密接に関連しているので、ついでにインターネットの仕組みも多少把握した。また、今はスパムの嵐みたいになっているが、「質問掲示板」にわからないことを書き込むと管理人の方が返信を必ずしてくれて、本当に助けられた。インターネットでは顔も名前も知らない人が人生の恩人になり得るのである。
こうして僕はウェブサイトの作り方を学んだ。これは僕がコンピュータとインターネットによってアウトプットを始める重要な起点だったと思う。

ところで、実はウェブサイト作りより先に、僕はブログで文章を書くことを覚えた。どのようにして出会ったのかは全く覚えがないのだが、はてなのサービス、はてなハイクとかはてなセリフとかが好きで、ブログもはてなダイアリーを利用していた。いわゆるはてな村の住民だったということになる。はてブは使ってなかったけど。なんか、ヨーグルトを食べた話とかを書いた記憶がうっすらあるのだが、今そのブログのURLにアクセスしてみたら記事が全部消えてしまっていた。どこかで恥ずかしくなって消したのだろう。「はてな文化」は、未だに僕がインターネットを利用する上で大きな影響を残している。
これもまた、インターネットで情報を発信すること自体の楽しみを知ったきっかけだったように思う。Twitterが当時メジャーだったらそっちに先に触れていたのかもしれないけど。その後僕がTwitterを始めたのは日本でもだいぶメジャーになった2010年のことだった。


さて、ホームページを作っていくうちに、様々なことを覚えた。最初はホームページ・ビルダーやメモ帳で編集していたのだと思うが、やがてez-HTMLというフリーのエディタソフトを使うようになった。これによってフリーソフトのダウンロードやインストールの仕方を覚えたし、他にも数え切れないほどのフリーソフトを利用した記憶がある。この点でもお金のない小中高生の時期にWindowsを使っていて良かったなと思う。
また、フリーのソフトにもかなり助けられたが、父が、自身はコンピュータもインターネットも全くわからないにも関わらず、その頃インターネットに関連する事業を営んでいたこともあり、父の会社にはソフトウェアやコンピュータの資産があってそれもいじっていた。Fireworks MX 2004なんていう、FireworksがまだMacromediaから出ていた時代の、今となっては死ぬほど懐かしいような代物を愛用していた。
CGIというウェブページ上でプログラムを実行する仕組みを利用したシステムも何度か利用した。メーフォームを設置したくて、「メールフォームPro」というソフトウェアを使ったのを覚えている。かなり機能の充実したソフトで、ついでにマニュアルもとても整備されていて、そのマニュアルによってCGIを利用する方法と、プログラムによって動的にウェブページの内容を変化させられるということを覚えたものだった。

あまりにも僕がコンピュータにのめり込むので、心配した両親にコンピュータの利用を1日1時間だか2時間だかまで制限されながらも、ホームページを作る技術を磨いていたらそれが結実する時が来た。パソコンの性能の低さに我慢がならず、PCを自作したいと思って週刊アスキーを読んでいたら、「こどもホームページコンテスト」の情報が載っていた。そこで、小学6年の夏休みにホームページを作って、応募してみたら準グランプリとして賞金5万円とデジタルカメラを頂いた。これは貴重な経験だった。コンピュータとインターネットによって初めて具体的な利益を得たのがこの時だった。
僕は都立中学を受験しようとしていたので、その夏休みを最後にいったんコンピュータから離れることになったのだが、結局受験には落ちて地元の公立中学に進学した。今思えば夏休みまでホームページなんか作ってたら当たり前なんだけど。

中学の頃はコンピュータを使って何かをした記憶があんまりない。2011年に自分でもプログラミングがしたいと思ってPHPというプログラミング言語の本を購入したのだが、当時はなんだかあんまりよくわからなくて、挫折した。他には、生徒会に入っていたのでプリントなんかを作っていた記憶はある。中学受験に失敗したのが悔しくて、高校受験で雪辱を果たそうと少し勉強をしたので、多分それもあって多少コンピュータから離れ気味だったのだと思う。今では一層勉強への情熱はないというのにあの頃はまだ偉かった。


高校に入って、そこが文化祭が非常に盛んな高校で、3年間クラス替えがないのをいいことにクラスで毎年文化祭で出し物をしてその宣伝のためにクラスごとにTwitterのアカウントやYouTubeのチャンネルを持っているようなところだったので、コンピュータで何かをつくることをたくさんした。ついでに、文化祭だけでなく、後夜祭実行委員という結構派手めな委員会にも顔に似合わず属していて、そこでも色々つくったものだった。同じ高校の方は「校長のNHKプロフェッショナル風映像」なんて覚えていらっしゃるかもしれない。僕はそんなにだけど、後輩なんかAviUtlで何十本動画を作った云々。ついでに、高校2年の時に「こういうものを作りたい」という目標を持って再度PHPに挑戦したらすっごいレガシーだけども一応書けるようになった。僕は「動けばいいや」という開き直り精神の持ち主なので、PHPのスキルは自慢にならないくらい低レベルなんだけれど。それで何個かウェブサービスをつくって同じ高校の人に使ってもらったりした。

さて、母校の文化祭の目玉は3年のクラス演劇なのだが、それに多くの来場者が集中して、それで上演する会場のキャパシティが足りないので、抽選によって観劇できる人を決めるというプロセスを行なっていたのだが、その抽選に参加するために20分とか並ばなきゃいけないといった有様で、それをスマホで抽選に応募できるようにしたい、という問題提起と改善の提案が「展示チーフ」という母校の文化祭を裏で取り仕切る3年のクラス代表たちからなされ、ウェブサービスをつくっていたのが多少知られていたので、そこで白羽の矢が立ったのが僕だった。

この時VPSという仮想のサーバやMySQLというデータベースの仕組みについて多くを学ぶことになった。これは5,000人以上の利用者を得て、ついでにシステムだけでなく「学校側にいかにして納得してもらうか」といったことまで学ぶことになった。母校の文化祭は1万人以上が訪れるもので、めちゃくちゃ混む。そこで目玉のクラス演劇を見るための仕組みがちゃんと動かない、ともなれば大きな混乱が予想され、受験生のひと夏を演劇に費やしてきたクラスメートたちにも、わざわざ来てくれたお客さんにも申し訳が立たない結果になるので、「できるだけ可用性の高いシステム」を構築して、それによってエビデンスを立てて「これなら大丈夫です」という説明をして納得してもらう必要があるのだ。

結果的にシステムは大きな問題もなく動き、当日はNIKKEI STYLEという日経の軽めなウェブメディア的なものにも母校の文化祭を取り上げた記事の一部として取材された。これらの達成は、僕がコンピュータとインターネットを通じたアウトプットをする上でひとつのマイルストーンになった。


そして、大学に入った今では、これらの経験をアピールしてIT系のベンチャーでインターンとして働いている。インターンとはいえ、コンピュータとインターネットを使ってきたことで職と金銭を得られるようになったのはよかった。また、大学生活でも学園祭の運営スタッフとして、これまでの経験を生かせていると思う。
よく、優秀なエンジニアとか、あるいはスタートアップの創業者の記事には、「6歳の時に父が利用していたコンピュータを触り始め、その後すぐBASICを書くようになる。高校在学中にソフトウェアを開発してそれが1万ドルで企業に売れる」みたいな記述がある。僕はそういった種類の天才ではない。コンピュータに触れたのは遅い方ではないと思うが、その後多少なりともプログラミングを覚えるまでに数年を要している。しかし、天才でなくても、コンピュータとインターネットで何かをつくったり、それを発信していくことは楽しい。次の10年も、そしてそれ以降も、エンジニアリングスキルやデザインスキルを磨いて、もっと高度な技術を要求するいろいろなものをつくっていく。ここで宣伝をすると、僕が今までにつくって来たもので表に出せるものはほとんどこのページにまとめてあるので、気が向いたら見てみて欲しい。


ときに、これを読んでいる方の中にも、そう言ったアウトプットに興味がある方がいたら、是非取り組んでみて楽しさを知って欲しいし、実際のところ、Twitterでウケそうなツイートを考えたり、ブログやFacebookに思っていることを簡単に書いてみたり、Instagramで写真を上手に加工してアップロードすることでいいねを稼ごうとすることだって立派なアウトプットで、それの魅力を感じている人は少なくないはずだ。コンピュータを大いに利用したアウトプットをしたいという方は、今時はドットインストールやProgateなんかもあるのでそれらで基本を学び、今はAdobeだって学生なら月2,000円ばかりで全てのソフトが使える。僕自身も本当に素人に毛が生えたようなもので、偉そうなことを言える立場では全くないのだが、わからないことはとにかくググり、Facebookの創業者のマーク・ザッカーバーグも言っているように、”Done is better than perfect.” の精神でやってみると大きな楽しさがあることに気づけるのではないかと思う。


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