見出し画像

リコリス・リコイル~君の心臓〈セカイ〉を撃ち抜くエモい令和の弾丸。2022年7月~9月 #5:今を生きる 

 リコリコが提示したものはなんであったか。データや理念や思想ではなく目の前の人をもっと信じよう。言葉より行動、誰も生まれ落ちた境遇、時代や国を選べはしない。配られたカード(ガチャ)の中、自分で考えて決めよう、選択して精一杯生き抜こう。

千束は今を生きる。全身全霊で生きる。「世界を好みの形に変えている間にお爺さんになっちゃうぞ」今生きる少年少女たちに、そしてかつて少年少女だった者たちに贈る千束の餞の言葉。

 先の見えない時代に沿った物語。『自分でどうにもならないことに悩んでもしょうがない!受け入れて~全力!だいたいそれでいいことが起こるんだ』という千束の言葉はある種の諦観を含んでいる。
 常に死と相対し死生観を培った彼女らしい言葉だ。この過酷な時代にこそ相応しいのかもしれない。

 いま一つは嘘と欺瞞の尊さ。「何でも話せる何でもぶつけあえる相手」というものは、実のところ「敵」くらいしかない。(漢文には対等という意味の言葉はないという。匹敵、敵しかないらしい)だからこそ敵は必要でもある。人生は敵をもった方が豊かになる。

真島に見せている顔が数少ない千束の本当の顔であろう。彼の前では取り繕う必要は一切無い。

 真島は千束にとって必要な敵だった。本心を語り合える敵に対し、真に守りたい愛する者には、嘘をつき本当に大事なことは決して言わない。

 ありのままを語れる敵、真島に「一生懸命な友達」と本心を隠さねばならない大事なたきなのことを口にした際、千束はどんなにか嬉しく誇らしく愛おしく思ったろう!たきなは「それが私の全部。世界がどうとか知らんわ~」真島が守ろうとする世界に匹敵する存在なのだ。

千束は「命を粗末にする奴は嫌いだ」と言い放ち「命大事に」をモットーとするが自身の命はひどく安く見積もっていた。「期限付き、人から貰った命」だから。たきなは千束の命に己の存在を賭ける。はてしなく賭け金をつり上げる。「千束が死ぬのは嫌だ」明言したのは結局彼女だけ。たきなは最高の値をつけ、千束の命を「競り落とした」。それに対して千束は生きることで応える。

 千束がたきなに対して冷たすぎるという感想が散見された。しかし、これは視聴者の理解力が不足している。今まで彼女に仲間はいたが「友達」はいなかった。命の短さを自覚する千束にとってたきなは最初で最後の友達だった。そしてこの「一生懸命」は自分のためにDAを辞めてきたたきなに「バカだねえ」と呟いたのと同種のものである。
 命短い自分のためにわざわざ時間を使って一生懸命になることなんてないのに……ホントにあんたってヤツは……可愛くて仕方がない、という限りない親愛の情の表現なのである。
 一生懸命な友達は軽いものではない。たきなは千束自身の死後、生き方を受け継ぐ弟子、妹を超えて最早娘のような存在であった。千束に己を殺させようと目論む父吉松もまた千束に残ろうとした。それと同様、たきなの記憶の中に、その命に残りたいという利己的な欲望が千束にあった。これを愛と言わずしてなんというのか。
 
 もっとわかりやすく千束がいかにたきなを大事に思っているかを直接的に表現してもよかったかもしれない。たとえば真島と話している間、たきなからもらったストラップを愛おしそうに撫でていて、真島に「おい、聞いているのか」と問われるとか。また真島をたきなのため、殺すと決意した時表情だけでなく缶を握りつぶす、などの描写も必要だったかもしれない。

 真実を隠すことも愛であり、だからといって絆ができないわけでない。いやむしろそれだからこそ、強く結ばれる。
 わかって演じる、嘘こそ絆である……SNS、家族、友達、恋人、みせる側面が異なる仮面の時代である今の若い人々に訴えたのかもしれない。

この記事が参加している募集

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?